2023年8月20日礼拝 説教要旨

主の安息(ルカ13:10~17)

松田聖一牧師

 

こんな悩みを訴える方がいました。

 

悩み事ばかりで、ずっと暗闇の中にいる気分です。いつか長いトンネルも抜ける、笑顔でいればいい事ある、人に優しくしていると良くなる、・・・と自分に言い聞かせて頑張ってきたのですが、もういい加減限界に近いです。いつまで頑張ればいいのだろうかと・・・。私は疲れました。誰か、励ましてくださいませんか。

 

このようなことをおっしゃられるのには、本当にいろいろなことが、これまでにもあったと思いますし、それに耐えきれなくなっていらっしゃるのではないかと思います。そんな只中にあることを、長いトンネルという表現を使っておられる通り、出口の見えないトンネルの中にあると言ってもいいでしょう。その時、この暗闇が、いつ終わるのか、病気、苦しみなどが、いつ終わるのか、分からない状態にありますから、本当に不安だと思います。それは私たちにとっても、無関係ではありません。出口の見えないトンネルの中にあるように思う時、いつこれが終わるのか、分からない時には、何を頼りにしたら良いのかと思います。

 

18年も病の霊に取りつかれている彼女もそうです。彼女は、腰が曲がったまま、体を起こすことも、伸ばすこともできないという病にありました。その病は1つだけではなくて、いくつもの病気を抱えながら、その状態が18年続いていたということですが、それはまた病気と共に、病気による弱さ、生活の不自由さ、そして腰が曲がった状態に対する、身体的、精神的な周りのいろいろな目も、18年ずっと背負い続けていたということでではないでしょうか?今日の聖書の箇所では、この後イエスさまが彼女を癒して下さるのですが、それは読み手である私たちには分かることでも、この時点では、本人には、そうなるとは全く分からないことではないでしょうか?ですから、この時彼女にとっての18年は、18年でもう終わりとは受け取ってはいないのです。この状態がいつまで続くのか、このままずっと続くのではないか?このまま一生を終えるのではないか、という諦めに近いものもあったと思います。

 

その彼女が安息日、神さまを礼拝するために、会堂にいたのです。藁をもつかむ思いでいたのかもしれません。何を頼りに生きたらいいのか?それを捜し求めていたのかもしれませんし、神さましか頼れるお方はいないと、そこしかないという思いであったのかもしれません。そんな彼女が、この会堂にいたということを別の視点から見る時、自分の足で来ることができたというよりも、腰が曲がり、伸ばすことができませんから、誰かに助けていただいて、会堂に連れて来ていただかないと、たどり着けなかったということも、あるのではないでしょうか?そしてその会堂に辿り着いても、大変です。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができないということですから、誰かに助けていただかなければ、必要に応じて動こうとしても、自分の力ではどうすることもできなかったのではないでしょうか?

 

そんな彼女を見てイエスさまは、彼女を呼び寄せるのです。体が思うように動かないでいた彼女を、イエスさまが呼びよせるということは、思うように動かせないでいた彼女を無理やり動かして、イエスさまのもとに来させたということなのかというと、呼び寄せるという言葉には、大声で話しかける、呼びかけるという意味があるのです。つまり、イエスさまは彼女が、そういう不自由さを抱えていたことを見て、分かっておられたからこそ、彼女からイエスさまの方にやって来させるというよりも、イエスさまの方から大声で、彼女が動かなくてもいいように、話しかけ、呼びかけて下さったということではないでしょうか?その呼びかけが、「婦人よ、病気は治った」であり、イエスさまの方から、彼女の上に手を置かれたということなのです。それにより、彼女は「たちどころに腰がまっすぐになり、神を讃美した」病が癒されて、神さまを讃美した、ということなのです。ただですね、手を置かれたことで病気が治ったということで、ああよかった~よかった~というハッピーエンドと言えるのかというと、イエスさまが、彼女の上に、「手を置かれた」と言う言葉には、ただイエスさまの手が彼女の上に置かれたということだけではなくて、彼女に苦しみなどを、加える、あるいは負わせるという意味も、手を置かれた、ということにはあるのです。

 

不思議です。彼女の上にイエスさまが手を置かれたことで、癒された、治ったのだから、それは苦しみではなくて、喜びです。だから彼女は神さまを讃美したのです。ところが、イエスさまが彼女の上に手を置かれたということが、彼女に苦しみを加え、負わせるということに、どうしてなるのか?彼女は18年間背負っていた病が癒され、治ったのです。18年間苦しんで、辛い思いをしたことからも、解放されたのです。しかしそうは言っても、一気に問題と感じるようなことは一切なくなった、というのではなくて、癒されてもなお、また癒されたことで、彼女に別の苦しみ、辛さが加えられ、負わされるということもあるのではないでしょうか?

