2024年2月4日礼拝 説教要旨

歩きなさい(ヨハネ5:1~18)

松田聖一牧師

 

インドのカルカッタに、マザーテレサさんという方がいました。1979年ノーベル平和賞を受けられ、日本にも来られた方ですが、そのマザーテレサさんが、1952年、インドのカルカッタで、路上で倒れている方々を収容し、お世話をする家「死を待つ人の家」を作りました。その家に、倒れている方々を受け入れて、他のシスターの方々と一緒に、お世話をしていかれるのです。やがてそこで亡くなられる方もありました。また元気になられて、そこからまた自分の家に帰られた方もいらっしゃいましたが、その働きを通して、こんな言葉を遺しています。「最も大きな苦しみは、やはり孤独です。愛されていないと感じることですし、だれ一人友がいないということなのです」本当にその通りです。誰一人友がいない、誰一人気遣ってくれない、誰からも必要とされていないという、孤独は、病気の苦しみ以上に、大きな苦しみです。だからこそ、インドカルカッタで、路上に倒れている方々を、たといどんなに瀕死の状態であっても、人として受け入れ、孤独にさせないのです。

 

そう言う意味で、その人が病気になる時、というのは、誰かの代わりになるわけではなくて、自分がなるわけです。その苦しみも、そばに誰もいないという孤独も、自分が置かれたことを誰も理解してくれないという孤独も、全部自分が味わうことになるのです。そういうことが重なり合って、その人自身を苦しめます。でも、その苦しみを、その人に代わってあげることは、誰もできません。

 

その苦しみを背負いながら、ベトザタと呼ばれる池と、そこにある5つの回廊に、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢集まっていました。病室ではないところに、大勢横たわっているという光景は、野戦病院のような、想像をはるかに超える出来事です。しかも横たわっていた人々を、誰かがお世話くださっているとか、心配している人がいるとか、そういう人がいたとは、記されていません。そして集まった人々は、お互いに、病人ですし、目が見えない、足が不自由とか、体が麻痺している状態で、横たわっていますから、ぱたぱたと動き回れる人たちではないのです。ですから、お互いを顧みるとか、お互いを気遣うことよりも、むしろ、自分が治りたい、自分が癒されたい!その一心です。そして、ベトザダ池の水が動いた時、一番最初に入った人が癒されるという言い伝えに、一縷の望みを抱いて、ここにいるのです。

 

ここに集まっている人々は、最初から病気だった方ばかりではないでしょう。

元気な時がありました。目の見えない人にとっても、目が見えた時がありました。足の不自由な人にも、自由に歩くことができた時があったのです。麻痺の方にとっても、そうです。自分の思う通りに体を動かせた時があったのです。でも今は、そうじゃないのです。だから、もう一度、元通りになりたいというのは、当然ですし、自然な気持ちではないでしょうか?それは、38年も病気で苦しんでいた人も同じです。しかもこの人は、38年間という、当時の平均寿命を遥かに越える年月、苦しんできました。そして、家族からも離れ、故郷からも離れ、社会からも引き離されるという、孤独を背負い続けているのです。それはまた人として、誰かと関わるとか、一緒に何かをするといった、人との関係からも切り離され続けた日々であり、生きる意味すらも感じられなくなっていた日常ではなかったでしょうか?そうなりますと、その人は、人であっても、人ではなくなってしまいます。しかし、イエスさまは、その人を、「病気で苦しんでいる」「人」として見てくださり、その人が、「横たわっているのを」見て下さったのは、彼のこれまでの病気と、その苦しみの中で味わった、本当に辛かったこと、孤独になり、本当に寂しかったことなど、何もかも分かって見ておられるのではないでしょうか?

 

イエスさまはそういうお方です。ただ単に、今病気だとか、目が見えないとか、足が不自由だとか、麻痺しているとか、そこだけを見ておられるのではなくて、その病の中で、どれだけ苦しんだか、どれだけ悩んだか、どれだけ寂しい思いをし、辛い思いをしたか、そういうことを何もかも、見て、分かっておられるのです。

 

だからこそ、この人に「良くなりたいか」あなたは病気がなおることを、望んでいるか?と尋ねたときも、「病人は答えた」この人は、自分が人としてある、とは受け入れられていなくて、病人になっていても、それでもイエスさまは受け入れているのです。しかも良くなりたいかとイエスさまが尋ねているのに、良くなりたいですとか、ではなくて、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と、イエスさまの、「良くなりたいか」という問いの答えにはなっていなくても、それでもこの人の全てをイエスさまは受けとっておられるのです。

 

だからこそ、イエスさまに、「わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。」わたしを誰も顧みてはくれないという、孤独をも、イエスさまに、話せるんです。もう既にこの人は、池の中に入れることを、諦めかけていたのかもしれませんし、人生のほとんどを病人として過ごしてきましたから、病人であることに、ある意味で安住してしまって、誰かにしてもらわなければ、誰かに助けてもらわなければ、何もできないという人生に凝り固まっていたのかもしれません。しかし、イエスさまは、この人に、ああかわいそうとか、お気の毒といった、共感するようなことは何一つおっしゃられないんです。むしろ、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」誰かにしてもらうということではなくて、自分で、自分から起き上がりなさい、自分から床を担いで歩きなさいと、おっしゃられるのです。それは、人に助けてもらわなければ、人に施してもらわなければ、何もできないという、助けてもらう生き方から、また自分が治らないのは、池の中に入れてくれる人がいないからだと、周りの人のせいにするという生き方から、立ち上がって、新しい生き方へと導くためではないでしょうか?

