「真理について証しをするため」
加藤 智恵牧師   ヨハネによる福音書 18章28~40節

主イエスを裏切るユダは、祭司長やファリサイ派の遣わした人々を連れてキドロンの谷にやって来ました。それを知った主イエスは自ら進み出て「誰を探しているのか?」と言われました。「彼らはナザレのイエスだ」と言いました。普通の人間ならば、恐ろしさのために逃げ出してしまうことでしょう。しかし、主イエスは「わたしである」と言って、自ら進み出ます。その時、イエスを捕えようとやって来た人たちは後ずさりして、地に倒れてしまいました。イエスは唯の人間ではありませんでした。捕らえようとやって来た人たちは、イエス様の威厳ある声に後ずさりして、地に倒れてしまうほどでした。
逮捕された後、主イエスはたらいまわしされます。まずその年の大祭司アンナスのもとに送られます。次にアンナスはイエスを縛ったまま大祭司カイアファのもとに送りました。そして最高法院では死刑に出来なかったので、主イエスを殺そうとしていたユダヤ人たちは総督ピラトのもとに連れてゆきました。その間、一番弟子であったペトロは恐ろしさのため、3度もイエスを知らないと否定します。主イエスの決意は固く「父が与えられた盃は飲むべきではないか」という思いはどの様な権力をもってしても、決して変わることは有りませんでした。
総督ピラトはユダヤ人がイエスを葬り去ろうとしていたことも、動機がねたみであることも知っていました。ピラトは「お前がユダヤ人の王なのか」と聞きました。どの様な質問をしても、ピラトは理解することは出来ませんでした。なぜなら主イエスとピラトは次元の違う所に住んでいるからです。主イエスは「わたしの国はこの世には属していない」と言われます。「私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と言われました。真理とはイエスの内にあります。この真理に私たちを導いてくれるのは聖霊です。聖霊によらなければ、誰もイエスを主と告白できないのです。ピラトが「真理とは何か」と尋ねても、イエスは裁判の席で真理を説明しませんでした。ピラトは主イエスに何の罪をも見出せないまま、ユダヤ人の言うがままに、主イエスを死刑に処することになります。
主イエスが罪ある人間の為にこれ程の苦しみを受けられた。そして死んで下さったことを思う時、私たちに耐えられない苦しみは無いのではないでしょうか。この私の罪の為、主イエスは苦しみを受け、死んで下さったことを思えば有り難いという思いが湧いてきます。

説教要旨(4月5日)