「平和の王」   加藤 智恵 牧師
マタイによる福音書 2章1~12節  イザヤ書  11章1~10節

新約のマタイによる福音書はイエス様がお生れになった時代背景を説明しています。ヘロデ大王という残虐な王がユダヤの王として統治していた時代で、身内であろうが自分の子どもであろうが、自分の身を守るためには殺害してしまう、恐ろしい王に人々は恐れおののいて生活していたと思われます。そのような真っ暗闇とも言える時代に、平和の王であるイエス様は、エルサレムから8キロほど南へ下った地のベツレヘムでお生れになりました。男だけで5,000人もの人々にパンを増やして養われたイエス様、また、ご自分を「わたしは命のパンである」と宣言なさったイエス様にふさわしいパンの町であるベツレヘムでイエス様がお生れになった事は、偶然ではなく必然であったのです。
その喜ばしい救い主誕生の知らせは、異邦人である東方の星を研究している学者たちに届きました。彼らはユダヤ人ではありませんでした。これは、生れて来る救い主はユダヤ人だけではなく、全世界の救い主であることを表しています。不思議な星を見つけた東方の学者たちは、はるかカナンの地に住む、ユダヤ人の王としてお生れになった全人類の救い主の星であることを突き止め、一刻も早く救い主を礼拝しに出かけなければならないと突き動かされ、エルサレムにやって来ました。学者たちは東の国から持ってきた高価な贈り物を捧げ、幼子を礼拝しました。帰る際に、「ヘロデの所に帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国に帰って行きました。学者たちは帰る先々で、救い主がお生れになった喜ばしい出来事を、あの人この人に伝えながら、自分たちの国に帰って行ったのです。
続いて旧約のイザヤ書11章は、イザヤ書の中の偉大な章の一つと言われています。平和の王であるイエス様のことが預言されています。ダビデ王朝の系統から一つの芽が出て、根を張って、ついには実を結びます。理想的な支配者が民に与えられるということです。この王は、主の裁きをする時、深く原因を探り、結果を見て判断を下します。口の鞭、すなわち罪の宣告を、圧迫する国に与えて懲らしめ、唇の勢いをもって悪しき者を殺します。この王は正義と真実をもって、その身を支えます。このような理想的な王の支配のもとにあっては、神の聖なる山においては平和が満ち溢れ、神と人、人と動物が和合して住むのです。
主を知る知識が地上を覆う時、国と国とが平和であり戦争はありません。その日が来れば、ダビデの系統を引く主イエスは、全ての国を導く真理の旗となります。人々は真理を求めて集まります。その様子は栄光に輝いています。

説教要旨(12月29日)