伊那坂下教会CSだより 2024年2月

2月とは思えない暖かい日が続いたと思ったら、又寒くなり三寒四温の季節ですね。年度末のこの時期も守られて過ごせましように。

2024年2月18日子どもメッセージ

傷つくということ  (マタイ28:20)

神さまはいつも、私たちと共に歩み、共におられます。どんな時にも、それは全く変わりません。

でもその中で、私たちの気持ちや、いろいろなことは、変わっていきますね。気持ちもそうですし、体力もそうです。

先日神戸に行きました時、便利なところですので、バスの10分間隔、鉄道も、JR、阪急、阪神、地下鉄もありますから、車を使わずに済みます。それはそれで便利なところなのですが、駅から駅までの移動、バスの停留所から目的地までは、歩きました。そこにいた時には、いくら歩いて、3万歩歩いても、何にも気にならなかったのですが、久しぶりに歩くと、足のふくらはぎはつりそうになるわ、坂道を登るという時にも、早く歩こうと思っても、なかなか足がついて来ませんでした。「こんなはずはなかったのに~」と思いましたが、普段歩く機会が、少なくなり、っどこにいくにも車を使うという生活になったことで、すっかり足が弱っていたことに、自分自身がびっくりしました。

そういう体の変化や、気持ちの変化というのもあります。

ついさっきまで機嫌が良かったのに、急に、雷が鳴るかのような怒る感じに変わることもあります。そういう時、共に歩く人がいたら、その人は、その変化をどう受け止めるでしょうか?

ここに2つの石を持ってきました。

共に歩く、共にいるということは、石と石とがぶつかり合うことと似ているように思います。こうしてぶつかりますね。ぶつかると、石も、傷つきます。激しくぶつかれば、ぶつかるほど、傷つきますし、場合によって石にひびが入ったり、石が割れてしまうこともあるのではないでしょうか?

そのように、共に歩むこと、共にいるということは、お互いに傷つくということです。気持ちを相手にぶつけて行けば、相手が傷つきます。イエスさまがそうです。共にいる、共に歩むと約束された通りに、私たちと共に歩んでくださる中で、イエスさまが私たちを傷つけるのではなくて、イエスさまを私たちは傷つけてしまうことがあるのではないでしょうか?しかし、どんなに傷ついても、傷つけても、イエスさまはそれら一切を十字架の上で、受けてくださいました。十字架の上で受けて、傷ついて、苦しんで、それでもなお、「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは自分が何をしているのか、分からずにいるのです」と、神さまに傷つきながらも、ずっと祈り続けてくださっています。

 

そのイエスさまが、いつも私たちと共にいます。共に歩みながら、傷つくことも、受け入れて、許し続けて下さっています。イエスさまは、そのことを信じてほしいとおっしゃっています。そういうイエスさまだ!ということを信じて、新しい一歩を踏み出せるように、ずっと共にいて、共に歩み続けてくださっています。

石をぶつけ合ってみました→

 

 

 

 

 

教会学校だより 2月