2024年3月24日礼拝 説教要旨

委ねること(ヨハネ18:1~11)

松田聖一牧師

アンネの日記という作品があります。この日記は、アンネフランクという少女が、ナチスから逃れるために住んだ隠れ家での約2年間の様子を書いたものです。その隠れ家にはアンネの家族と共に、ナチスの手から逃れた方々と一緒に過ごしました。ところが、その隠れ家に身を潜めているということを、誰かが密告してしまったために、一緒に生活していた人々も捕らえられ、収容所に送られてしまい、そこで亡くなってしまうのです。しかしその中で、たった一人生き残ったアンネの父親は、守られたその日記を整理して、アンネの日記として、出版していくのです。

 

その日記は、アンネが隠れ家での生活の中で、物音を立てないように、見つからないように、そしていつか見つかるかもしれないという恐怖と、怯えの中で、架空の人物である「キティー」に宛てて書いた手紙風の日記です。その中にこんな一文があります。

 

あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。

 

どんな思いで書き綴ったのでしょうか?隠れ家での2年間を、どう過ごしていたのでしょうか?大きな声でしゃべったり、笑いあうという当たり前のことが全くできなかった中で、どんなにおびえていたか?その恐れから、何とか平静を保とうとしていたのかもしれません。そして日記を書くことを通して、隠れ家での生活に、身を任せるしかない緊張と不自由さの中で、それでも彼女なりに精一杯自分を表現しようとしていたのかもしれません。

 

そんな日記の舞台となった隠れ家と、そこに潜む人たち、そしてそのことを密告する姿というのは、イエスさまが弟子たちと共に祈るために、あるいは礼拝するために、何度も行き来していた、キデロンの谷の向こうにある園、ゲッセマネの園に、イエスさまと弟子たちがいると密告したユダの姿と重なります。しかしそもそも、その場所は、イエスさまと弟子たちにとって、もちろんユダにとっても、敵対的な相手から、あるいは報復や脅迫、危険から身を守るために過ごしていた秘密の場所です。ユダもそこに身を隠していたのです。だからそのまま密告せずにいたら、ユダも、弟子たちも、そしてイエスさまも、守られるのです。それなのに、どうしてユダは、その場所にイエスさまたちがいると知らせたのでしょうか?

 

それはユダが、祭司長、ファリサイ派の人々に、イエスさまを委ねたからです。というのは、(2)「イエスを裏切ろうとしていたユダ」とあるこの言葉の「裏切ろうとしていた」の意味は、委ねようとしていたとか、任せようとしていた、という意味でもあるからです。

 

その結果、「それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た」のです。この時、ユダが引き連れてきた、一隊の兵士というと、600人の歩兵隊で、しかもエルサレムにある神殿を守るための要塞の、守備隊のことです。また祭司長、ファリサイ派の人々が遣わした下役とは、家来であり、助手のことです。この2つを見ると、守備隊という精鋭部隊と、家来、助手は、それぞれ誰かに命令されて動く人たちです。と同時に、その立場には、精鋭部隊と、家来という違いがあります。また家来である下役たちは、祭司長、ファリサイ派の人々に命令された人たちですが、その一方で、一隊の兵士は、ユダが引き連れてきたということですから、弟子のユダがもうすでに、エルサレム神殿を守る守備隊を、この時統括していたことと、その精鋭部隊に命令できる立場にいつの間にか、なっていたということが言えるのではないでしょうか?それをいつ、どこで、どのような形でしたのか?また誰が、ユダにそれをゆるし、誰がユダにその兵士たちを任せたのか?それらのことについては、具体的には分かりません。しかし、事実としては、今、ここでユダは、一隊の兵士たちと、下役たちを引き連れて来ることができる立場、権力が与えられたということではないでしょうか?それは祭司長、ファリサイ派の人々に、イエスさまを委ねるということによって、与えられたものであったのです。

 

しかしユダも、もともとはイエスさまの弟子の1人です。この時もそうです。寝食を共にしながら、共に歩み、祈りと礼拝を共にささげてきた人です。それなのに、イエスさまを裏切ることになったのには、ユダがそうしたというだけではなくて、祭司長、ファリサイ派の側からも、ユダをイエスさまから引き抜こうとした何らかの働きかけがあったからではないでしょうか?

