2022年1月2日礼拝説教要旨
当たり前(ルカ2:41~52)
松田聖一牧
田中正造という方がいました。栃木県の足尾銅山の公害問題のために、先頭に立っていろいろと運動をされた方々です。国会議員もされたり、いろいろと活動されました。公害問題を何とかしたい、そこで苦しんでおられる方々を助けたいという思いで、当時の明治天皇に直訴をしようとします。しかし結局は渡良瀬遊水地がつくられることになり、そこにあった谷中村はなくなり、そこに住んでいた人々も移転させられていきます。では移転するように命じられた時、村人が全員素直に従ったのかというと、移転した人たちもいましたが、ギリギリまで村に留まり続ける方々もいました。でも集団移転の命令に背いて留まり続けるということは、周りからの誹謗、中傷だけではなくて、生活するためのいろいろも不自由になっていくということです。留まり続けるということにメリットがあるかというと、ないと言っても過言ではありません。ですから、そこから逃げ出したい、とどまり続けることを止めたい、という気持ちが出てきて当然と思います。生活に差しさわりがあるからです。でもそこに最後まで、ギリギリまで留まり続けた谷中村の方々のために、田中正造も力を尽くしていきます。
皆が集団移転していく中で、とどまり続けていくことは、美談として語られることも時にはありますし、武勇伝のように紹介されることもありますが、実際にそこに留まり続けるということは、大変です。言葉では言い尽くせない、言葉を越えた困難があります。そこに留まるということは、苦労しかないし、辛いこと、悲しいこと、それしかなかったと言えます。しかしそこに留まり続けた人々がいたこと、そのために力を尽くした人もいたという歴史の一コマがあります。
なぜこのようなことを紹介させていただくのかというと、イエスさまが、エルサレムに残っておられたのも、それと同じだからです。というのは、イエスさまが「エルサレムに残っておられた」という、この言葉の意味は、逃げ出さずにとどまっていたとか、持ちこたえていたとか、耐えて、耐え忍んで、そして待って、待ち望んでいたという意味です。ただ単に、エルサレムに留まって、学者たちの話を聞いたり、質問したかったから、ではなくて、むしろイエスさまは、エルサレムから逃げたかったし、持ちこたえられない状態であり、耐えられないようなこともあったんです。しかも両親が「帰路についたとき」すなわち、帰路に就いた両親の向かう方向に一緒に向かっていくのではなくて、両親の向かう方向とは向きを変えて、両親から離れて、残っておられたということでもあるのです。
なぜそこまでしてエルサレムに残っておられたのでしょうか?なぜ耐え忍び、逃げ出そうとしなかったのか?なぜ両親から離れて、両親の向かう方向とは違うエルサレムに残るという方向に向かっていくのか?12歳の少年です。残りたかったわけではないのに、逃げ出したいのに、どうして逃げ出さずにとどまっていたのでしょうか?
それはイエスさまの使命がそこにあるからです。自分自身の気持ち、思いはエルサレムから逃げ出したい、です。でも神さまから与えられた計画、は逃げ出すことではなくて、留まること、そこで持ちこたえること、耐え忍ぶことです。
でもそれと同じようなことが、私たち自身にもあったとき、私たちは自分自身のこととして請け負えるか?というといかがでしょうか?耐え忍ぶことができるかというと、内容によっては、途中で逃げ出したくなることもあるし、耐えられなくなって、逃げ出してしまうこと、耐え忍べなかったこともあるのではないでしょうか?イエスさまもそれと同じようなすれすれのところを通らされるんです。でもそんな中で、ただ耐え忍ぶだけではなくて、耐え忍ぶ中で、この耐え忍ぶ、この間にも、神さまが何かをしてくださること、神さまがよくしてくださることを信じて、それを待ち望めるように、私たちを強めて、それまでのいろいろな中で耐えられるように、してくださるのです。神さまは、耐えられないものは与えられないお方です。同時に耐えられそうにないものであれば、耐えられるように、耐えられるような形に変えて、そしてそこから神さまが与えて下さること、与えて下さる神さまを待ち望めるように、希望を持ち続けられるように、希望がなくならないように、神さまは、私たちのその時、その時に必要なものを与えてくださるのです。
その耐えられないようなことが、イエスさまの両親にも起こりました。それはエルサレムからの帰り、帰りの集団の中にイエスさまがいないのです。イエスさまが一緒にいるものを思っていましたが、いないのです。エルサレムに残っておられたことに気づかなかったからです。これだけを見ると親は何をしているのか?子どもがいるのを確かめるのは当然でしょうと思われるかもしれません。しかし、この時の巡礼は、半端なく人々がひしめき合う感じです。
