2022年10月9日礼拝 説教要旨

もうこれでいい(マルコ14:26~42)

松田聖一牧師

 

愛唱讃美歌、好きな讃美歌が私たちにもありますね。それぞれに経験や思い出の中で、あの讃美歌は本当に好きだ!この讃美歌は本当に、心にしみる!というものがあります。ある一人の方も愛唱讃美歌、お持ちでした。「このまま」という讃美歌でした。

 

このまま 我を愛し 召したもう 罪と汚れ囲むとも、深き悩み襲うとも、主のもとに迎えたもう、このまま。このまま、罪と汚れとりたもう、十字架の主の血によりて、父のもとに迎えられ、神の子ととなえらる、このまま。このまま、神の愛につつまる、神の守り尽きざれば、御国に入る、その日まで、主によりてやすきあり、このまま。

 

この「このまま」この讃美歌を生前、これが好きだ~と何度も何度もおっしゃっておられ、病床にあってもこの讃美歌を歌っておられました。歌うと、しみじみこれはいい~と、時にはうっすらと涙を浮かべながら、嬉しそうに賛美しておられました。その讃美歌を葬儀でも賛美しました。集まっておられた方々も、しみじみとその讃美歌を讃美しました。

 

讃美歌というのは、神さまを讃える讃美の歌です。賛美を通して、神さまがどれだけ良くして下さったか!どれほど支え、守って下さったかと言うことも含めて、その時々の、数々の恵みを覚えて賛美します。ですから、讃美歌を歌うと、歌う前と後では、顔つきが変わります。心が豊かになり、そしてうれしくなります。時には慰められ、強められます。

 

弟子たちは、イエスさまと一緒にその讃美歌を讃美したのです。どんな讃美歌だったか?どんな声で歌ったのか?楽譜はありませんから、それは想像するしかありません。でもその讃美の歌、イエスさまと一緒に讃美する讃美歌が、どれほどに彼らを強め、これから起こる出来事、イエスさまの十字架を前に、どれほど彼らを支えたことでしょうか?その讃美の歌を歌ってから、イエスさまと一緒にオリーブ山に出かけたのです。オリーブ山というのは、小高い丘のような山です。そのオリーブ山から、眺望できるのは都エルサレムです。イスラエル旅行をされる方は、そこに連れて行ってもらって、記念撮影します。そういう撮影スポットがそこにあります。そこからエルサレムの町全体を眺めることができます。そこでイエスさまのおっしゃられたことが「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」です。

 

讃美で恵まれ、強められたであろうそのすぐ後で、イエスさまは、わたしにつまずくとか、それを神さまが「わたしは羊飼いを打つ。すると羊は散ってしまう」とおっしゃっていたからだと、おっしゃられるのです。でも場面として急転直下です。「わたしは羊飼いを打つ。」とは、羊飼いを叩くとか、殴るとか、斬りつけるという意味ですから、神さまはなんてことをイエスさまにするのか?残酷極まりないし、暴力を認めているのか?という言葉です。さらには「羊は散ってしまう」ということですから、イエスさまが十字架にかかられ、その上で残酷極まりない死に方でなくなってしまわれることで、弟子たちがばらばらになってしまうということを、言っている言葉になっています。しかし、その言葉を聞いて、弟子たちが納得できるかというと、そういうことがゆるされていいのか?何てことを言うのか?神さまは何を言っているのか?とさえ感じてしまう内容です。

 

でもイエスさまと弟子たちが、ばらばらになってしまうということと同じことが、かつて日本でもあったということです。それは日本にあるいろいろな教会が合同して、日本基督教団が成立後、ホーリネスの群れに属する教会に対する、激しい弾圧の出来事の中で、長野県、下諏訪の教会牧師でいらした池田先生という先生にも及びました。1943年早朝、先生は捕らえられ、教師としての立場も剥奪され、教会も解散させられ、教会にあったすべてのものが奪い取られ、もぬけの殻状態となり、教会の十字架も塗りつぶされていきました。先生のご家族も本当に大変でした。もちろん教会に集っておられた信徒の方々もばらばらになりました。裁判にもかけられ、獄中生活をされた先生でしたが、戦後になり解放され、再び身分が回復された後、池田先生はルーテル教会のフィンランドの宣教師でいらしたタシミオ先生との出会いを通して、また新たな働きが始められていきます。しかし、そうなったことで、良かった、よかったと言えるようになっても、捕らえられ、教会が解散させられたこと、その中で苦しい思いをされ、辛い所を通らされたことは、まぎれもない事実です。その出来事を振り返って、先生が退職後に文集としてまとめられた本のタイトルにこうありました。「わが生涯の傷跡」傷は傷跡となってはいても、その傷跡は癒された傷跡として残っているのです。

