2023年12月24日礼拝 説教要旨

神の恵みを伝えた人(ルカ1:57~66)

松田聖一牧師

 

「留守番電話の贈り物」というタイトルで、こんな投書がありました。

 

掃除中ふと、電話機に目が留まった。ディスプレーに留守番電話の録音メモリーがいっぱいという表示が出ていた。何年もその機能を触っていなかったので、削除するために最初の録音から聞くボタンを押した。「赤ちゃんできたってね。おばあちゃん安心したよ。これからは体に気を付けて。」流れてきたのは、昨年亡くなった祖母の懐かしい声だった。その後、何件か入っていた。「今日は遊びに来てくれてありがとう。お小遣い、準備してたけど渡すの忘れてね、後で送るけんね。」声を聞くうち、涙と共にたくさんの思い出が頭を巡った。

大学生活を送っていた長崎に祖母が遊びに来た時、蝉の声が響く平和公園の木陰を2人でいつまでも歩きながら話をした。戦争の時に祖父と旧満州に渡り、幼いわたしの父を連れて小船に乗り、命がけで戻って来たこと、3人の子を抱えて学校に通い、美容院を開いたこと・・・。話してくれたことは全部覚えている。努力を重ねて生きた祖母だった。

私は今、おばあちゃんが見ることはなかった2人目の娘を育てています。空から見えていますか。わたしの記憶を娘たちにも伝えていこうと思っています。

 

「赤ちゃんができたってね。おばあちゃん安心したよ。これからは体に気を付けて。」戦争という大きな時代の中で、生き、命がけでいろいろな出来事を経験され、乗り越えてこられたおばあさんにとって、新しい命が与えられた喜びが、「安心したよ」に、現れているようにも思います。

 

そのように、赤ちゃんが与えられ、そして誕生した時、家族にとっても、周りの方々にとっても大きな喜びです。

 

それは、エリザベトが男の子を産んだ時の、ご近所の方々や親せきの方々の喜びもそうです。それは、高齢となってもう産めない体になっていたエリザベトに、男の子が無事に生まれた喜びだけではなくて、「主がエリザベトを大いに慈しまれた」、すなわち、神さまが、エリザベトに大きな憐れみを豊かに施して下さったことへの喜びです。そしてその喜びを、近所の方々も、親戚の方々も、「聞いて喜び合った」ということは、神さまの大きな憐れみを、ご近所や親戚の方々に、伝えて下さった人がいたからこそ、喜び合うことができたのではないでしょうか?

 

言い換えれば、ご近所や親戚の方々は、誰かから聞かないと、神さまが慈しんでくださった、神さまがお恵みくださったということは、分からないのではないでしょうか?さらには、生まれたその子に、「割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした」人々が、割礼という喜びの儀式を行おうとしていることも、そして父親のザカリアの名前を、喜んで付けようとしているのも、神さまが、エリザベトに大きな憐れみを豊かに施して下さったことを、誰かが伝え、その言葉を彼らが聞くことができたからこそ、です。そういう意味では、ご近所や親戚の方々、割礼を施すために来た人々、ザカリアと名付けようとしたその人々に、神さまがエリザベトに与えて下さった憐れみを伝えた人が、いたということなのです。

 

その一方で、エリザベトも一緒に喜び合うことができたのかというと、一緒に喜び合ったとは書かれていません。というのは、この時、エリザベトの夫であるザカリアは口が利けなくなっていました。それは、ただ口が不自由になり、口を使って物を言えないというだけではなくて、この口が利けないという言葉は、耳も不自由、耳も聞こえない状態、という意味でもあるのです。だから今、誰かが何かを言っていても、ザカリアには、聞こえていないのかもしれません。またその言われていることが、ザカリアに聞こえているのかどうかを、ザカリアが自分の口から、何かを言っている側の人々に、伝えることもできなくなっているんです。つまりザカリアは、自分の思いや、伝えたいことを、伝えられなくなっているのです。これは大変なことですね。

 

