「わたしに従いなさい」

加藤智恵牧師
ヨハネによる福音書21:15-25

午前10時15分、共に礼拝を守ることが出来る恵みに感謝します。しかし、共に礼拝堂に集い、大きな声で讃美歌を歌い、御言葉が語られる礼拝は何物にも、変え難い喜びであることを感じています。
コロナウィルスの感染拡大は、世界中に大きな影響を与えています。何故このような、悲惨な状況が世界中に起こってきたのか?ある専門家が、動物たちが居場所がなくなって、人間に接近している。動物からウィルスが感染している事も考えられる。動物たちも安心して生きられる、新しい生態系を考える時が来ている。と言うような内容を語っていました。
新鮮な言葉が心に止まりました。
先週は岸辺に立つイエス様と弟子たちの朝食の姿がありました。弟子たちと共に分け合って食べるパンと魚は聖餐式の原型と言われています。
本日はその続きです。食事が終わった後、主イエスは3度ペトロに、「誰よりもわたしを愛するか?」と問われました。ペトロは3度も主イエスが、このように尋ねられるので、悲しくなりました。3度主イエスを否んだことを、改めて思い起こされる思いでした。しかし、ペトロは、復活のイエスに会って、許されている自分を知り、これからは、主イエスのためならば、命をも捧げることができるという思いがペトロの心を支配していました。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしが、あなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えました。
主イエスは、3度「わたしの小羊を飼いなさい」「わたしの羊の世話をしなさい」「「わたしの羊を飼いなさい」とペトロに言われました。キリスト教の草創期に、教会の指導者として、立てられるペトロの責任と使命は重大でした。主への愛と献身に於いて、他の使徒たちに優るものを身につける必要がありました。そして、これから、ペトロがどの様なことで、神の栄光を現すかを語られました。彼は、行きたくないところへ連れて行かれる。ということは、今後は、ペトロは重い責任を負わされて、十字架に架けられることになる。殉教の死をとげて、主イエスが栄光を現されたように、ペトロも同じ道を歩み、栄光を現すことになることを預言されました。このように主は「わたしに、従いなさい」と命じられました。
ペトロの後ろには、いつも、一緒だったヨハネがいました。ペトロはヨハネを心配して「主よこの人はどうなるのでしようか?」と尋ねています。
ペトロとヨハネは、召された使命が違っていました。ヨハネの任務は、イエス・キリストにおいて啓示された真理を証しし、主が栄光の内に再臨される前に、キリストへと人々を導くことでした。主イエスは、ペトロとヨハネの歩むべき道が異なっており、しかも、互いに他人を省みることによって、心を乱してはならないと言われます。
私たちの受ける賜物もそれぞれに違っており、主の定められた道も違っています。主は私たちにも、ペトロと同じように「わたしに従いなさい」と言われています。わたしたちの関係には、主が主体的に関わってくださり、互いに主にあって、兄弟、姉妹ですが、主のご計画はそれぞれに違っています。お友達関係ではないのです。「わたしに従いなさい」と主は、私たちにも呼びかけておられます。
祈り
父なる神よ、御名を賛美します。弱い私たちですが、主がいつも、助け導いて下さることに感謝いたします。建設地には、黄色と白い、ラッパ水仙が咲き乱れていて、タンポポの花が絨毯のように敷き詰められていました。労苦と願いが込められた、建設地を見て、多くの人々の祈りが込められていることを、厳粛に受け止めました。今新型コロナウィルスが蔓延して、多くの方々が、困難を抱えながらもウィルスと闘っておられます。主よ、憐みと平和を世界中の人々に、そして、大地に与えてください。私たちは、この週もあなたに従ってまいります。導いてください。
イエス様の御名によって祈ります。 アーメン。

説教要旨(5月3日)