2024年4月28日礼拝 説教要旨

迫害の中で(ヨハネ15:18~27)

松田聖一牧師

 

140年を迎えた教会の歴史を振り返る時、この教会には極めて大切な歴史史料が保存されています。日本のプロテスタント教会の中でも、第一級の資料です。それらのものが、今日に至る迄、大切にされているということは、教会の歴史史料を正しく取り扱うことを、当時の方々が、すでに習得しておられたということでもあります。

 

そんな中に、10人から始まった教会の方々と、歴代の先生方のお名前が出てきますが、その中で戦前から戦中、戦後にかけて牧会された先生の、当時を振り返って綴られた中に、昭和20年8月15日、日本が戦争に負けた日からのことが、こう記されています。

 

8月15日を境として特高警察は廃止、神道と国家とは分離され、天皇の神格化は禁止となり、宗教活動は自由となった。しかし、人心はいわゆる虚脱状態であり、一般人は直ちにキリスト教会に結びつくわけではない。このまま手をこまねいているに忍びず、町内の伝道館牧師故飯塚先生と共に路傍に出て、街頭伝動を行った。信徒では上田梅子さんが「わらじ・たっつけ」姿で、他に1、2名の方と一緒に応援に駆けつけてくださった。その姿が今も記憶に残っている。人々が教会に集うようになったのは、20年のクリスマスの前後であろうか、また、翌年頃であろうか。戦時中から東京方面から疎開されて教会に加わられた方に、かつての阿佐ヶ谷教会牧師飯沼先生ご夫妻がおられた。内山家の親戚で、内山家の離れに住んでおられたが、クリスマスの集会の席上にて、戦時中、太平洋上にて戦死された東大助教授であられた、ただ一人のご子息のことを証しされ、両眼をこぶしでおさえつつ「断腸の思いとはこのことであろう」と語られ、しかし、このことによって「その独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった」神の御心が少しでも分かるようになったと、語りつつ、上を仰がれた姿を思い出す。・・・

 

特高警察に見張られての礼拝、どんな礼拝だったのでしょうか?どのような形で守られてきたのでしょうか?その時の、教会に連なる方々の信仰生活は、どんなだったでしょうか?そして戦争によって、大切な一人息子さんを亡くされた、ご両親の思いはいかばかりだったでしょうか?理解することはできません。ただ想像するしかできませんが、そういう戦時下、迫害下における教会の歴史と、大きな悲しみを抱えながらも、そこに生きた方々、そして教会を守り続けた方々が確かにいたということと、その中で、良かったと感じることも、反対にそうではない、辛く悲しい出来事も刻みながら、140年を迎えていることを、今、私たちも覚えるのです。

 

さて、そういう辛く、悲しい出来事は、そもそも何が出発点なのでしょうか?どこから始まるのでしょうか?それは、今日の聖書の御言葉にある、イエスさまのこの言葉、「世があなたがたを憎むなら」の「憎む」に現れています。この「憎む」という言葉には、斥けるとか、選ばない、軽視しているという意味もあります。そして、世があなたがたを、斥け、軽視する、軽く見るということがあるから、「憎む」ということがあり、それがあるなら、という意味は、もしも憎むなら、という意味ではなくて、憎むのだからという意味なのです。つまり「世があなたがたを憎む」ことが、もしかして起こるかもしれないとか、もしも起こったらということではなくて、起こるのは当然のことなのだから、です。

 

ということは、憎む人がいるということです。斥け、軽視し、軽く見る人がいるのです。見方を変えれば、斥け、軽視し、軽く見る人は、憎んでいる人なのです。えっと思われるかもしれません。斥けているだけでしょ?軽く見ているだけでしょ?と思われるかもしれません。しかし、イエスさまは、そういうことが憎しみであるとはっきりおっしゃられるのです。そしてそういう思いがあるからこそ、その結果、形はいろいろであっても、礼拝が監視され、自由が奪われていくのです。憎むことで戦争があり、命が失われていくのです。戦争を体験されたある91歳の方が、おっしゃいました。「戦争で何も得ることはない。失うことだけだ・・・」しかし、そんな憎むこと、憎しみを抱くことは、楽しいことではないはずなのに、なくなりません。それなのに、憎しみを抱え続けることは、その人にとっても、重くしんどいことです。でも、そういう憎むこと、憎しみというものが、どうして人の中に、生まれてくるのでしょうか?