30代の後半に、突発性難聴になってしまったことがありました。それまで何ともなかったのが、急に、耳が聞こえにくくなってしまいました。それは、神学校を卒業された方々のリフレッシュのための学びに行った時のことでした。それは「リフレッシュコース」というもので、その通り、リフレッシュするために、普段の働きから少し離れて、学ぶために、講義を聞いていた時、急に耳鳴りがして、耳の中に水がたまったような感覚になって、聞こえにくくなり、これはおかしいと感じて、あわてて耳鼻科に行きました。耳鼻科の先生もびっくりされて、早速薬を出されて、それをいただいたのですが、一向に良くなりません。むしろ症状がますます悪くなっていきました。体がふらついて、バランスが取れなくなるのです。それでは寝ていたらいいのかというと、寝ていても、ふらふらです。船酔いをしているような日がずっと続きました。その内に、右耳から聞こえる音と、左耳から聞こえる音の高さが違うようになり、その音が自分の頭の中で混ざってしまいますので、余計です。でも、自分の口から御言葉の説き明かしをするということが、毎週ですから、御言葉を取り次ぎながら、自分の声が頭の中で、わんわんと響いてしまうんです。ですから、しゃべるということも、本当に辛いことでした。それで、また別の耳鼻科にも行くのですが、それでも一向に良くなりません。そんな難聴とか、頭の中で声が響いているとか、船酔いのようにふらふらしているというのは、目に見えるものではありません。見た目は、何も変わりません。絆創膏を張っているとか、包帯を巻いているということであれば、周りの方々にも、ああここを今、治しているんだなと分かっていただきやすいです。でも見た目では何も変わらないという中では、自分の症状を伝えたくても、なかなか伝わらないのです。そんなもどかしさと、治らないという現実の中では、どうしても、悪い方に考えてしまいます。もう治らないのではないか?このままずっと続くのではないか?リフレッシュしようとしたのに、リフレッシュどころか、とんでもないことになった・・・リフレッシュしなければよかった~と思ってしまうのですが、いくら悔やんでも、どうにもならないのです。そんな中で、3カ月過ごして、幸いに回復して、今日に至っています。

 

そのことを通して、今まで気づかなかった、気づけなかったことに、気づかされたことがありました。それは、見た目では普段と変わらなくても、見えない所で、苦しみ、辛く、不安や、恐れを抱えてしまうことが、どれだけ大変なことか?ということでした。それは聞くこと、話すことだけではありません。人の気持ちもそうです。それを理解することがどんなに難しいことかということを、少しだけ分かりかけたような気がしました。

 

ザカリアが経験していることもそうです。そして、そういうご主人を、抱えているエリザベトもそうです。確かにエリザベトは無事に出産できました。新しい命が生まれ、目に見える大きな喜びが与えられました。しかし、彼女にとっては、赤ちゃんが生まれたことを喜ぶ余裕はなかったのではないでしょうか?むしろ、今目の前の現実、口が不自由になり、口が利けず、耳も不自由になり、聞こえないというご主人のザカリアを支えながら、生まれてきた男の子を、これからどうやって育てていけるのだろうか?これから一体どうなっていくのか?ただうなずくだけになっているザカリアが、これから回復し、元気になっていけるのか?今まで通り、神殿の働きをすることができるのか?そういうことが、全く分からない不安に襲われているのではないでしょうか?

 

ですから、人々が生まれたその子に、「割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした」ことにも、彼女は、それどころではないのです。そんな中で、エリザベトは、人々のザカリアと付けたらいいという、人々の、声に従ったのではありませんでした。ただ、神さまが、ザカリアに言われた言葉「その子をヨハネと名付けなさい」と言われたことに従っていくのです。

 

でも不思議です。エリザベトが神さまから、ヨハネと名付けなさいと言われたのではありません。神さまが、ヨハネと名付けなさいと言われたのはザカリアです。しかも、言われた後、ザカリアは口が利けなくなっているのに、エリザベトは、生まれたこの子の名前は、ヨハネだと分かっているのです。それはザカリアが、口が利けなくなっても、それでも、ザカリアは何とかしてエリザベトに、ヨハネだと伝えることができたからでしょうか?口や耳が自由になっても、夫婦のやり取りができたのか?具体的には分かりません。しかし、夫ザカリアが神さまから言われ、受け取ったことを、口が利けなくなり、耳も不自由になっていても、神さまは、ザカリアのその不自由さを越えて、エリザベトにも「その子の名はヨハネだ」と分かるようにしてくださっているのです。そのことを、エリザベトはしっかりと、受け止め、神さまのその言葉に従っていくのです。だからこそ、周りがザカリアと名付けたらいいという彼らに対して、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」極めて強い言葉で、いいえ!全然違う!と、ザカリアではなく、ヨハネとしなければなりませんと、はっきり答えていくのです。

 

この時のエリザベトは、エリザベトとは書かれていません。「母は」です。最初はエリザベトであるのが、途中から、母に変わっているのです。つまり、エリザベトは、自分の息子が、生まれた時、最初から、自分自身を母として受け入れていたのではなくて、途中から受け取っているのではないでしょうか?それは、夫であるザカリアのことがいつもあったからでしょう。口が利けなくなっているザカリアのこれからのこと、これからどう生活していくかということを、彼女は考えていたと思います。でもいくら考えても、ザカリアを自分ではどうすることもできないからこそ、後はまかせるしかない!委ねるしかない!ところに、ようやく立てた時、エリザベトは、ヨハネの母親となれたのではないでしょうか?

