2024年1月7日礼拝 説教要旨

確かに見る(ヨハネ1:29~34)

松田聖一牧師

 

過越しの祭りという祭りがあります。それは神さまが、エジプトで奴隷として苦しんでいた人々を解放し、約束の地に導いてくださったことを、思い起こしながら、神さまが救い出し、導いてくださったことに感謝をささげる祭りです。その時に食べる食事の1つに、小羊の肉があります。焼いて食べるのですが、その小羊は傷のない小羊です。ではなぜ小羊なのかというと、神さまがイスラエルの人々を解放される時、その人々の家の入口の柱に小羊の血を塗ったところは、神さまが過越してくださり、その家族を守って下さった、ということに始まります。その小羊をささげる過越し祭が、それ以来ずっと、守られてきました。そして、その度毎に、人々は神さまが、救い出し、命を守って下さったことを感謝しました。

 

その祭りを、祭司ザカリアの息子である洗礼者ヨハネも、見て育ったのではないでしょうか?父親であり、祭司でもあるザカリアも含めて、その祭りを準備し、小羊をささげるという姿を、見るたびに、ヨハネも神さまが守って下さったこと、神さまが救い出してくださったことを、受け取っていたのではないでしょうか?

 

それはヨハネだけではありません。神さまが守って下さったということを感謝するということを、見て育った一人一人に、神さまが守って下さったお恵みが、与えられ続けていくんです。そういう意味で、神さまに感謝をささげるということが繰り返され、受け継がれていくことを通して、神さまがしてくださった救いの恵みが浸透し、広がっていきます。それが今日、毎週ささげられる礼拝です。その礼拝を通して、神さまからお恵みを頂き、神さまへの感謝をささげることが、2000年の間ずっと続いています。今年140年を迎えるこの教会もそうです。明治の中頃、戊辰戦争に従軍して帰ってこられた方を始め、坂下の方々が集まり、最初は会堂ではなくて、各ご家庭で礼拝が守られていました。そんな中、自由民権運動があり、日清、日露戦争、また第一次大戦、第二次大戦と戦争になってしまった時も、1941年、昭和16年にメソジスト伊那教会から、日本基督教団となっても、青木町教会と合同して伊那坂下教会になっても、そして信愛保育園を伊那市に移管することがあっても、毎週日曜日の礼拝が、ずっとたゆみなく守られ続けて来ました。献堂式ではスライドショーがありましたね。その中にも、初代の会堂で礼拝をささげてこられた方々の写真がありました。ソフトボール大会の写真もありました。なぜかネクタイ姿で写真におさまっておられる方もありました。ネクタイ姿でソフトボールをされたのでしょうか?写真に写ることを意識されたのでしょうか?いろいろ想像します。その他初代会堂のおトイレが怖かったとか、いろんなエピソードがあります。そんな出来事の中で、無牧を繰り返しながらも、一番大切な礼拝が守られ、ささげられ続けて来た、140年の歴史があります。それはまた、その礼拝を見て育った方々にとっての140年の歴史でもあります。

 

過越し祭も、この時、もう既に何千年もの歴史が積み重ねられていました。その歴史が積み重ねられた過越し祭を、見て育ったそのヨハネが、過越し祭の近づいていたこの時、(29)自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」と、言ったのは、イエスさまを、エリザベトの親戚のマリアの子ではなくて、「世の罪を取り除く神の小羊」と見て、受け取っているからです。しかも、「『その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」とまで言っているのは、ヨハネにとって、イエスさまが、ヨハネの生まれるはるか前、永遠の初めから、イエスさまが神さまと共におられたお方であるということも、分かっているからなのです。

 

でも不思議です。この時、イエスさまが世の罪を取り除く神の小羊だということを具体的に、ヨハネに見せていたわけではありません。当然、ヨハネは見ていません。しかも永遠の初めからおられた神さまであるということも、ヨハネはもとより、誰もそういうイエスさまをこの目で見ていません。だから、ヨハネは2度も言っています。「わたしはこの方を知らなかった」その通り、知らなかったのです。

 

しかし、知らなかったけれども、「この方が」すなわちイエスさまが、世の罪を取り除く神の小羊として、「イスラエルに現れるために、わたしは水で洗礼を授けに来た」とヨハネが語るのは、イエスさまがそういうお方であることを知らなかった時から、神さまはヨハネを導いてくださり、ヨハネが、イエスさまに水で洗礼を授けるという使命を与えて下さったことを通して、ヨハネに分かったのです。そのことをヨハネは証ししているんです。

 

それはヨハネだけではありません。私たちも、神さまのこと、イエスさまのことを知らなかった時がありました。知らなかったのです。そういう時には、聖書に、こう書いてあるとか、神さまが共にいてくださって、お守りくださっているということを、いくら言っても伝わらないのです。そして、イエスさまが神さまであること、そして、私たちが我ままであり、自分のことしか考えていない、我のままであることも、私たちは知らなかったのです。そういう知らなかった私たちが全部ダメだと、全否定しているのではなくて、それでも神さまは、知らなかった、私たちを知っていて下さり、私たちが、知らなかったということでさえも、また知らなかった私たちでさえも、神さまが必要として、用いてくださったということではないでしょうか?

