「秘められた計画」

加藤 智恵牧師   ローマの信徒への手紙 11章28~36節

 

 先週はエフェソの信徒への手紙からの説教でした。今週はローマの信徒への手紙からの説教です。私たちがそれぞれの人に手紙を書く場合に、その人との関係により手紙の内容も違ってきます。同様に、エフェソの教会はパウロが創設した教会で、エフェソの教会の内容をよく知っていました。しかし、パウロはローマの信徒への手紙を書きましたが、ローマの教会はパウロが創設した教会ではなく、まだ訪れていない教会でした。それで手紙の内容も違っている訳です。エフェソの信徒への手紙では、神の選びは確かであり、天地創造の前から、私たちの選びは定められていたことが書いてあります。ローマの信徒への手紙は、キリストについて、救いについて、論理的に説明されている、論文のような内容なのです。しかしエフェソの信徒への手紙とローマの信徒への手紙には共通する所もあります。それはどちらにも真実の神、愛の神であることが書いてあります。イエス様の愛は金太郎の飴のように、どこを切っても愛なのです。神は愛です。本物の愛は真実であり、世の光であります。

 神はアブラハムを選び、信仰の父と言われて神に愛されていました。また、ダビデ王は神が選ばれた優れた王でした。イスラエル人は神の福音を受け入れませんでしたが、このような先祖たちのお陰で神に愛されているのです。神の賜物と招きは決して変わらないものなのです。神は異邦人に福音を伝えて、神に愛される者とされましたが、本来神の民であったイスラエル人も福音を信じて、神に愛される者となることが神のご計画でした。神はイスラエルの民を神を信じない不従順の中に閉じ込め、また異邦人も最初は神の民ではなく、不従順の中に閉じ込められました。全ての人を不従順の状態に閉じ込められたのです。神が全ての人を不従順の中に閉じ込められたのは、不従順の中から全ての人を救い出し、全ての人、異邦人もイスラエル人も、神への従順へと導くためだったのです。全ての人がイスラエル人も異邦人も区別することなく、神を信じて、神の恵みの中に導くためだったのです。神は異邦人もイスラエル人もすべて救われることを望んでおられました。このような計画は到底人間の考えることが出来ない、神の深い真実の愛の結果です。パウロはその事を知って、「ああ、神の富と知恵と知識は何と深いことか。誰が神の定めを究め尽くし、神の道を理解尽くせよう」(33節)と神をほめたたえています。

 すべて神が造られた被造物は、神から出て、神によって保たれており、そして神に向かっているのです。私たちの向かうところは神なのです。そしてパウロは栄光が神にありますようにと祈り、アーメン、その通り間違いありません、と告白しています。

説教要旨(10月4日)