2024年4月14日礼拝 説教要旨

ありません(ヨハネ21:1~14)

松田聖一牧師

 

おきあがりこぼしというおもちゃがあります。一般的には卵形のボールのような底があるおもちゃです。このおもちゃは、斜めになっても勝手に起き上がります。中は空洞で、底の半球部分の中におもりがはいっていて、重心が下にあることで。おもちゃを傾けたり倒したりしても、確かにその時はぐらつくのですが、重りがあるので、ゆらゆら揺れ動きながらも、やがてもとの状態に戻っていきます。それは、やじろべえの動きとも似ていますね。やじろべえも、揺らすと揺れます。でも、次第に、その揺れ動く、その動きは収まっていきます。そんなおきあがりこぼしも、やじろべえも、動きが収まって、元に戻ったとしても、そのままではなくて、押されたり、倒されると、また揺れ動きます。その力が大きければ大きいほど、大きく揺れ動きます。その繰り返しです。

 

私たちの歩みもそれと似ているのではないでしょうか?私たちの歩みの中で、いろんなことが起こった時、その度毎に、揺れ動きます。その経験が大きければ大きいほど、その揺れは、ますます大きくなります。そして一旦は、収まるのですが、また何かのきっかけで、再び揺れ動いてしまうこともあるのではないでしょうか?

 

イエスさまの弟子たち、シモンペテロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子たち、ヤコブとヨハネも、そして他の2人の弟子たちも、そうです。彼らは、このすぐ前に、イエスさまが彼らのところに来てくださり、あなたがたに平和があるようにとおっしゃってくださり、復活のイエスさまに出会った時には、喜びました。トマスは、わたしの主、わたしの神と、イエスさまに出会えたことを、体全体で受け取っていました。

 

そんな中で、シモンペテロが「わたしは漁に行く」というと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言って、彼らが、イエスさまに従う前の、漁師に戻っていくんです。これは、一体どういうことでしょうか?ペテロや、ゼベダイの息子たち、ヤコブ、ヨハネも、それぞれ漁師としての仕事を捨てて、イエスさまに従ったんです。それなのに、イエスさまに従う前の、漁師に戻ってしまうのは、生活をどうするか?ということに向かっているからではないでしょうか?というのは、イエスさまに従っていた時とは違って、毎日の生活を考えて行かなければなりません。自分たちで食べていかないといけないんです。お金の管理は、死んでしまったイスカリオテのユダが担当していましたから、彼らにはお金がないと言っていいでしょう。そうであっても、彼らには毎日の生活があります。具体的には、食べていかないと、生きてはいけません。だからこそ、ティベリアス湖とも呼ばれたガリラヤ湖で、漁をし、取れた魚を食べるということで、何とか生活を成り立たせようとしていたのではないでしょうか?

 

そしてもう1つのことは、復活のイエスさまが出会ってくださったこの時、あなたがたに平和があるようにとおっしゃってくださったことで、それまでは、自分たちの食べるということすら考えられなかったのが、ようやく自分たちで食べていかないと・・というところに、目を向けることができるようになったのではないでしょうか?

 

1945年8月9日午前11時2分、長崎に原爆が落とされました。その時、何とか生き延びて、避難された一人の方が、手記を遺しています。そこに原爆投下の翌日の8月10日のことが記されていました。

 