 

そういう中で、ゲッセマネの園に引き連れてきた兵士たち、下役たちが、600人以上いて、その手には松明や、武器を持っていたということは、1人のイエスさまを捕らえるにしては、凄い装備と言いますか、ある意味でものすごい軍事力です。そこまでしなければならないのは、人が群れとなることによって得られるメリットがあると感じていたことと、またそうしなければだめだという思いが、ユダにも、兵士たちにも、そして下役たちと、それを遣わした祭司長、ファリサイ派にもあったからではないでしょうか?

 

スイミーと言う絵本があります。教科書にも教材として取り上げられました。そこには、小さな魚が1匹で泳ぐのではなくて、沢山の小魚が集まると、大きな魚のように見えることで、小魚を狙う大型の魚から、自分たちの身を守る様子が描かれています。言わばそれは、小魚たちの集団的自衛とも言えるかもしれません。群れになれば、敵が襲って来た時にも、集団で立ち向かえますし、群れとなっていると、小魚を食べに来た魚が、自分よりも大きな魚だと思い込んで、食べられずに済むことも、大きなメリットです。それ以外にも、群れで泳ぐと、1匹1匹にかかる水の抵抗が弱まりますから、余計なエネルギーを使わずに泳げるという効果もあります。それは最近の研究で、数学的にも解明されてきました。それは小魚だけではありません。渡り鳥が群れて、飛んでいく時もそうです。v字型になって飛んでいきますね。その飛び方も、空気抵抗を少なくして、それぞれの鳥に負担がかからないようにするためです。その結果、より早く、遠くに飛ぶことができるようになるんです。さらには、群れるということを、別の視点から見る時、特に人間に言えることですが、人が集団になる時には、もちろん1固まりになるのですが、その時、一緒になりたいから集団になっている人と、集団にはなりなくないけれども、我慢して一緒になっているということもありますね。なぜかというと、何らかの理由で、本当は自由に動きたいけれども、集団になっていないといけないから・・・ということで、一緒になっている時には、自分の意に反して集団が動くことがありますから、そうなると、その人は、我慢しているのです。

 

そう言う意味で、イエスさまのところに、ユダによって引き連れられてきた兵士たち600人、下役たち全員が全く同じ気持ちになっているかというと、命令には、必ず従わなければならないということであっても、その中には、我慢してあるいは自分の思いを閉じ込めてしまって、命令する人たちと、同じ気持ちになっている人もいることになります。

 

そうであっても、そういう集団にさせていくのは、ユダや、下役を遣わした祭司長、ファリサイ派の人々に、イエスさまに対する恐れ、脅威を感じていたからではないでしょうか?そしてそれは、イエスさまに対してだけではありません。ユダにも、そして祭司長、ファリサイ派自身にも、自分たちのしていること、自分自身への恐れがあったのではないでしょうか?

 

そんな彼らにイエスさまが、「進み出て」すなわち、彼らの上に、彼らの近くへ近づいて来て、彼らの近くへ来るのです。彼らの上にということは、立場が上であるということと、それはイエスさまが神さまとしての立場であることをも、指し示しているのではないでしょうか?そういうお方が、自分たちに近づいてこられた時、彼らにとっては、イエスさまをますます脅威に感じるのではないでしょうか?

 

そして「だれを捜しているのか」とイエスさまは尋ねられ、彼らは「ナザレのイエスだ」と答えると、「わたしである」とイエスさまは、ユダもいる中で、御自身が、神さまであるということを明らかにされるのです。その時、「彼らは後ずさりして、地に倒れた」とありますが、これはイエスさまがあまりの迫力で言われたから、カウンターパンチをくらったので、倒れたという意味でなくて、彼らは、ここでイエスさまが、まことの神さまであるということに出会ったので、地に落ちて倒れて、イエスさまにひれ伏すのです。つまり、この時、兵士たちや、下役たちは、イエスさまを神さまであると認め、ひれ伏し、礼拝をささげていくという姿となっていくのです。それによって、彼らは、自分たちが持っていた武器を使わずに済むのです。言い換えれば、イエスさまを武力をもって捕まえようとしていた彼らから、神さまであるイエスさまは、その武力を使わせないようにするために、武器を使うということから解放するために、「わたしである」とご自身を顕し、彼らを地に倒れさせていくのです。

 

それはまた神さまであるイエスさまに、委ねるしかないというところへと、否応なしに、とらえられたことでもあるのではないでしょうか?