 

だからこそ、「起き上がりなさい」という、この言葉の中に、復活させる、引き上げるという意味があるんです。復活ということは、それまでの生き方から、新しい生き方、新しい命、神さまと共に生きる命に生きるということです。その結果、この人は、一人であっても、孤独であっても、その一人の私と共に、神さまがいてくださり、神さまの命と共に、神さまと共に生きる命となって、神さまに向かって生きるということに向かって、立ち上がることができるのです。そしてイエスさまは、「床を担いで歩きなさい」と言われるのも、この言葉にあるもう1つの意味、船の錨を上げ、出帆、港から目的地に向かって、出発できるように、導いてくださるためなのです。錨というのは、船が港に着いた時、船が動かないようにするための重りです。その時、錨を海に降ろします。その錨が降ろされている間は、船はそこに留まり続けます。そこから動きません。でも、その船の錨を上げたとき、船は海に向かって進み始めます。しかしその時、重い錨を上げる作業が必要です。それは楽なことではないかもしれません。大変なこともあるでしょう。しかしそうであっても、イエスさまは、「床を担いて歩きなさい」と、それまで自分が寝床として使っていた、その床を自分が担いで歩けということだけではなくて、その人が、これまでの、人に助けてもらわなければ、自分では何もできない、それこそ、人にやってもらう生き方から、神さまと共に生きる命となって、神さまに向かってイエスさまと共に歩み出せるように、新しい出発を与えて下さるんです。「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした」それまでの病人から、その人は、神さまに向かって生きる、人間となれたのです。

 

私たちはどうでしょうか?自分が苦しみの中にある時、身動き取れないでいる時、助けていただきます。その時は、助けていただく必要がありますから、その時には、助けていただいたらいいのです。しかし、誰かに助けていただくことが、当たり前のようになってしまうと、自分から何かをしようということが、できなくなっていくのではないでしょうか?だからこそ、「起き上がりなさい」と、イエスさまは、人に頼ることばかりではなくて、その錨を上げて、神さまと共に生きる命、神さまと共に歩む生き方、イエスさまに従うという、新しく出発へと導いてくださるのです。そのために癒し、良くなったと言える状態へと変えて下さるのです。

 

その時、ユダヤ人たちは、「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない」と、この人が、癒して頂いたということを認めながらも、床を担ぐということは、安息日に労働をしてはならないという決まりに抵触するということで、「床を担ぐことは」「あなたに」許されていない、あなたは、床を担いだので、律法で許されていないと言うのです。

 

このユダヤ人たちの言っていることには、矛盾があります。というのは、安息日にしてはいけないという決まり、律法で許されていないというのであれば、癒したことも認められません。ところが、彼らはこの人が、癒されたこと、この人を癒すということは、認めています。しかしその一方で、床を担ぐということは、労働に当たるから、その行為そのものが許されていないと言っているのかというと、「あなたに」あなたには、床を担ぐことは、許されていないということなのです。つまり、この人はダメだけれども、この人以外の他の人であれば、許されるということになります。でもそれは、安息日に労働をしてはいけないという決まり、律法を間違って使っていますし、この人はだめで、この人ならいいということは、ユダヤ人たちが、人を区別し、色分けしているのでしょうか?

 

いずれにしても、癒して頂いたこの人は、ユダヤ人たちが、いろいろ言うことに対して、その同じ土俵には決して上がらないのです。全く我関せずなんです。ユダヤ人たちの仲間にもなろうとしていません。つまり、癒されたこの人は、誰にも付かない、という孤独の中にあるのではないでしょうか?しかし、それは独りぼっちではありません。確かに、仲間を作るとか、池の中に一番乗りができて、治った人々と一緒になってはいなくても、一人の私と共におられる、イエスさまに、出会っているのです。

 

だから、周りがいろいろ言っていることに、振り回されていないのです。ただ「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と、自分自身に起こったこと、私に関わり、床を担いで歩きなさいと言ってくださったお方がいたからと、あったことをそのまま語っていくのです。そして癒して下さったお方は誰だと尋ねられても、「それがだれであるか知らなかった」と、知らないことは知らないと、そのまま語っていくのです。

 