 

そういう意味で、イエスさまが十字架にかけられ、その上で殺されてしまうということも、弟子たちを含めて、イエスさまに従ってきた人々が、バラバラになったことも、その通りであり、事実です。それは大きな傷となっていきます。でもそれで終わり、万事休すではないのです。確かに、一旦はイエスさまがいなくなった、もうバラバラになってしまったけれども、一旦は地面にしみこんだ水が、また湧き出すように、それで終わりではないのです。「しかし、わたしは復活した後」再び命を得、再び起き上がり、立ち上がり、バラバラから、また再会できるように、イエスさまは、『あなたがたより先にガリラヤへ行く』先に立って進んでくださり、これからをイエスさまは必ず切り開いて、これからに向かっていけるように、これからを、必ず与えてくださるのです。

 

その一方で、ペテロは、イエスさまが言われたことに対して、わたしは違う、わたしはそうではない、ということに目を向けているのではないでしょうか?しかも他の弟子たちと、自分は違うということを言うところに立って、「たとえみんながつまずいても、わたしはつまずきません」とイエスさまに答えていきますが、この「わたしはつまずきません」という時、その言葉を詳しく見ると、「わたしではない」とか「わたしはない」と言う意味であり、しかも「わたし」という言葉は、エゴーと言う言葉なのですが、このエゴー、わたしは、という言葉は、神さまがご自身を顕す時に使われる言葉「わたしはあってあるもの」「エゴーエイミーとおっしゃられる、その時に使う、エゴーを、ペテロもここで使っているのです。ということは、ペテロは、自分が他の弟子たちと違う、みんながつまずいても、私は、つまずきませんは、自分は神さまのようにできるとか、神さまのようなところに立とうとしている姿が見えてきます。

 

それは見方を変えれば、わたしはみんなではない、と言う時、他の弟子たちから、自分だけ離れ、自分だけ関係ないところに立とうとしている姿です。わたしはみんなと同じではない。わたしはみんなとは違う、しかもそれを神さまのところに自分が立とうとして答えていくのです。

 

そんな彼に、イエスさまは、「鶏が二度鳴く前に、三度私を知らないと言うだろう」とおっしゃいますが、それでもペテロは、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどと決して申しません」イエスさまがおっしゃられることを、そうじゃない、そんなことはしません、に加えて、そうおっしゃられるイエスさまを「力を込めて言い張」って、否定していくのです。この力を込めてと言う言葉は、ここでしか使われていない、非常に強い言葉で、絶対そんなことはない!という意味でもあります。しかし、絶対にそんなことはないということが、果たして言えるのかどうか?というと、たとい今は絶対そうじゃないと思い、言っていても、人に絶対ということは、言えないものですね。絶対そんなことはないと、いくら力を込めて、非常に力を込めて言い張っても、実際にはイエスさまがおっしゃられた通りになっていくのです。ということは、どちらの言うことが正しかったのか?というと、ペテロではなく、イエスさまです。

 

つまり、このペテロが、イエスさまがおっしゃられることに対して、わたしはしません、わたしはそうではありません、と言い張り、否定し続けることによって、実は、イエスさまがおっしゃられる通りになることを、ペテロ自身が証明していることになりますし、聞かれた内容を、そうじゃないと否定しながらも、認めることになっていくのではないでしょうか?