 

中国で肉親と生き別れとなった日本人の方々が、残留孤児ということで何度か来日され、肉親を捜すということがありました。もう今から40年以上も前のことです。ある時、NHKのニュースでまだ見つかっていない方々が登場され、両親と別れた時の状況、また養父母に育てられたことなどを涙ながらに語られたことがきっかけで、両親ではないけれども、肉親、親族に会うことができたという、再会の場面が何人かの方々にありました。対面の時には、お互いに、40年近い空白を埋めるかのように、泣きながら抱き合って、再会を喜ぶのです。感動の一コマでした。それからいろいろな手続きを経て、日本に帰ってこられた方もいました。ところが、長く日本から離れていたために、日本語が分からない、仕事でも難しい壁に直面しました。親戚の方々も、最初はあれこれと世話をされていましたが、それぞれの生活、仕事などがありますから、何から何までと言うわけにはいきません。そうなると、せっかく日本に帰ってこられて、最初は良かったかもしれないけれども、その方々に、別の苦しみが加わり、それを背負わなければならなかったということも現実にはあるのです。つまり、せっかく日本に帰ってくることができ、それまで背負っていたものから解放されたことで、いっときは喜びがあり、感激があっても、それがずっと続くとは必ずしも言えないことも、あるのです。

 

言い換えれば、良かったと言える出来事の後には、良かったとばかり言えないことが、加わり、背負わされることもあるのです。

 

それが、18年間病にあった彼女にとっては、具体的には、会堂長からの、安息日にイエスさまが彼女を癒されたことに対して、腹を立てた、ことに始まるこの言葉なのです。「働くべき日は6日ある。」会堂長は、この言葉を群衆に向かって言っていくのですが、この内容は、彼女には大変酷な言葉ではないでしょうか?彼女は18年間腰が曲がり、伸ばすことができない状態のために、働きたいと思っても、働こうにも働けない18年でもあったのではないでしょうか?確かに、彼女の18年間は、会堂長の、働くべき日は6日ある、にはその通り、当てはまらなかったと言えるでしょう。でもそれは怠けていたわけではなくて、働きたくても、彼女を襲った病によって、彼女は働くことができなかったのです。しかし、「働くべき日は6日ある」との言葉が、癒された時に、出たということは、それまで会堂長の中にあった、安息日以外の6日は働くべきである、そしてその働いてもいい、労働してもいい、その6日の間に、イエスさまのところに「来て治してもらうがよい」という思いが、この時出て来たのではないしょうか?しかし、彼女にとって「働くべき日は6日ある」と言われても、その間に、イエスさまのところに、彼女が自分できたらよいと言われても、理屈ではそれは、当時正しいとされていたことであっても、それは彼女にはできないことなのです。できないことなのに、それをここで群集に向かって、イエスさまに腹を立てたからと言っても、せっかく癒されて神さまを讃美している彼女には、酷な言葉、水を差すような、傷つけてしまう言葉ではないでしょうか?

 

しかもそのことを、群集に言っていくのです。イエスさまに腹を立てているのですから、イエスさまに直接言えばいいのです。それなのに、群集に向けて、「働くべき日は6日ある。その間に来て治してもらうがよい」と会堂長が腹を立てた相手ではない群衆に向かって、わざわざ言うのは、どういうことでしょうか?

 

同時に群衆に向かって言った内容は、この腰が曲がっていた彼女にも、自分からイエスさまのところに、働くべきに来たらいいじゃないか、働くべき日は6日あるのだから、その間に来たらいいじゃないかということですから、癒された彼女に直接言ったらいい内容です。働くべきと言う時には、彼の中に、彼女が何もしていない、働いていないということを暗に言っている、責めている言葉でもあります。しかしそうであっても、働くべき日である6日の間に、イエスさまのところに来たらいいと言う言葉は、確かに、ひどい言葉ですけれども、それを直接彼女に言わずに、群衆にいうというのはもっとひどいです。

 

けれども彼は、イエスさまに対しても、彼女に対しても直接言わないで、群集に言っていくのは、群集を自分の味方につけようとしているのか、群集を自分の思い通りに動かそうとしているのか、扇動しているのか?具体的には分かりませんが、直接本人に言わずに、別の人に、言って、吹っかけていく姿がここにあるのです。

 

ここに一つの人間の姿がありますね。直接本人に言わずに、人を巻き込んで、人を自分の道具のように使ってしまう姿がここにありますね。

 

それほどに、この会堂長はイエスさまに対して、腹を立てていたということですが、どうしてここまで腹を立てているのでしょうか?安息日にイエスさまがやってはいけない労働をしたからでしょうか?そして癒された彼女がそこにあったからでしょうか?もちろんそれはそうですが、彼が腹を立てた理由は、彼自身の中に、神さまから与えられた安息日の本来の意味は、神さまからの安息をいただいて、神さまからもう一度、赦されていることをいただくための日なのに、また体や心の疲れをいやし、元気にしていただくために、安息日があるということであるはずなのに、彼の中で、この戒めにもともとない意味を、自分の物差しで、加えていってしまい、神さまから与えられた安息日の戒めの意味を、結果として、狭くしているのではないでしょうか?

