「聖霊の働き」   加藤 智恵牧師
使徒言行録 8章26~38節   エゼキエル書 34章1~6節

ペンテコステの出来事によって、聖霊が活発に働き、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていきました。しかし、迫害の力も強まっていきました。ステファノの殉教に始まり、その日はエルサレムの教会に大迫害が起こり、使徒たち以外のクリスチャンはユダヤとサマリア地方に散って行きました。フィリポもサマリアの町に下り、人々にキリストを宣べ伝えていました。主の天使はフィリポに「ここを立って南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と命じます。そこにはエチオピアの女王であるガンダケの高官がエルサレムに礼拝に来て帰る途中でした。すると聖霊がフィリポに「追いかけてあの馬車と共に行け」と命じました。フィリポが走り寄ると、宦官がイザヤ書を朗読しているのが聞こえました。フィリポは宦官に「読んでいることがお分かりになりますか」と聞くと、宦官は「手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう」と言って、フィリポに馬車に乗って、一緒に座るように頼みます。そこでフィリポはイザヤ書53章7~8節から説き起こして、主イエスの福音を宦官に語りました。宦官は主イエスは、この自分のために命を捨てて下さった。そして罪から救われる道を開いて下さったことを信じることが出来たのです。宦官は道を進んで行くうちに、水のある所に来たので「ここに水があります。洗礼を受けるのに何か差し障りがあるでしょうか」と自ら洗礼を受けたいと申し出ました。フィリポが「真心から信じておられるなら差し支えありません」と言うと、宦官は「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えました。フィリポと宦官は水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けました。
原始教会の信仰告白と洗礼は、現代も変わらないものです。イエス・キリストを神の子と信じることが洗礼を受けることが出来る条件です。宦官は洗礼を受けた喜びに溢れて、エチオピアへの旅を続けてゆきました。
旧約聖書のエゼキエル書34章1~6節には、イザヤ書のメシア預言と同じ内容が書かれています。牧者であるイスラエルの王は、弱い者を強め、病める者を癒し、傷ついた者をつつんでこそ良い国となるのに、かえって力づくで過酷にイスラエルの民を支配していると、エゼキエルは預言します。それゆえに、神はそれらの王たちの敵になり、もはや羊である民を養わせることを止めると言い、神みずからが牧者となって羊を養おうと決意されます。この預言は、単に政治体制や社会秩序の改革にとどまらずに、救い主であるイエス・キリストの時代の到来を預言しています。
主イエス・キリストは神でありながら、最も貧しい姿をとってお生れになり、大工の子として過ごされ、最後には十字架への道を歩まれました。これは社会の常識を覆す出来事です。聖霊は今も働いています。私たちも聖霊の働きやすい器として用いられ、福音に生きる者として、喜びながら福音を伝えてまいりましょう。

説教要旨(7月7日)