 

憎しみはどこから来るのかについて、こんな一文があります。

 

人はいつどのようにしてなぜ誰かを或いは何かを憎み始めるのだろう。少なくとも一つ確からしいことは、憎しみをいだかせるものは、その人にとってひどく堪え難いこと、つらいことであるに違いない。そして、それを自力で取り除くことができず、それによって引き起こされる苦痛を受け続けなければならないとき、憎しみはその人にとって持続的な感情となり、心を蝕んでいくのだろう。

 

つまり、憎むというのは、何もないところが出て来るのではなくて、その人にとって、ひどく耐えがたいこと、辛いことが、その人の心を支配し、心をむしばんでしまうところから、出て来るのです。そのひどく耐えがたいこと、辛いことは、人によって、様々です。でもそれを抱えたままでいると、それがひどく耐えがたいこと、辛いことを、自分に起こした人あるいは、出来事に対してだけではなくて、それとは関係ない別の方向にも、その憎しみが向かってしまうこともあるのではないでしょうか?そしてその憎しみが、さらに憎しみを生み、広がり、憎しみの連鎖となっていくのです。

 

そういう意味で、憎しみは、そのまま放っておけば、あるいは時間が経てば、自然に消えていくものではありません。どこかで止めないと、どこかでストップをかけてもらわないと、憎しみはいろいろな人を、いろいろなものを追いかけ、追い詰めていくのです。そして憎しみは、憎しみを抱えてしまった、その人自身をも、追いかけ、追い詰めてしまうのです。それが迫害となっていくのです。

 

イエスさまは、憎しみがそういうものであることを、知っておられるのです。だからこそ、「あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」とおっしゃられるのは、あなたがたを憎む憎しみ、憎しみに繋がる人を斥け、軽視するということを、まずイエスさまが受け取ってくださり、ただ受け取って下さるだけではなくて、その憎しみにイエスさまは、命をかけ、体全体で、命全体で、立ちはだかってくださり、それ以上に広がらないように、ストップをかけてくださるのです。

 

それは、憎しみを抱えていることが、どんなに苦しくて、辛いことかを、誰よりもイエスさまが分かっておられるからです。人を憎むのはもちろんよくありません。それはしてはいけないことです。でも、そういう思いを、抱かざるを得なくなってしまった人に対しても、イエスさまは、何とかしてその憎しみから解放したいのです。だからこそ、神さまであるイエスさまの方から、憎しみを受け入れるゴミ箱のように、その憎しみに繋がる、悲しく辛かった出来事、その時に、どうすることもできなかった、その人の言葉にならない思いでさえも、命をかけて、命そのものをもって、受け取っていて下さるのです。

 

かつて、学校帰りに教会に寄ってくれた、高校生の子どもたちがいました。その子たちは、家に帰る途中に教会に立ち寄ります。教会で勉強し、教会でおしゃべりをし、それから家に帰っていきました。家に帰る前に、教会に来るのです。その時、おかえりと言って迎えいれることが、よくありました。そんなある時、一人の子が、玄関に入るなり、浮かない顔をしているんです。「は~」とため息をついて、「面白くない!つまらない!」何が面白くないのか、つまらないのか、その時は、何を言っているの?という感じになりますが、でもそれは、こちらに向けている言葉ではありません。その時の、素直な気持ちです。だから、は~と言いながら、それまでにあった、いろいろな面白くなかったこと、つまらなかったことを、しゃべってくれるのです。それをふんふんと聞いていくうちに、だんだん落ち着いて来たようでした。そして、最後に、一緒に祈りました。祈りが終わると、いい顔になっていました。面白くない!つまらない!と言っていた、しかめっつらな顔が、ほころんで、最後は、にこにこして、今度は本当に家に帰っていきました。

 

祈りを通して、神さまが、面白くない、つまらないと言っていたこと、そう言ってしまう気持ちも、全部受け取って下さいました。その子から、最近連絡がありました。聖書を読みたいと思うのだけど、聖書はどこに売っているか?というお尋ねでした。東京の銀座にある教文館に行けば、いろんな種類の聖書があるから、行ってごらんと伝えました。行ってみるということで、きっと買いに出かけたと思います。その時、元気?とラインしましたら、こんな返事が返ってきました。「ぼちぼち元気です」何とか元気ですではありませんが、ぼちぼち元気だということで、続けて祈りに覚えたいと思います。

 

「あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。」イエスさまは、あなたがたよりも、私たちよりも前に、憎むということを受け取っておられます。そしてその約束を、弟子たちは、イエスさまから受け取っていくのです。でもそれから何の問題もなく、辛く苦しいことがないのかというと、そうではありません。幾多の困難が待ち受けていました。それは辛く、悲しいことです。

 