ふと、私の名前を呼ぶ声がするので、横を見ると、姉が立っていました。「よかったあ」「姉ちゃんが帰ってきたよ」と、母や妹、弟に知らせるため、防空壕の中へ走りこみました。家族みんな抱きあって、声もなく泣きました。嬉しかったですね・・・ しばらくして、「おなかがすいたね・・」「何も食べるものはないの?」と弟の声、あぁ、そうだ昨日の昼ごはんから何も食べていなかったのだ。昼、夜、朝、昼と4回も食べていなかったのです。一気におなかが空っぽであることを強く感じました。 午後になり、何時ごろかわかりませんが、「おにぎりがきたよ」という声でみんな外にでました。おおきな四斗樽(しとだる:お酒を入れる大きな樽のこと)に白いおにぎりがいっぱい入っています。躍りあがって喜びました。両手におにぎりをもらいました。でも食べられませんでした。弟や妹を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしています。どうしてでしょう・・ 真夏の暑い日差しの中、運ばれてくるうちに腐ってしまっていたのです。 あとで聞くと、長崎市の近くの町や村の人がお米を出し合い、一晩かかって作ってくださったおにぎりだったのですが・・・それでも、あまりの空腹のために食べている人もいました。もう、がっかりして座り込んでしまいました。するとその時、神様があれわれました。夢ではありません。おにぎりを持って・・・この世にこんなごちそうがあったのか、というくらいのおいしさでした。父の友人が見舞いに持ってきてくれたのです。このおじさんがほんとの神様のようでした・・・

 

この時、原爆という、あまりにも大きな出来事の中で、感覚が麻痺した状態でもあったでしょう。お腹がすいていることすら分からなくなったのでしょう。しかし家族と再会できたとき、初めて、「おなかがすいた」ということに気づけたのではないでしょうか?弟子たちもそうです。彼らは、イエスさまが十字架にかけられ、死んで葬られ、三日目に甦られたその日も含めて、余りにも大きな出来事の中で、食べるという余裕すらない、おなかがすいたことすら感じられない、ここ数日を過ごしていました。しかし、イエスさまが彼らのところに来てくださり、出会った下さった時、初めて、何も食べていない、ということにようやく気づけたことで、皆で漁に行くのです。「しかし、その夜は何もとれなかった」のです。ということは、彼らには、まだ食べる物がないのです。そしてその食べる物がないまま、朝を迎えた時に、岸に立っておられたイエスさまは、彼らに「子たちよ、何か食べる物があるか。」に対して、弟子たちは「ありません」と答えていくのですが、弟子たちは、そこにおられるお方がイエスさまだとは分かっていません。だから誰だか分からない方から、「何か食べる物があるか」と聞かれたので、「ありません」と答えていくやり取りです。

 

この「ありません」という答えは、この時の、弟子たちの現実です。漁に行っても、何も取れなかったこと、食べる物がないということを、自分の口から、「ありません」と答えたのです。ということは、彼ら自身が、今の現実を受け入れているということではないでしょうか?そして、それができたのは、その通りありません、食べる物がないという弟子たちを、そのままイエスさまが受け入れてくださったからこそ、「ありません」ということが言えたのではないでしょうか?そしてそれは、ありませんと認めている、弟子たちをそのまま受け取って下さっている、イエスさまが、そこにいることを、彼らが気づけたときではなかったでしょうか?

 

私たちはどうでしょうか?ありませんという現実を、どう受け取めるでしょうか?素直に、ありませんと、認めることが、いつもできるかというと、時には、ありませんという現実なのに、ないのにあるとか、あるかのように答えてしまうことがあるのではないでしょうか?やせ我慢をしてしまうこともあるでしょう。周りに気を遣ってしまうこともあるかもしれません。イエスさまは、ない時には、ありません、を、そのまま受け入れておられるのです。だからイエスさまの前では、やせ我慢をしなくてもいいのです。ありません。と答えたらいいのです。その、ありません、を、そのまま受け取って下さるイエスさまが、そこにおられるのです。

 

その上で、イエスさまは、これからどうすればいいか?これからの道を、指し示し、これから生きる方法を、イエスさまの方から、彼らに与えて下さるのです。

そしてそのことも受け入れることができるようにしてくださるのです。それは、あるから始まるのではありません。ありませんから、始まっていくのです。何もない、ないというところからイエスさまは、新しい道を与え、新しい歩みへと導いてくださるのです。

 

だから弟子たちは、イエスさまが「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と、おっしゃられた通りに、舟の右側に網を打っていくのです。その時、彼らの目の前で、「魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった」という、現実が与えられていました。そして、今目の前で起きている現実を、目の当たりにし、受け入れたその時に、たくさんの魚を与えて下さったお方が、主だ、イエスさまが主であるということに気づかされていきました。

