「マリア 香油を注ぐ」
加藤 智恵牧師   ヨハネによる福音書 12章1~8節
サムエル記 上 9章27節~10章1節、10章6~7節
イエス様は過越祭の6日前にベタニヤに行かれました。ベタニヤにはイエス様が死者の中から甦らせたラザロがいました。マルタとマリアの姉妹も住んでいました。300万円もする高価なナルドの香油をマリアは持って来て、イエス様の足に塗り、自分の髪の毛で拭うという行為をしました。部屋の中は高価なナルドの香油の香りで一杯になりました。イエス様が居られる所には良い香りがするように、真の王であるイエス様に高価なナルドの香油は相応しいものでした。香油を注ぐことには幾つかの意味があります。1.客人への接待、2.医療のため、3.死者への敬愛のしるし、4.聖別や献身のしるし、などです。王や祭司、預言者はその職に着くために油を注がれました。旧約のサウル王の油注ぎは密かに行なわれました。本日の旧約の聖書個所には、サムエルは油の壷を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。「主があなたに油を注ぎ、ご自分の嗣業の民の指導者とされたのです」(サムエル記 上 10章1節)。また「主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう」(サムエル記 上 10章6節)とサムエルが言っているように、油を注がれると、王としての働きが出来るような力が神から与えられるのです。
マリアがイエス様の足に高価なナルドの香油を注いだのは、感謝のしるしばかりではなく、十字架の死によって、罪ある人間の救い主となられる王として即位されるお方に対する油注ぎを意味していました。イエス様はマリアが香油を注いだ理由をよくご存知でした。王の王、真の救い主、神と等しいお方には、ナルドの香油を注ぐことは相応しいものです。ところが、弟子のユダは「なぜ、この香油を300万円で売って、貧しい者にほどこさなかったのか」と言って、マリアを責めます。ユダがこう言ったのは、貧しい人々に心をかけていたのではありませんでした。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身を誤魔化していたからです。イエス様は、他の弟子たちも同じように300万円もの香油を無駄にして、何ともったいない事をするのか、と考えていた事を知っていました。だから、「貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」と言われました。イエス様は貧しい人々のことも考えられていて、施しなどをすることを奨励されていたようです。しかし、イエス様はもうすぐ十字架に掛からなければならない事を知っておられました。そして「マリアのするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、香油をとっておいたのだから」と弟子たちに言われました。
マリアはイエス様の死を予感していました。そして、最大の感謝を表したのです。イエス様の足に香油を注ぎ、葬りの準備をしてくれたマリアは、人の目には非常識と見えると思いますが、イエス様にとっては、励ましとなる行為でした。「マリアのするままにさせておきなさい」とイエス様は言われて、マリアの行為を褒められたのです。公生涯に入られる前に、サタンの激しい誘惑に完全に勝利されたイエス様でしたが、サタンの時が再びやって来て、主イエスは弟子たちを通して、また事柄を通してサタンの攻撃に会いました。サタンにとって、イエス様が十字架に掛かって、王の王、人類の救い主となることは許せないことでした。イエス様は激しいサタンの攻撃を受けながらも、十字架だけを見つめられていたのです。

説教要旨(3月22日)