復活節第6主日礼拝

讃美歌:12、319、29

聖書:ヨハネ 16:25~33

説教:「神のもとから来られた方」 加藤智恵牧師

五月晴れが続いています。気候の平穏な日は、洪水のこともコロナウィルスのことも忘れて、自然の恵みに感謝を覚えます。車の走る音、電車の走る遮断機の音など、平凡な生活があることを感じます。皆さんいかがお過ごしですか?
コロナウィルスが世界中の人々の生活を変え、この先どうなるのか?と不安を与え、また、亡くなる人が沢山いることは、大変悲しいことですが、人々の努力や自粛によって、良い方向に向かいつつあることは、私たちにとって、明るいニュースです。
復活節第6主日を迎えました。イエス様の復活によって、弟子たちは驚き、喜びに満たされました。イエスの復活は事実です。私たちはこの復活を信じているからこそ、どの様な時も希望を失わずに生きてゆくことが出来るのです。
イエス様は、まことの神がどの様な方かを私たちに示して下さいました。ただ、漠然と神がおられると信じている人達も居られるでしょう。しかし、主イエスは神のもとから来られて、私たちが真の神様を知り、神さまに向かって祈ることが出来、その祈りは1言1句神さまに届いていることを信じることが出来るようにして下さいました。ローマ教皇や多くの人々が、神様にコロナウィルスの終息のために祈ることは、無駄なことではないのです。
イエス様は、人々に譬えをもって話をされました。そして、弟子たちには、その譬えの意味を教えて下さいました。譬えは真意が隠されていて、主イエスによって教えて頂かなければ理解出来ません。しかし、これからは譬えによらず、はっきりと父である神に祈る時が来ることを、弟子たちに話されました。主イエスが復活され、そして、真理の霊が降る時、弟子たちは父なる神と直接の交わりを持ち、もはや主イエスが弟子たちのために願う必要は無くなり、弟子たちは、直接神を父と呼びかけることが出来るようになるのです。父である神ご自身が弟子を愛しておられるのです。それは、弟子たちが主イエスを愛し、イエスが神のもとから出て来たことを信じたからです。
そして、主イエスは弟子たちに「わたしは、父の元から
この世に来たが、今、世を去って父のもとに帰る」と言われました。主イエスにとって、父の元に帰るのが、本来の姿なのです。弟子たちはこの言葉を聞いて「あなたが、神のもとから来られたと、わたしたちは信じます」と告白しました。弟子たちの告白は、まだ不完全でした。主イエスが十字架に付けられた時、弟子たちは、皆群衆を恐れて主イエスを捨てて逃げてしまいました。イエスは一人になるわけですが、父なる神が共にいて下さるのですから、決して一人ぼっちではない、と弟子たちに言われました。
そして、イエスが十字架に掛かるのは、この世では敗北にみえますが、十字架という苦しみに勝利され、復活し、栄光の主となられるのです。また、世を支配している悪の勢力を滅ぼされる、勝利の主なのです。
このイエスが勝利の主となられた、と弟子たちが知るのは、助け主である聖霊が弟子たちに降るからです。弱さを持つ弟子たちに、主イエスは「あなたがたは、この世では、苦難があります。しかし勇気を出しなさい。」と言われます。弟子たちに与えられた励ましの言葉は、弟子たちにとって、最上の贈り物でした。
主イエスは、既に、主イエスを十字架に架けた、この世の勢力に対して「わたしは、既に世に勝っている!」と言われています。
十字架の死と復活によって、勝利された主イエスが、共に居られれば、何も恐れることはなく、勝利と喜びと平和が残るのです。
祈り
父なる神様、このように、神さまに祈ることが出来ることに感謝いたします。弱さを持っている私たちですが、主イエスは勝利と喜びと平和の主であります。この世が滅びることを、あなたは望んではおられません。この世で人々が、喜びと感謝を持って生きてゆくことを、望んでおられます。主よ、私たちを強めて下さり、そのように、生きてゆくことができるようにしてください。この世に平和がきますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメ

 

 

説教要旨(5月17日のために)