 

そういう弟子たちであっても、イエスさまは、「ここに座っていなさい」とおっしゃられる意味は、立っている弟子たちに、その場に座らせようとしたということではなくて、王さまが座る座席、イエスさまが王として座られるところと同じところに座っていなさいということなのです。それはまたイエスさまが、その場所を、弟子たちに譲られたことでもあるのです。

 

その結果、弟子たちは、自分たちが、神さまに成り代わろうとし、自分たちがイエスさまよりも上に立とうとしていくことになります。そしてイエスさまが目を覚まして祈っていなさいと言われても、その通りにできなかった弟子たちなのに、イエスさまは、それをそのまま受け入れ、「ひどく恐れてもだえ始め」彼らに「わたしは死ぬばかりに悲しい。」とまでおっしゃられ、ますます苦しまれ、ひどく恐れ、もだえ始められるのは、それがイエスさまに与えられた神さまからの使命であったからです。そしてイエスさまが、命を賭していかれることも、イエスさまの願ったことではなく、神さまの思いに適うことなのです。それをイエスさまは、この苦しみを、わたしから取りのけてくださいと祈りながら、同時に、「わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたのでした。でも弟子たちはそれが理解できなかったし、目の前の、今のことしか分かりませんでした。それでもなおイエスさまは、譲って譲って、苦しみを自分が、引き受けたのは、神さまの命を与え、その命が、ここで終わりではなくて、彼らにこれからを与えるためであったのです。

 

急に気温が下がりました。最低気温が10度くらいになりました。上農の木々も、葉っぱが次第に茶色になり、葉を落とし始めています。毎日葉っぱが教会の玄関に押し寄せてきます。秋を感じさせられます。また、秋は実りの秋でもあります。冬を前にして、クリも、どんぐりも、りんごも、ナシも、その他、いろいろなものが種をつけ、種の入った実を実らせていきます。木だけではありません。

サケもそうですね。サケは自分が生まれた川に戻っていきます。その川の上流に向かって、サケは必死で泳いでいきます。途中流れの急なところがあっても、大きな堰があっても流れに逆らうようにして登っていきます。そうしていくと体中が傷だらけになります。ぼろぼろになります。見ていると、大変だなということだけではなくて、すごさを感じさせられます。それは何のためかというと、産卵のためです。次の世代に、命をつなげるためにです。そのために、サケは、自分の命をかけて、命を賭して、川を上って行くのです。それはまた命を与えるというそのために、傷つきながら、ぼろぼろになり、そして命を失うことになります。そして産卵を終えると、命が終わります。この姿に命を与えるということの究極があるように思います。

 

イエスさまが苦しみ、そしてこれから命を十字架の上で失うという出来事は、まさに神さまから与えられた命を、弟子たちに、また私たちに与えるためです。そのために、祈りました。でも弟子たちはその意味が、分かりませんでした。イエスさまがおっしゃられる通りにできませんでした。イエスさまが言われたことに、そうじゃないと否定続けました。しかしそうであっても、イエスさまは、神さまが与えられた命を、与えていくのです。罪人たちの手に渡され、残酷な亡くなり方をしても、命を与えていくのです。それができることを、イエスさまは、それを分かっていなかった弟子たちに、「もうこれでいい」と与えていかれたのです。

 

そしてイエスさまは、再び、その命を与えるために、命を与えるその場に、呼び集めてくださいます。それが教会であり、毎週毎週行われる礼拝です。讃美歌を歌い、聖書の言葉に触れ、与えられ、いただきます。それは神さまの命をいただくことに繋がります。だから礼拝の前と後とを比べると、元気になります。

 

そのことを改めて思うひと時がしばしばあります。先日こられた一人の姉妹もそうです。教会に入った途端に、目が輝きました。讃美歌を歌うと、本当に命が与えられたかのように思いました。それは、一人のその方にだけではありません。命が、この礼拝を通して与えられるのです。神さまから神さまの命が、分け与えられるのです。それをイエスさまは苦しみと恐れと、もだえ苦しむ中で、与えていかれ、それができたので「もうこれでいい」とおっしゃられたのです。「もうこれでいい」イエスさまの使命がはたされたこと、そして命を与えることができたことで、もうこれでいいと安心されたのです。

説教要旨(10月9日)