ここ2年ほどはなされませんが、新年の福袋の販売というのが、どのデパートでも、他のお店でもなされていました。初売りの時に、販売され、中にはとてもじゃないけれども買えないような、高価なものもありましたので、その福袋の販売の日には、開店前から長蛇の列で、開店と同時にその売り場に人々が突進します。猪突猛進と言ってもいいほどの勢いです。すごい人だかりです。手がこっちあっても体が抜けないほどです。人々が本当に集まり、殺到し、ひしめき合うという状態では、殺到という言葉の通り、殺し、倒すというぐらいに、ものすごいものです。本当に殺到したら、身動きが取れなくなります。どこに誰がいるかということすらわからなくなります。ですから、ヨセフ、マリアがイエスさまも集団の中にいるものを思っていたというのは、この目で確認できる状態なのかというと、そんなどころじゃない、人々がひしめき合う中で、どこかにいるという感覚です。つまり、親の監督不行き届きということとは一概に言えない中で、いないということに気づかされた時には、エルサレムから一日分の道のりを行ったところで、イエスさまがいないということに気づいたので、血相を変えて捜しまくるんです。両親だけではない。親戚や知人の間を捜しまわるのです。捜索です。捜索というのは、本当にすごいです。場合によっては、捜索隊の方々が横一列になって、10センチ、30センチずつといった一歩一歩確認しながら、少しのことでも見逃さないようにするほどに捜索することもあります。目を皿にするという表現そのものです。でも見つからないのです。12歳の子どもがいない、巡礼の旅行団がひしめく中で見つからないということは、12歳のイエスさまの命に関わる出来事ですから、両親は、見つかるまで捜そうとします。そうして「捜しながらエルサレムに引き返した」そしてエルサレムでも捜しまわった、それが3日間続くんです。3日ということは72時間です。72時間と言う時間は、生きるか死ぬかという時間です。もしものことがあったら・・という思いがよぎったと思います。
そうであっても両親の心も、体も、すべてが子どもであるイエスさまに向いていくのです。もしものことがあったら・・・という不安も含めて、何もかも投げ出して、イエスさまに向いています。だからエルサレムの神殿の境内にいて、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた時、「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」ということがあっても、この母の言葉「なぜこんなことをしてくれたのですか。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」は、イエスさまを叱り飛ばしたいということ以上に、イエスさまのことが心配で心配で、その心配と不安の思いをようやく見つけたイエスさまにぶつけているのです。
親にとって、子どもがいなくなったということは、この身に変えてでもなんとかしたい!です。このままいなくなったら、親として失格したかのような、そんな思いにもなります。親にとって、親よりも子どもが先にいなくなるということは、耐えられません。だから怒っている言葉、腹を立てている言葉であっても、
「なぜこんなことをしてくれたのですか」は、親の子を思う思い、イエスさまを思う思い、イエスさまを愛する愛の1つのあらわれではないでしょうか?
だからイエスさまが「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われても、その意味が分からなかったというのは、当然です。親としては子どもに対する思いで精一杯です。親にとっては子どもを守ること、巡礼の旅で親と一緒にいるということは、親にとっては当たり前です。それが当たり前ではなくなったので、ヨセフも、マリアも大いに揺さぶられ、苦しんでいるのです。精神的苦悩の極みです。
そういう親であるヨセフ、マリアの気持ちも含めて、自分がいなくなったことに対する心配、親から離れていた時の、その親の思いも含めて、イエスさまは、神さまとして全部受け取りながら、イエスさまへの愛情がどれほどであったか?親自身が、どんなにイエスさまを愛していたか?ということを、イエスさまがいなくなったということを通して、その思いが確かにあったという事を、イエスさまはここで見せてくださるのです。
人を愛する愛というのは、普段はなかなか表には出ないこともあります。愛するということを、どう表現して良いか分からないこともあります。でもイエスさまは、親との関係の中で、親自身がどれほどにイエスさまを愛していたか!と言うことを、親を試そうとしたのではなくて、本当にヨセフ、マリアにあったということを、イエスさまがいるものと思っていたその当たり前が、当たり前でなくなった時に初めて、それを引き出してくださるんです。
ちいろば先生物語という三浦綾子さんの作品の中で、ちいろば先生こと榎本保郎先生が、行方知れずになってしまう出来事が紹介されています。人生に行き詰まり、いろいろな思いを抱えて放浪して、音信不通になってしまった先生を、お父さんが捜しまわります。淡路から京都まで行って、ここにいるんじゃないかという目星をつけていきます。そうしてやっとのことで見つかった時、お父さんは、息子に向かって「保郎のあほう!!あほう!あほう!生きていて良かった!」と言って、おいおい泣きながら抱きしめていました。
イエスさまを両親は必死で探しました。両親は、イエスさまを本当に愛していました。その愛が、今ここであらわされたのは、イエスさまを捜すことによって、自分の行きたい方向ではなくて、イエスさまがおられるエルサレムに、向きを変えさせられることになりました。それは両親を、イエスさまがおられる方向と、イエスさまへの愛に導く為でした。そして本当に、イエスさまを愛するという愛があったということに、イエスさまがそこにいたので、出すことができました。イエスさまへの愛、それは、いるはずのお方がいなくなったという、当たり前でなくなった思わぬ出来事を通して、自分が行きたい、自分が今向かっている方向から、イエスさまへと向きを変えさせてくださるのです。その中で、イエスさまをひたすら捜し、求めていくことを通して、イエスさまに全身を向けて、イエスさまに向かっていき、そしてイエスさまに出会うという道が両親にも与えられ、つながっていくのです。それがイエスさまの当たり前だったのです。