「生命の回復」   加藤 智恵牧師
使徒言行録 20章7~12節   エレミヤ記 38章1~13節

パウロの第3回伝道旅行の時の出来事です。パウロはトロアスという町に一週間滞在します。その最後の日のことです。人々がパウロの最後の礼拝と説教を聞きたいと大勢集まりました。パウロの話は夜中まで続きました。これだけは言っておきたいと思うことがパウロには沢山あったようです。また、パウロは夜であろうが真夜中になろうが、福音を伝えずにはいられないという情熱がありました。エゥティコという青年が窓に腰掛けていましたが、パウロの話が長々と続くので、ひどく眠気を催し、ついには眠りこけて3階の窓から落ちてしまいました。聴衆が下に降りてみると、エゥティコは死んでいました。パウロは下に降りてゆき、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言いました。「騒ぐな、まだ生きている」と。パウロは彼の上にかがんでエゥティコを生き返らせたのです。
死んだ人を生き返らせる記事は旧約の時代から、エリヤ、エリシャによって行なわれています。パウロもペトロも死人を生き返らせています。最も人々が驚いた記事は、主イエスがラザロを生き返らせたことが上げられます。死んで4日も経ち、死臭が漂っている中で、主イエスは洞穴に向かって大声で「ラザロ、出て来なさい」と叫びました。すると全身を布で覆われたラザロが墓から出て来ました。それを見た人々はイエスを信じました。そしてイエス様が行なった業よりも大きな業は、主イエスが十字架で殺されて墓に葬られ、陰府に降って3日目に神によって復活して、弟子たちに現れたことです。
旧約のエレミヤの時代は、バビロンの圧迫が激しくなった時です。エレミヤはカルデア軍に投降する者は生き残る、と預言します。偽預言者たちは災いを預言するエレミヤを殺そうとします。そしてゼデキヤ王にエレミヤを殺すことを訴えます。ゼデキヤ王は「好きにするがよい」と答えます。彼らはエレミヤを捉え、泥の井戸に抛りこみました。エレミヤはそのまま死んでしまうところでした。これを知った宦官エベド・メレクはゼデキヤ王に訴えます。宦官は王から腹心の友のように信頼されていました。エレミヤは宦官エベド・メレクの手によって命が助かります。ゼデキヤ王もイスラエルの民もエレミヤの預言に耳を貸しませんでした。エレミヤの預言通りバビロン王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着しました。そしてバビロン王はイスラエル王ゼデキヤの両目を潰し、青銅の足かせにつないでバビロンに連行しました。エレミヤの預言を信じてカルデア軍に投降していれば、このようなひどい状態でバビロンに連行されることは無かったのです。
現代も当時のような混沌の時代です。それだからこそ私たちは神に信頼し、聖書の御言葉に耳を傾け、祈る事が求められています。どの様な中にあっても真の共同体として揺らぐことなく、信仰を守り抜いて行くことにこそ、私たちの歩む道があるのです。

説教要旨(7月21日)