2023年1月22日礼拝 説教要旨

何を耳にするか(ルカ4:16~30)

松田聖一牧師

 

「流れに身をまかせる」と言う言葉がありますね。それはいろいろな場面で使われる言葉ですが、その言葉の如く、自然体で、自分を流れに任せて、委ねていくということです。もちろん、その時、自分が何もしないということではなくて、いろいろなことを、それなりに精一杯しながらも、結果と言いますか、最終的には、その結果に委ねていくという事であるとも言えます。その言葉と同じような言い方が、セルバンテスの「ドン・キホーテ」にも出てきますが、この言葉から、ある方が、こんなことをおっしゃっていました。「流れに身を任せる。力を抜かないと溺れてしまいます。逆らわず流れのままに、素直に乗っていきます。」そうだなと思います。力を入れてしまったら、おぼれます。水泳がそうですね。人は水に浮くようになっているのですが、力がどこかで入ってしまうと、沈んでしまいます。でも実際には、力が入ってしまったり、あるいは入れすぎてしまったりすることが、水泳だけではなくて、自分の思いや、行いにおいても、自分がやらなきゃと、しゃかりきになりすぎてしまって、力を入れすぎてしまうことが、しばしばあるのではないでしょうか?

 

そんな身を任せる、委ねると言い換えることができますが、イエスさまが、会堂に入られて、聖書を朗読しようとしてお立ちになった時、旧約聖書の1つ、預言者イザヤの書の巻物が「渡され」と言う言葉にも、身を任せる、委ねるという意味が込められているのです。そしてその「渡され」は、受け身の形ですから、聖書の言葉を、どなたかが、イエスさまに身を任せ、委ねられたということと同時に、イエスさまも、渡されたそのイザヤ書の言葉、神さまが語られた、その言葉に、自らを委ね、任せていかれるのです。つまり、イエスさまは、そこに書かれていることが、自分自身の上にあり、自分自身に起こること、されるがままになることも、委ねていかれるのです。

 

そのことがかかれているイザヤ書の巻物を朗読しようとしてお立ちになり、「次のように書いてある箇所が目に留まった」そのところは、イザヤ書61章です。その61章をお開きになられたわけですが、ここで61章を開くためにしなければならないことがあります。それは、このぐるぐる巻きにしている巻物、長さが約8メートルあるその聖書を、この会堂で、全部を広げるわけにはいきませんので、右手と左手を使いながら、巻いては、巻き戻すということを繰り返して、ようやく61章に辿り着けるわけです。しかも、今の聖書のように、何章、何章と言う数字はまだ記されていません。ですから、その61章に辿り着くためには、それまでの1章から、ずっと巻いては巻き戻しを繰り返しながら、その言葉を目で追いながら、ようやくたどり着いたところで、目に留まったこの聖書の言葉を、読もうとしておられるのです。そこに行くにも、手間暇がかかります。巻いては、巻き戻しということを繰り返していくわけですから、でも逆に言うと、それほどに、イエスさまは、この言葉を朗読しようとしておられるのではないでしょうか?そして、何よりも、会堂に集まっている人々にも、その聖書の言葉を聞いてほしい!と強く願っているからではないでしょうか?それはなぜでしょうか?それは、その聖書の言葉は、神さまの言葉であり、いのちの言葉だからです。そしてその神さまのいのちそのものに、自らを委ねられたイエスさまをして、神さまのいのちそのものを、人々に伝えようとしておられるからです。もっと言えば、神さまのいのちそのものを聞いて、それを受け取ることで、その人も、神さまのいのちそのものに、自らを委ねていけるようになってほしいからです。

 

