復活節第7主日礼拝

聖書:ヨハネによる福音書 7章32節~39節

讃美歌:6、337、29

説教:「仮庵の祭りの時に」 加藤智恵牧師

時の経つのは、早いものです。もう5月から6月に向かおうとしています。コロナウィルス感染予防対策が、多くの人々の取り組みによって成果が上がり感謝です。しかし、コロナウィルスによって、かけがえのない近親者を亡くされた方、また、仕事を失われた方などは、どれ程、取返しのつかない苦しみを味わっておられることでしょう。主の慰めをただ、ただ、祈るばかりです。
本日は、ユダヤの3大祭りの仮庵の祭りに、エルサレムの神殿に上られた主イエスの出来事が書かれています。この祭りには、主イエスは家族や弟子たちとは上らず、一人で密かに上られました。仮庵の祭りは8日続きます。群衆の間では、主イエスのことが話題になっており、「良い人だ」という人々と「群衆を惑わしている」という人達がいました。
主イエスの出現は、世に動揺を与えます。イエスの行く所には、分裂が起こります。主イエスを信じる者と信じない者とが分かれるのです。仮庵の祭りが半ばになった頃、主イエスは神殿の境内に上って行き、教え始められました。祭りの時に教えを説くというのは、奇抜なことのように思えますが、主イエスは正に教えるために、この世へと来られたのです。群衆の中には、イエスを信じる者が大勢いました。
ファリサイ派の人々と祭司長たちは、群衆がイエスを信じていることを知って、イエスを捕えるために下役を遣わしました。主イエスは「間もなく自分をお遣わしになった方のもとに帰る。わたしのいる所にあなたたちは、来ることができない」と群衆に言われました。群衆はその真意を知ることが出来ずに「いったい、どこへ行くつもりなのか?離散しているユダヤ人の所へ行って、ギリシア人に教えるつもりなのか。わたしを探しても、見つけることがない」とは、どういう意味なのかサッパリ分かりませんでした。
ユダヤ人が当惑するのも、当然です。ユダヤ人は真面目に考えてもイエスの言われることが理解出来なかったのです。
メシアは、間もなく死ななければならない。十字架の死の時はそう遠くない。メシアが人々と共にいるのも、今暫くのことでした。イエスの時は、「捕えられ殺される時」です。しかし、人間の目には、敗北とみえますが、救いの業の完成の時であり、敗北の裏に勝利が隠されている時です。
祭りの最後の8日目は、最も祭りが盛大に行われました。
イエスは、立ちあがって大声で言われました。「渇いている人は、誰でも、わたしの所に来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から、生きた水が川となって流れ出るようになる。」これは、イエスの十字架の死と復活に続く、聖霊降臨について話されたのです。
主イエスの与えるものは、湧き出る水であり、生ける命です。これを受ける者は、この生ける水を自分の内に留めておくことはできません。湧き出る水は川となって流れ出、全世界に広がって行くのです。
仮庵の祭りの時には、エジプトを脱出したイスラエルの民が、岩から湧き出る水を飲んで、渇きをいやした出来事を記念する祭りでもありました。また、荒野では、仮庵を作ってそこでイスラエルの民は、過ごした記念の祭りでした。
生ける水とは聖霊でもあり、復活の後に聖霊が降り、使徒たちの中に働いて、福音が全世界に伝えられるのです。福音は、使徒たちだけにとどまるのではなく、福音を聞いて信じた者たちによって、聖霊によってどこまでも、持ち運ばれてゆくのです。イエスの真理は、普遍的であり、律法を越え人知を超えるものなのです。
祈り。
主なる神様、命の水を私たちに与えて下さり、豊かに生きることが出来る恵みに感謝いたします。祭りの最後の日に大声で叫ばれたイエス様の招きに多くの人が応えることができますように。世界中の飢え渇いている人々に生ける水を与えてくださいますようにお願いいたします。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン

 

公告:5月31日(日)午後1時より定期教会総会を開催します

説教要旨(5月24日のために)