 

今年の年賀状に、20年以上前に家庭集会に来られていた方が、亡くなられてキリスト教葬儀をされましたと、当時家庭集会を開いて、毎月毎月家に招いておられた方が、お知らせくださいました。家庭集会をありがとうございましたと添えてくださっていました。今でもよく覚えているのは、最初の家庭集会の時のことです。礼拝をおささげするために準備された部屋に案内いただいた時、その方が、開口一番に、こうおっしゃいました。「十戒という映画を見たことがあったけれど、途中まですごい映画やと思ったけれどな、人々が紅海を渡る時に、海が2つに分かれるところがあるやろ、それを見た時思った!あれは漫画や!神さま~そんなん信じられない!」とおっしゃりながら、礼拝の後には、いろいろキリスト教について、噛みついておられました。そんなものは信じられない、あれは漫画や!それを言い続けながらも、毎月の家庭集会には欠かさず来られていました。聖書を読み、共に讃美と祈りの時を、あれは漫画や、漫画やと言いながらも、一緒に過ごすひと時でした。そんなある時に、共に聖書のみことばを分かち合った時、その方は、ふと言われました。「おれのために、言ってくれたんか?」聖書の言葉が、自分に語られていると気づかれた時でした。それでも、あれは漫画や、漫画やと言い続けておられました。でもそれから20年以上経って、神さまは、その時は、そうだったかもしれないけれども、ちゃんと導いてくださったことを改めて思いました。今は天国で、先に召された奥さんと一緒に、神さまをいつも讃美し、礼拝をささげておられます。

 

実は、その続きがあります。その亡くなられた方の、ご家族のお一人は今、聖書を学んでいますと書き添えられていました。その言葉を目にした時、神さまがなさる、そのすべてに時があること、そしてその時に適って、神さまは素晴らしいことをしてくださること、神さまは何一つ無駄にはなさらないということを改めて思いました。

 

そのように、イエスさまが神さまだということが、すぐにわかるかというと、いろんな時があります。いろんなプロセスがあります。知らなかった時があったのです。しかし、神さまは、知らなかった時でさえも、見放されないのです。どんなにそっぽ向いていたとしても、神さまの方は、それでも私たちを必要とし、いつまでも共にいてくださるお方です。そのために知らなかったということをも用いて、イエスさまが神さまだということを分かるようにしてくださるのです。なぜなら、神さまであるイエスさまは、永遠の初めからおられ、そしてそのお方が、私たちに命を授け、生きるものとして形づくってくださったからです。ということは、神さまから命を与えられた私たちに、命を与えて下さった神さまが分かるようにするのは、神さまの責任です。命を与えて下さったお方なのですから、神さまが命を与えた、その人、その人に、命を与えておられるお方を知らせることは、神さまの責任において、神さまが必ずされることなのです。

 

そのために、ヨハネがイエスさまに水で洗礼を授けるのです。そしてイエスさまが、洗礼を授けられた時、ヨハネは確かに見たのです。「わたしは霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」のです。そして神さまは「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」つまり、それは、イエスさまが神さまでいらっしゃること、そしてヨハネがイエスさまに水で洗礼を授けた、その時、イエスさまが、その人に洗礼を授ける人であるということを、ヨハネは見たのです。その見たことを、そのまま証ししているのです。

 

12月24日夕方、お訪ねしたご家庭で、ご主人も一緒に、クリスマスの讃美歌を歌い、共に礼拝をおささげしました。そして何曲か賛美が終わった時、神さまを信じたいとご主人から意思表示をされました。私も含めてびっくりでした。その時、神さまを信じている?との家族の問いかけに、はっきりと返事をされていました。そこで病床洗礼式となったのでした。感謝のお祈りを共にささげました。このやりとりは、わずかな時間の中でのことでした。一瞬の出来事だったようにも思います。私も含めて、洗礼式になるとは、誰も予想していませんでした。けれども神さまは、クリスマスのイブの夜、イエスさまが生まれてくださったその喜びの知らせと共に、洗礼の喜びを与えて下さったのでした。それから1週間後、ご家族と一緒に聖餐式となりました。神さまの赦しの恵みを共にいただき、共に祈りました。「私たちの主イエス・キリストのからだと、その尊い血とは、信仰によって、あなたがたを強め、守り、永遠のいのちに至らせてくださいます。全能の神よ、この救いの賜物をもって、私たちに新しい力を与えて下さったことを、感謝いたします。どうぞ、恵みによって、私たちが、ますます主を信じ、互いに愛をもって仕えることができますように、わたしたちを強めてください。あなたと聖霊と共に、とこしえに唯一の神として、世の終わりまで生きて治められる御子、私たちの主イエス・キリストによって、お祈りいたします。アーメン」

この祈りに、アーメンと声を合わせ、共に祈るひと時となりました。

 

その時、そこにイエスさまが見えたわけではありません。しかし、洗礼式の只中にも、聖餐式の只中にも、共におられるイエスさまを、洗礼式を見ることによって、聖餐式を見ることによって、イエスさまが、その洗礼を、その人に授けてくださり、罪の赦しを得させる賜物、贈り物として、聖餐の恵みを、その人に与えて下さるお方だということを、イエスさまが、その人に分かるようにしてくださったことを、私たちも見ることができるのです。

 

ヨハネは、それを確かに見たのです。そしてその恵みを見たヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言った時、それは、世の罪を取り除く神の小羊である、イエスさまを、あなたがたは見なさい!と叫ぶ声となっているのです。あなたがたはこのイエスさまを見なさい!確かに見なさい!との叫ぶ声は、ヨハネがいたこの時だけではなく、140年の教会の歴史を貫いて与えられ続けている声となっているのです。そしてイエスさまをあなたがたは見なさい!との叫びは、これからもずっと続いていきます。

説教要旨(1月7日)