このことは、指揮者とオーケストラとの関係とよく似ています。オーストリア生まれの指揮者でカール・ベームという方がおられました。今生きておられたら130歳くらいになられる方ですが、その方はウィーンフィルといったオーケストラをよく指揮されました。でも特徴がありまして、新入団員がそのオケに入られると、最初に雷を落とされるのです。うまく弾けていなかったんでしょう。そういう意味では、また親父の雷が落ちるぞ~と新入団員を迎えた、古参の団員は知っているんです。でもそれは1つのパフォーマンス的なことでしたが、そんな彼がオーケストラを指揮する時、そこに確かに立って棒を振っているのに、その指揮者やオーケストラが、棒を振ったり、弾いているということではなくて、そこにあるのは音楽だった、ハーモニーだったとよく言われています。不思議です。そこに指揮者がいるのに、棒を振っているのに、オーケストラの方も一生懸命に弾いているのに、そこにあるのは、あれこれ弾いている、その姿ではなくて、音楽そのものになっているのです。つまりそこで、それぞれが手を動かし、あれこれしていることが、それぞれの方の手から離れているのです。自分の手を離れるということは、それは自分の手の中にはないとか、自分ではどうにもできないと受け止めてしまうことかもしれません。でもそういうだけではないのです。すべてを、委ねたことになっているのです。任せているのです。その結果、そこにいるお客さんは、指揮者やオーケストラを、この目で見、聞いているのに、その音、音楽に、包まれ、そこに身を委ねているのです。

 

イエスさまが聖書の言葉に、すべてを委ねたというのは、そういう出来事以上のことが、起きているのではないでしょうか?イエスさまは、確かに朗読しようとしてお立ちになりました。でも朗読されたその時、イエスさまがどのような声で読まれたかとか、どんな姿で読まれたかということは、聖書にしるされていません。でもその時、会堂にいた人々には、この聖書の言葉の通りに、イエスさまの身に起こること、聖書にかかれている通り、読まれた通りに、しようとされるイエスさまが、今ここにおられるということに、出会っているのではないでしょうか?

 

そのイエスさまが、委ねた言葉は「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」なんです。

 

この言葉の、内容を1つ1つ見ていくと、これは大変だと受け止めてしまいます。というのは、この言葉の後半で、神さまが、わたし、イエスさまを遣わされたのは、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由に」するということは、大変なことです。具体的には「捕らわれている人」とは、捕虜とか、囚人とも訳されます。捕虜ということからすれば、戦争の場面で、敵に捕らわれた兵士たち、自由を奪われていた捕虜となった方々のことを指すことになるでしょう。その方々に、解放を告げるということになると、その方々を、捕らわれていた、そのところから、自分の国、味方のところに帰ることができるように助け出すことによって、初めて、解放されます。そこで初めて自由になります。でもその解放されるまでには、当時の囚人もそうですが、牢屋といった、光が入って来ない部屋、太陽を見ることができない部屋に、解放されるまで、ずっといなければなりません。そういう日の当たらない、真っ暗な中で、何日も、あるいは何カ月、何年もそこにいることになります。そうなると、目はどうなるか?視力はどうなるかというと、暗い闇しか見ていないことになりますから、視力がドンドン失われていってしまいます。そんな中から、ある時、解放され、暗い部屋からでて、まぶしい光の下に移された時、目を開くこと、光を見る事すらできない、光に照らされたものを見る力が失われてしまうくらいになっているのではないでしょうか?視力を失うことにもなりかねません。そして、その時、捕らわれ人、捕虜、囚人を解放するために、実際に関わろうとされる方、交渉にあたられる方々も、命がけです。その方々もいつ何時捕らわれるかもしれないという危険と隣り合わせだからです。

 

火中の栗を拾うという言葉がありますね。文字通り、火の中の栗を拾うということは、そもそも、火の中に、立ち向かおうとしないと、火の中には辿り着けません。でもそのクリは、火の中にあります。捕らわれ人に解放を告げる事、視力の回復を告げるということ、圧迫されている人を自由にすることも、誰かが、そこにいかなければ、助け出せません。

 

でも、その時、助けたいとどんなに思っても、人には限界があります。人が人をどんなに助けたい、どんなに回復させたい、どんなに自由にさせたい、どんなに元気にさせたいと思っても、できることと、できないことがあるのではないでしょうか?だからこそ、イエスさまが、私たちには、どうすることもできないところにまで、神さまから遣わされて、神さまから与えられた使命、目的を、イエスさまは、手や足を、そして言葉を通して、「主の恵みの年を告げるため」に、行き廻ってくださるのです。

 