 

一方で、ザカリアは、ザカリアで、自分の口が利けなくなったことに対して、いろんな思いでいたと思います。神殿での務めがこれからもできるのだろうかという不安もあったでしょう。そういう中で、彼は、父親となりました。父親となれたことは、もちろん喜びです。しかし口が利けない、耳が不自由ということは、生まれ与えられた男の子とのこれからを考えた時、話したり、聞いたりできないという現実が突き付けられているのです。それでもザカリアは、生まれたその男の子を父親として受けいれ、父親であり続けようとするんです。やがて、どんなに口が利けなくても、耳が不自由であっても、『この子の名はヨハネ』と、字で書く板に書いた時、エリザベトと一緒の答えだということが分かっただけではなくて、神さまが、ザカリア、エリザベトに、この子の名はヨハネだとおっしゃってくださった、神さまの言葉を、人々の前で明らかにして下さるのです。そして生まれ、与えられた讃美が、ザカリアの預言」なんですが、その時、神さまを讃美し始めたのは、父親のザカリアではなくて、ザカリアなのです。父親としてのザカリアではなくて、一人のザカリアに与えられた、神さまの恵みが、声として、讃美となって、広がっていくのでした。もうその時には、ザカリアが、父親ザカリアではなくて、ただ一人の「ザカリア」となっていました。

 

その時、人々は、皆驚き怪しんでいました。そんな中で、ザカリアの舌がほどけ、もう一度話すことができるようになった時、出て来た最初の言葉は、神さまへの讃美でした。その神さまへの讃美を通して、神さまがしてくださったこと、神さまの力が及んでいることが、周りにいた人々の心に留まり、広がっていくのです。

 

父の召天と題して、母教会の30周年記念誌に一人の方の証しが掲載されていました。

 

父の召天。30年の教会生活の中で、一番印象深い体験は父大四郎の召天である。昭和36年の夏のこと、67歳の高齢であった父が、胸部外科の大手術を6回も受けて退院してきた。結核が全治して高茶屋分院から上浜町の新しい家に帰った時には、私どもの家庭にあたかも太陽が昇るような感じがした。入院中には、キブレ、グードイ、才木先生をはじめ、多くの方の病床訪問を受け、翌聖書を読み、讃美歌を歌い本当に感謝に満ちた生活を送っていた。全身麻酔から覚醒するたびにまず口をついて出た言葉は、「ワンダフル」であった。病を通して神の愛を確信し、また信仰の友も増えていった。病床にあって聖書と讃美歌に細かく解説を書き加えたり、線をひいたりしていた。後でわかったことだが、同じ様な解説を書き加えた聖書と讃美歌を母と小生にプレゼントするために用意していた。しかし、当時の廃屋の如き病院での療養生活は苦しかったに違いなかった。松阪教会から津の教会に転籍し、これから老後の充実した生活に入ろうとした矢先、胃の辺りに「しこり」を発見した。ただちに大学病院で精密検査を受けたところ、スキルスと言う悪性の胃癌であることが分かった。入院後も日に日に病状は進み、既に手術不能であった。もちろん母は、献身的な看病を行っていた。少しでも病状の良くなることを祈った。教会からも次々とお見舞いに来てくださり、病室で主を讃美する祈りがささげられた。がん発見以来3カ月で病状は危機的となった。このような状態で父は私ども家族を励まし、見舞いの人たちを笑顔で迎えた。そして生きることが何と素晴らしいことか、神の大いなる愛について述べ、見舞いの人たちを逆に勇気づけ始めた。全く食べられなくなっても口からは讃美歌がもれていた。そして同年10月17日に召天した。その瞬間、私は神への感謝の祈りを心からささげていた。

 

口から何も食べることができなくなっても、その同じ口から、神さまへの讃美が与えられていました。その口から、神さまがどんなに大きな愛でいらっしゃるか、その讃美を、神さまは与え続けてくださいました。

 

ザカリアの口が開いた時、開口一番に出た言葉は、神さまへの讃美でした。神さまへの感謝でした。その讃美は、どんな賛美だったのでしょうか?どんな声だったのでしょうか?想像するしかありませんが、しかし、どんなに口が利けなくとも、耳が不自由になっていても、その不自由さでさえも、神さまは用いて、神さまの讃美をその人に与えてくださいます。そしてその讃美は、神さまの大きな大きな愛の中で、周りにいる人々にも、力強く広がり、神さまの愛、神さまの恵みが伝えられていくのです。

説教要旨(12月24日)