 

ここに委ねるということの1つの姿があります。委ねるというのは、楽ではない、ということがあるのです。むしろ自分の意に反すること、自分たちを遣わした人々の命令に背くという、彼らにとっては、武力を使わないという大変な形に、納められたことと同じように、自分のこうしたい、こうありたい、こうなりたいという希望、願いが全く封じられ、使えなくなるということが、委ねるという中にあります。その時には、悔しい思いをしたり、辛いことでもあるでしょう。自分にそもそも与えられた職務、任務を果たせなかったということでもありますから、自分一人だけの問題ではなくて、周りにも迷惑をかけたということへの自責の念のようなものが、ついてくることもあるのではないでしょうか?しかしイエスさまは、それでも、彼ら自身の思い通りにはならない方へと、無理やりにでも、彼らをして委ねるということを、彼らにも与えていかれるのです。それによって、武器を使って、人を傷つけるということをしなくても済むようになったです。ところが、ペテロは、それができなかったのです。彼は武力を行使してしまいました。剣を抜いて大祭司の手下、マルコスと言う人に打ってかかり、その右の耳を切り落とすという攻撃をしてしまうのです。しかしイエスさまは「剣をさやに納めなさい」と諭していかれ、マルコスのその耳をまた元通りに癒されていくのです。

 

このペテロの姿は、委ねることができなかった1つの姿です。しかし、それはペテロだけの問題ではなくて、私たちにも関係があります。私たちにも、委ね任せることができる時と、出来ない時があります。我慢を強いられるようなこともあるでしょう。そして、我慢ができなくて、委ねるということに抵抗し、反旗を翻すということもあるでしょう。しかしどんなに戦いたくても、戦えないこともあります。戦うための武器を使えなくさせることも、あるのです。ではそれは負けなのかというと、そうではありません。

 

なぜならば、それらのことすべてを、イエスさまが、神さまの与えようとしている十字架に委ねて受けていかれるからです。確かにイエスさまが、十字架につけられた時、その姿は、負けたように見えました。しかし負けたように見えたとしても、神さまの御計画に、「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と、イエスさまが、自らをそこに委ねるということを通して、委ねたその十字架の上で、イエスさまが、傷つきながらも、傷ついたまことの癒し人として、私たちが委ねられなかったことをも赦してくださった、神さまの愛と赦しが顕れていることを、私たちのために見えるようにしてくださっているのです。

 

工藤信夫という先生の書かれた本に、「人生の秋を生きる」という本があります。その本の表表紙にある帯にはこう記されていました。「若い時の拡大思考に代わって、ささやかな日常性に目を留めることへ、動的思考に代わって、静的思考の持つ豊かさへ」とあります。その中に、ある一人の方が、精神病棟に入院されたことを経ての思いが紹介されていました。

 

精神科の病棟に入っていろんなことを知った。いろんなことを考えた。いろんな人と出会った。僕は幸いにも今回復に向かっている。しかし、なかには一生なおりそうにない人もいる。社会に適応できそうもない人もいる。僕は自分も精神病という病気になり、入院することによって、この世界を知ることができた。なかには、本当に心のやさしい、いい人がいる。純粋なゆえに社会に適応できない人、意志の弱い人、さまざまな人がいる。

彼らは、僕も含め現代社会の敗者かもしれない。しかし、今の世の中が本当に正しいのだろうか。逆に社会の方が狂気に満ちていて、私たちの方が、本当の人の心を持っているのかもしれない。

入院してみて、人生の幸せについてよく考えるようになった。本当の幸せとは何なのだろうか。人に打ち勝って、地位を上げ、収入を増やすことなのだろうか。大きな家に住み、車を乗り回すことなのだろうか。

僕は人の心の悲しみや苦しみを自分のものとして感じ取れることでないかと思う。うるおいとか、やさしさが失われているような気がしてならない・・・。

 

いろいろなことに出会い、経験されたことを経ての思いを、ご自分の言葉で書き綴られたことでしょう。それはご自分の身を、そこに委ねることで見えてきたこと、感じたこと、そして発見できたことでもあると思います。それは、委ねたところに、顕された神さまの愛と赦しがあるからではないでしょうか?その時、そこには「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と神さまにすべてを委ねた、イエスさまが共におられることを発見できるのです。

 

委ねる時、委ねたところに、イエスさまが共におられます。たとい委ねられなくても、反旗を翻しても、そこに、私たちの全ての思いを受け取って、十字架に委ねたイエスさまが共におられます。

説教要旨(3月24日)