 

このことを魚という言葉が、指し示しています。魚はギリシャ語で表すと、イエスさまは主であり、救い主であるという言葉の、それぞれの頭文字を1文字ずつ取って、それを繋げた言葉です。その魚が、迫害を受けていた時にも、お互いにイエスさまを信じている者だという目印にもなったのです。魚というのは、そういう意味でもあるんです。だから、あまりにも多くの魚が取れたその時、弟子たちが、その魚をそのまま受け取っているということは、イエスさまが主であるということを、そのまま受け取ることにも繋がっているのです。

 

そして、イエスさまの愛しておられたあの弟子、ヨハネのことですが、主だと言った、そのことを聞いたペテロは、食べる物がなにもない、ありません、だけではなくて、自分の今の現実に気づかされた姿が、「裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」ことであり、ほかの弟子たちが、引き上げることができない網を引いた、この姿も、陸から200ペキス、100メートルほどですが、それくらいの距離であれば、魚の入った網をそのまま陸まで引いて行けると、その現実から判断できた姿でもあるのです。

 

しかし、そうは言っても、裸同然と比べて、上着をまとって水の中にはいることも、また魚がいっぱい入った網を、そのまま陸まで引いてくることも大変です。

 

その時、イエスさまは、現実の大変な中で、揺れ動き、目の前のことで精一杯になっていた彼らのために、炭火を起こし、「その上に、魚がのせてあり、パンもあった」イエスさまが食事の用意をしてくださっていました。食べる物がない、彼らに、食べる物をちゃんと用意していて下さいました。そして「さあ、来て、朝の食事をしなさい」さあ、来て、朝の食事をしなさいと、彼らに今必要な食べる事、朝の食事をするという、ホッとできる時、安らげる時を、与えて下さったのです。

 

「お釜いっぱいのご飯」というタイトルで、こんなエピソードが綴られていました。

 

午前5時前。ご飯のにおいで目が覚めた。台所のイスに母が座っていて、炊飯器には容量いっぱいのご飯が炊きあがっていた。

母は91歳。認知症が進んだので、2年前から介護している。夜も起き出してくるのだが、その日は付き合い切れず、私はいつの間にか眠ってしまったらしい。

苦労性の母は、お釜にご飯がないと不安らしく、こちらがうっかりしていると、お米を出してしかけてしまう。

水加減も正確で、ふっくらと炊けたご飯にしゃもじを入れると、いつもと違う優しい重量感があった。母が「腹減ったのう」とつぶやいた。一晩中起きていたのだもの、無理もない。朝ごはんには少し早かったが、せっかくの炊き立て。私はおむすびにして母と食べることにした。

たっぷり炊いたご飯のおむすびは、特別おいしかった。昔、家族がたくさんいた頃のご飯の味がした。おむすびを食べながら、母が元気で、自分たちが小さかった頃を思い出していた。おかずがなくても、お釜いっぱいのご飯があれば、十分にごちそうだった。

母は、今でもあの頃の気持ちをご飯を炊いているのかもしれない。だから、特別優しい味がしたのだろう。残りのご飯は冷凍した。いつになく優しい気持ちになれた朝だった。

 

私たちの生活は、仕事も含めて、毎日、毎日、目の前のことで精一杯です。目の前のことをこなしていくことで、一日が終わるという繰り返しなのかもしれません。時には、これからを描くことができないこと、何もない、ありませんという、こともあったと思います。しかし、たとい可能性もない、まったくの空っぽであったとしても、そのありません、という空っぽの中に、イエスさまは、具体的に道を示してくださり、その道をイエスさまと共に辿っていく時、そこに大きな恵みを与えてくださっています。それでもなお、揺れ動くことがあるでしょう。空っぽにできずにいることもあると思います。しかしそうであっても、イエスさまは、現実の精一杯の中に、イエスさまが主であるということを、安心と共に、与えて下さっているのです。

 

祈りましょう。

説教要旨(4月14日)