その後、イエスさまはこの人に出会ってくださるのです。それはこの人がイエスさまを捜したから、イエスさまがこの人に出会ってくださったのではなくて、イエスさまの方から、この人を尋ね求め、この人を探し出してくださったのです。そして出会ってくださったイエスさまは、この人が、「わたしを池に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と、誰かに、頼ろうとし続けてきたこと、自分が治らないのは、ほかの人が、先に降りて行くからだと、他人のせいにばかりして、イエスさまに向き合おうとしないでいた、その罪を、「あなたは良くなったのだ」と、この人を受け入れた上で、もう、犯してはならないと、おっしゃられるのです。

 

そして、この人は「立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。」イエスさまが癒して下さったことを、ユダヤ人に知らせたのは、イエスさまをユダヤ人たちの手に渡そうとするためではなくて、イエスさまが自分を癒して下さったことを、ユダヤ人たちにも伝えたいから、告げ知らせたいから、「自分をいやしたのはイエス」さまだと、知らせているのです。なぜならば、この「知らせた」という言葉は、イエスさまを伝えること、福音を告げ知らせるために、使われているからです。

 

つまり、彼は、イエスさまが癒して下さったことを、ユダヤ人たちがどう思おうとも、伝えたいのです。そしてイエスさまも、ユダヤ人から迫害を受け始めても、ユダヤ人が、ますますイエスさまを殺そうとねらうようになっても、それらの悪いと受け取れるようなことでさえも、越えて、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」と、神さまの働きは、そんなことでは止まらない、今もなお働いておられる。だからわたしも働くのだと、その迫害、殺そうとねらわれていることさえも越えて、イエスさまは働いておられるんです。だからこそ、そのイエスさまが癒し、出会った下さった私たちは、どんなにいろいろなことがあっても、伝えずにはおれなくなるんです。

 

140年の歴史の始まりを振り返る時、東京の築地にあった神学校で学ばれていた、神学生の方々が、高遠でキリスト教の集会、伝道を行ったのが、まだ教会が立つ前、1879年、明治12年です。その時の神学生の方々の何人かは、横浜に初めて設立された教会、当時は、公会と呼ばれていました。その教会で洗礼を受けた方々でした。そのお一人が、高遠出身の北原義道さんという方です。もともとは武士で、明治になって士族とはなりましたが、高遠から東京に出て、そこで宣教師と出会っていくのです。そして神さまを信じたとき、このお方を伝えたいと願うようになりました。ところが、体調を崩されて、洗礼を受けたばかりの時に、数カ月間高遠に帰って療養をされるんです。でも療養中も、高遠でイエスさまのことを伝えていかれ、やがて神学校に復帰され、卒業をし、教師としての任命を受けたとき、一緒に受けた中に、植村正久、井深梶之助といった方々がいらっしゃるのです。その方々が、神学校で学んでおられた時、夏期伝道ということで、高遠にイエスさまを伝えるために、来られるんです。牧師ではなくて、神学生の方々が、連日高遠で集会を開き、イエスさまを信じて行かれる方々が与えられていきました。その方々を中心に、高遠教会が生まれていきました。当時、東京からどうやってこられたのか?峠を越え、山を越えての旅であったことと思います。そんな彼らに、高遠藩の最後のお殿様の弟さんがイエスさまを信じて、協力するようになり、町の方々と出会っていくんです。後に初代町長となられる方や、伊那で金物屋さんをされていた内山民次郎さんなどと協力して、高遠に教会が生まれていくんです。しかしいつも順調であったわけではありません。キリスト教の伝道のために、宿を利用しようとした時、ダメだと言われたこともありました。その他いろいろな迫害もありました。肩身の狭い思いをされたことと思います。しかし、そんな順調ではないことが、どんなにあっても、イエスさまが私に出会ってくださったこと、イエスさまが私を捜し求めてくださったこと、イエスさまが私に、起き上がりなさい。歩きなさいと言われたイエスさまが、神さまと共に歩めるようにしてくださった、その出会いを、いろんな困難があってもなお、それらの困難を越えて、伝えていかれたのは、伝えなければならないではなくて、伝えずにはおれなくなったからです。こんな素晴らしい神さまがいらっしゃる!イエスさまは神さまだ!と伝えていくんです。そのために、イエスさまは、「歩きなさい」とおっしゃられるんです。歩きなさい、その呼びかけに応えて、歩き続けた方々を通して、与えられた教会の歴史があります。イエスさまに出会い、このお方を伝えずにはおれなくなった方々が、出かけて行って、イエスさまと共に歩まれたその恵みは、今日も、これからも続いていきます。

 

そういう意味で、140年の教会の歴史を振り返る時、それは過去に、こんなことがあった、あんなことがあっただけではなくて、その1つ1つに、イエスさまが関わり、イエスさまが捜し求めて出会ってくださった方々がいること、そして、神さまが今もなお働いておられる。「だから、わたしも働くのだ」とおっしゃられる通り、神さまであるイエスさまが、働き続けてくださっている恵みの歴史を感謝する時として、140年を迎えるのです。祈りましょう。

説教要旨(2月4日)