「立派な信仰」

加藤 智恵 牧師   マタイによる福音書 15章21~31節

 

 主イエスは急激に高まった律法学者やファリサイ派の憎悪から逃れるために、国境を越えて異邦人の地ティルスとシドンの地に行かれました。するとそこにかつてパレスチナの先住民であったカナンの女が出て来ました。そして「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんで下さい。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫びました。イエス様を主よと呼び、ダビデの子と認識していたカナンの女は、主イエスに対する評価と知識がかなり深いものであることが分かります。カナンの女は悪霊に取り付かれた娘のために苦しみ、主イエスに救いを求めました。主イエスは人々が救いを求めて来られることを待ち望んでおられるお方であるのに、何もその女にお答えになりませんでした。弟子たちの信仰はしばしばイエス様を失望させます。「先生、なぜお答えにならないのですか」と執り成す弟子は一人もいなかったのです。さらに弟子たちは「この女を追い払って下さい。叫びながらついて来ますので」とまで言います。このように弟子たちは人間の弱さと不信仰をたびたびあらわにします。

 イエス様はカナンの女の叫びに「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と敢えて言われます。エゼキエル書34章11~14節の預言によるものです。しかしカナンの女はイエス様のその言葉にひるむことはありませんでした。イエス様には不可能なことは一つも無いと信じていたからです。カナンの女はイエス様に更に近づき、ひれ伏して「主よ、どうかお助け下さい」と頼みました。どこまでも主イエスを信じ、自分を低くして懇願するのです。主イエスは「子ども達のパンを取って、小犬にやってはいけない」と言われました。子ども達は成長するために、パンを必要としています。その大切なパンを取って、小犬にやってはいけないのだ、と主イエスは言われました。カナンの女はイエス様の言われていることを理解します。そしてカナンの女の信仰は確かでまた聡明でした。「主よ、ごもっともです。子ども達のパンは大切です。しかし小犬も主人の食卓から落ちたパン屑は頂くのです」と答えます。カナンの女はパン屑でも頂くことができれば充分であると信じました。

 主イエスはカナンの女の言葉を聞いて、「婦人よ」と言われ「あなたの信仰は立派だ。」つまりあなたの信仰は賞賛に価する、と言われました。そしてあなたの願い通りになるように!とお言葉を掛けられたのです。イエス様があなたの願い通りになるように!とお言葉を掛けられた時に、悪霊はただちに娘から出て行ったのです。カナンの女は異邦人ではありましたが、霊的な世界に生きている女性だったと言えるでしょう。

 主イエスは異邦人の地から去って、ガリラヤの畔に行かれました。そして山に登って座っておられた。ということは、主イエスが教えを与えられる姿勢を表しています。大勢の群衆が、異邦人がイエス様のところに病いを持った人を連れて来ました。イエス様の足もとに横たえられた病人を、イエス様は癒されたのです。イエス様は病いを持った人々を憐れに思われて癒されたのです。病いばかりではなく、私たちが真実の信仰を持って、イエス様と向き合う時、全ての悩みや煩いは自ずと消えて道が開かれて行くのです。そのことに感謝し、課題に向かって信じて歩んで行きたいと願っています。

説教要旨(2月7日)