それが具体的にあらわされたところが、十字架です。十字架の意味は何かというと、十字架において現わされた神さまの赦し、神さまの愛が、イエスさまにおいて、はっきりと現わされ、与えられ、プレゼントされた出来事です。でもその十字架にかかられたイエスさまを、誰も助けることができませんでした。何もできませんでした。けれども何もできないということでさえも、イエスさまが、全部受け取ってくださり、何もできないというところに、身を委ねておられるんです。そこから、あなたの罪は赦されたこと、神さまからどんなに離れていたとしても、神さまを知らずにいたとしても、自分では何もできなかった、ということですらも、イエスさま自らが受け入れてくださっているのです。受け入れられているということは、それでいいよという赦しがあります。それでいいよ~わかっているよ!と言う出来事で、赦しが与えられました。

 

でも、それはイエスさまの、いのちと引き換えに与えられたものです。赦しが実現するために、赦しを与えるために、イエスさまは、神さまのいのちそのものとして、いのちの言葉、恵みの年を告げるために、そして聞いたその人々が、耳にしたとき実現したと語られる通りに、いろいろなところに、遣わされていくんです。もちろん、順調であったわけではありません。(22)以降には、イエスさまに対して、理解のない言葉、理不尽な言葉も受けていきます。でもそうであっても、それらのことを乗り越えて、一番大切なものは何か、人に一番必要なものは何か?神さまの命の言葉じゃないか!神さまからの赦しじゃないか!ということを、十字架に向かい、十字架の上で、命をささげながらも、それを現わしていくのです。

 

今年も1月17日が巡ってきました。28年前に神戸で地震に遭遇した時のことを、改めて振り返ることとなりました。一日ずれていたら、どうなっていたか分からないという思いにもなりました。今でもサイレンの音と、ヘリコプターの轟音、そして火の手が町のあちこちから上がった、あの光景が、ずっと残っています。

 

そんな中で、神戸新聞に、西宮でご家族が家の下敷きになり、その中で、一人助け出された娘さんのことが紹介されていました。

 

あの日、まだ医学生だった児玉さんは、両親といた神戸市東灘区の実家で地震に遭った。家屋は全壊したが、ベッドが壁の倒壊を食い止めて助かり、両親も軽傷で済んだ。4時間後の午前10時ごろ、西宮の今津に住む兄が自転車でやってきた。「夙川にいる寛子たちがあかんかった」。川の字で寝ていた夫の正昭さん、2歳だった長男の満正ちゃんと3人で家の下敷きになったのだ。駆け付けると姉家族の4人でただ一人、長女の智英子さんが生きていた。「壁が崩れてきて、ママが防いでくれた」。壁を支える間に隙間を縫って家を出たという。「強く生きなさい」。そう母に告げられたのが最後の言葉になった。

 

「強く生きなさい」壁の隙間から助かる道を母親は、自らを下敷きになりながらも、作ってくれていたのでした。その助け出された4歳の方も、結婚され、家族が与えられたとのことでした。

 

そんな震災の中で生まれた歌があります。「幸せ運べるように」という歌です。神戸市内に勤めておられ、昨年の3月で退職され音楽の先生でいらっしゃる臼井先生という方が、当時勤めていた吾妻小学校で、作詞作曲をされたものですが、先生の家も地震で全壊されました。その中で生まれた歌が、今はいろいろなところで歌い継がれています。

 

地震にも 負けない 強い心をもって

亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿にもどそう

支えあう心と 明日への 希望を胸に

響きわたれ ぼくたちの歌

生まれ変わる 神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

 

地震にも 負けない 強い 絆をつくり

亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿にもどそう

やさしい春の光のような 未来を夢み

響きわたれ ぼくたちの歌

生まれ変わる 神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

 

震災では助けようとしても、助けることができなかったことが、数えきれないほどありました。それは今も残り続いています。そういう意味で、助けること、解放すること、それは人にはできないことばかりが多いです。でもそんなできないという中でさえも、私たちができなかったということを、十字架の上で、受け入れて下さっている、イエスさまは私たちを、力づけ、赦して、解放して、自由を与えてくださる、という幸せを運べるように、遣わされていくんです。そしてその行く先々で、そのいのちのことばを、聞くこと、この耳で聞くことができるように、イエスさまは、神さまのいのちのことばに、ご自分に委ねて、そしてそのいのちのことばを、イエスさまは、運び続けておられます。

説教要旨(1月22日)