でも、イエスさまの言われた、「わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」ということが、実際にあっても、そしてどんな迫害が彼らを襲っても、イエスさまが、選び出して下さったという意味は、どんなに困難があっても、どんなに大きな迫害があっても、どんなに大きな苦しみと悲しみが襲っても、イエスさまが、それらのことを、あなたがたよりも先に、イエスさまが、責任をもって、受け取って下さっているということなのです。

 

それが、イエスさまの、あなたがたよりもはるかに勝って、主人として、あなたがたを守って下さるという約束です。だからイエスさまは「僕は主人にまさりはしない」と、わたしが言った言葉を思い出しなさいと、これからの弟子たちのために、いつも、先立って、幾多の困難も、イエスさまが受け取って下さっていることを、語り、それを思い出しなさいと、花向けの言葉として、彼らに贈るのです。

 

そのこれからが、21節以下にあります。弟子たちは、これから、イエスさまを遣わした神さまを知らなかった人々が、理由もなく、イエスさまを憎んだこと、十字架につけろと、みんなが言うことに扇動され、ただ付和雷同的に、イエスさまを憎んだ人々に、弟子たちは巻き込まれていくのです。しかし、イエスさまに根拠のない罪を負わせて、十字架につけて殺してしまったということは、イエスさまが、神さまから遣わされたことを知らなかったからだとしても、そこには、弁解の余地はありません。

 

それなのに、イエスさまが、そんな人々の間で、誰も行わなかった業を、彼らの間で行ったのは、イエスさまを憎み、イエスさまを斥け、イエスさまを軽く見るという罪が、彼らの中にあったからです。そしてそれはまた弟子たちも、同じです。なぜなら、イエスさまを十字架につけろとは直接言ってはいなくても、イエスさまを十字架に、直接つけてしまったわけではなくても、イエスさまのことを知らずに、イエスさまを十字架につけろと言った、その人々を恐れ、自分自身を守る、自己保身ゆえに、イエスさまから離れていったことも、人々と何ら変わらない、同じ、イエスさまを憎むということをしてしまっているのです。

 

それでもなお、イエスさまは、人々を、弟子たちを赦して下さいました。じゃあ、それで終わりなのかというと、そうではありません。「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから」赦して下さったイエスさまが、初めから一緒にいたお方として、ただ赦して下さったで、終わりではなくて、赦された後の、これからを、弟子たちに与えて下さるのです。

 

それは何でしょうか?それは、これまでを赦し、これまでを守り導いてくださったイエスさまが、これからのことも、守り導いて下さる、そのことを、そのまま証しすることができるように、その時、その時に、必要なことを与えてくださるのです。

 

ある一人の方が、教会に導かれて洗礼をお受けになられました。それまではその方の奥さんが、教会に通っておられました。ご主人であるその方は、信仰を勧められても、なかなか頑固でいらっしゃいました。現役時代は、やくざの方々と論じ合ったことなど、向こう意気の強い方でしたが、やがて奥さんの祈りが聞かれて、同じ信仰を持たれるようになりました。その時に、出会った讃美歌がありました。それからは、その讃美歌が愛唱歌となり、この歌をよく歌われました。そして、しみじみと、「この歌はいい~本当に心にぐっとくる~」と何度も何度もおっしゃっていました。そして病床にふされてからも、この讃美歌を歌うと、目をつぶって、うんうんとうなずいておられました。

 

このまま、という讃美歌です。この讃美歌は、ノルウェーのエンゲセットという先生が作詞、作曲をされた讃美歌です。

 

このまま、われを愛し召したもう。罪と汚れかこむとも。深き悩み襲うとも、主のもとに迎えたもう。このまま。このまま、罪と汚れとりたもう。十字架の主の血によりて、父のもとに迎えられ、神の子ととなえらる。このまま。このまま、神の愛に包まる。神のまもり尽きざれば、御国に入るその日まで、主によりてやすきあり、このまま。

 

今は、この讃美歌をご夫婦で天国で歌っておられると思います。このまま、我を愛し召したもう・・罪と汚れ囲むとも、深き悩み襲うとも、主のもとに向かえたもう、このまま。

 

このままと言う姿は、イエスさまを憎み、斥け、軽く見るという罪の姿であり、それがこのままのわたしの姿です。しかし、そういうこのままの私たちであっても、「初めからわたしと一緒にいたのだから」とイエスさまは、このままの私たちを、赦して受け取って下さり、このままの私を、神さまの子どもとしてくださっています。そんな、このままのわたしに、してくださったこと、を、そのまま語ること、それが証しです。

 

私が何かをしたということではなくて、私にイエスさまが、してくださったことを、そのまま語ればいいのです。

説教要旨(4月28日)