 

安息日を覚えてこれを聖とせよという神さまからの戒めの意味について、次のように説き明かされています。

 

神が安息日を与えて下さったのは、ただ神のみことばを聞き、それについてかんがえるためだけですか。いいえ。そればかりでなく、私どもの体とたましいとが、必要な休息をとるためにも安息日を下さったのです。

 

神さまは、神さまを礼拝し、お恵みをいただく日として神さまが与えて下さった安息日の意味と目的は、神さまに礼拝をささげ、お恵みをいただくというだけではなく、神さまから命を与えられたすべての人、すべて造られたものが、神さまのお恵みによって、よりよく生きることができるように、元気に過ごせるようにと、安息日を与えて下さったのです。

 

だからイエスさまは、この会堂長に、牛やろばも、神さまから与えられた命であること、そしてその命あるものが守られて、しっかりと生きることができるように、神さまは安息日だからといって、水を飲ませてはいけないとは言っていないじゃないか!安息日であって、労働をしてはいけないと、人が安息日の意味を狭くしてしまったことに対して、神さまはそんなことを、安息日を覚えてこれを聖とせよと言う戒めには、おっしゃっていない!とイエスさまは、牛やろばも、安息日には畑仕事を休んで、また安息日が終わった次の日からしっかりと働くことができるようにと、働かせっぱなしではなくて、休みを与えるために、「あなたたちはだれでも、水を飲ませに引いて行くじゃないか」と、おっしゃっておられるのです。

 

この時、イエスさまは、この会堂長を責めているのではありません。この会堂長をやり込めることが、目的ではなくて、何よりも安息日の本当の意味、それを定められた神さまの御心は、何なのかを明らかにしようとしておられるのです。そして、この安息日は、神さまが与えてくださる安息を、まだ知らないでいる方々にも、その解放の恵みを分け与え、共にその恵みにあずかる日だということを、この会堂で安息日に与えようとしておられるのです。

 

だからこそ、この女性を長い年月に及ぶ苦しみから解放することは安息日にしてもよいどころか、安息日にこそふさわしいことなのです。だからイエスさまは「安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか。」彼女も、そして、家畜である牛やろばも、主の安息、神さまが定め、与えて下さった神さまの安息、平安の中に、それまで繋がれていたところから、背負わされたものから、解放され、神さまが与えて下さる安息へと導かれる必要があるんだということを語るのです。

 

ある方が、ホスピスに入院されていました。ご自分のこれからのこと、家族のことを祈りながら、病の中で苦しんでおられました。ある時に病室を訪ねた時、思わず辛い気持ちをおっしゃいました。「神さまはどんなに辛い時にも、苦しい時にも、私を背負っていてくださるとおっしゃられるけれども、本当に辛くて、苦しい時には、それが本当なのか?わからないこともあるんです。」そんな心からの気持ちをおっしゃったことでしたが、それからしばらくたって召される三日前のことです。その日は日曜日でした。ベットのところで、神さまに祈り、礼拝をささげておられました。その日は、それまでと打って変わって、ものすごく調子が良くて、礼拝が終わられた午後からは、教会の方々が、入れ替わり立ち替わり、訪ねて来られました。それを本当に喜ばれて、神さまは、今日は、いろんな方と出会うことができるようにしてくださった~と喜んでおられました。そんな方々の出入りがひと段落した夜、お尋ねした時に、二人きりになりました。静かに今日の日のお恵みを話して下さいました。そして家族のことを、どうぞよろしくお願いしますという言葉と共に、祈って失礼した、その次の日、前日とは様子が違っていました。でも一緒に好きな讃美歌を歌いましょうということで、何人かの方々と訪ね、もう歌うことができなくなっておられましたが、一緒に讃美しながら、共に祈りました。その讃美歌を歌った時、少し大きな声になってしまったようで、看護師の方に、少し小さく歌っていただけないですか?と言われてしまったこともありましたが、一緒に讃美し祈り合えた、その翌日に神さまのもとに帰って行かれました。

 

その時、共に讃美した讃美が、善きわざに我かこまれ、という歌です。

 

善き力にわれ囲まれ

守り慰められて

世に悩み共にわかち

新しい日を望もう

過ぎた日々の悩み重く

なおのしかかる時も

さわぎ立つ心しずめ

み旨に従いゆく

 

たとい主から差し出される

杯は苦くても

恐れず感謝をこめて

愛する手から受けよう

輝かせよ主のともし火

われらの闇の中に

望みを主の手にゆだね

来るべき朝を待とう

 

善き力に守られつつ

来るべき時を待とう

夜も朝もいつも神は

われらと共にいます

 

辛く、苦しい病の中で、賛美した讃美歌の通り、神さまは、その辛く、苦しかったところから、解き放ってくださいました。神さまのもとに引き上げて下さり、神さまの安息をいただけるところへと神さまは移してくださいました。

 

主の安息は、そういう安息です。人が考えて、人の手によって作り出すことができるものではなく、神さまが、その創造の初めに与えて下さり、その神さまの安息は、ずっと与えられ続けているのです。その安息の中にいること、安息の主の中にいることです。その時、私たちは、安息の主、主の安息に包まれているのです。だからこそ、ただ信頼をもって、神さまから受け取るだけなのです。

説教要旨(8月20日)