「難破から救われる」

加藤 智恵牧師   使徒言行録 27章33~44節

 

 パウロはカイサリアで軟禁状態のまま2年を過ごします。その後、新総督フェストゥスが着任しました。するとユダヤ人たちがエルサレムからやって来て、裁判になりました。パウロはこの人たちの訴えは事実無根である事を述べました。パウロはもうこのような裁判にかけられる事は無意味であり、ここに私はいるべきでないと判断し、主イエスがパウロに「ローマでも証ししなければならない」と語られた通りに、新総督フェストゥスに「わたしはローマ皇帝に上訴します」と、申し出ました。パウロには、何の罪も見出せなかったフェストゥスでしたが、パウロがローマ皇帝に上訴することを辞めさせる権限はありませんでした。こうしてパウロはローマへ向かって船出します。ローマに向かって船出することは、海路2700km、陸路180kmに及ぶ大旅行でした。この様な危険な航海にあって、なお神を信じるという事は、大変難しいことです。しかし、パウロの使命はキリストの福音を宣べ伝えることでした。家庭の幸福、安定した穏やかな生活など考えていませんでした。100%キリストの御心に従うことがパウロの喜びだったのです。パウロを乗せた船は、カイサリアから船出しました。その船旅には、様々な困難が待ち受けていました。船足がはかどらなかったり、風によって行く手を阻まれたりしながら、漸くクレタ島の良い港という所に着きました。

パウロは航海はもう無理と考えて、良い港という所に停泊したほうが良いと考えましたが、百人隊長はパウロの言葉よりも船長の言葉を信用して、常識的な判断をしました。しかし、神を信じるパウロの言うことが正しかったのです。「エウラキロン」と呼ばれる暴風が島の方から吹き降ろして来たので、船はその暴風に巻き込まれて進むことが出来なくなり、流れにまかせるしかありませんでした。その時、パウロは乗組員の前に立って言いました。「あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はいないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が、昨夜わたしの傍に立って、こう言われました。『パウロ恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ』ですから、皆さん元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、その通りになります。わたしたちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と。船は14日間、漂流しましたが陸地に近づきました。船から逃げ出そうとする人がいましたが、パウロはそれを見て、百人隊長に船から逃げ出さないように言います。「神は一緒に航海している全ての者を、あなたに任せて下さったのだ」と言う天使の言葉のように、一人でも失うなら、人々は助からないというパウロの判断は、信仰者として的確でした。「一人くらいは逃げても」などと考えるのは、信仰の無い人の考えることです。神の約束は確かなのです。一人を失えば、全員助からないのです。

 パウロは乗客たちに食事を勧めます。パウロは一同の前でパンを取り、感謝の祈りを捧げて、そのパンを配りました。乗っていた276人と一緒にパンを食べました。神がパウロを通して一同に希望を持たせて下さったのです。この後、積荷を捨て、身軽になって船は砂浜に向かって進みました。しかし座礁してしまい、船は船尾から壊れ出しました。けれども全員が無事に上陸することが出来ました。

 ここまでの航海は、神に選ばれたパウロがいたので、奇跡、奇跡の航海で、無事に全員が助かったのです。この航海で教えられるのは、人間の常識より、神の思いの方が優っているということです。常識は大切ですが、それだけでは事は上手く運びません。教会は信仰共同体ですから、信仰が一番大切なのです。

説教要旨(7月26日)