「神の指で悪霊を追い出す」 加藤智恵牧師
ルカによる福音書  11章14~26節

主イエスは口のきけなくする悪霊を追い出しておられました。悪霊が出て行くと、口のきけない人が物を言い始めたので、それを見ていた群衆は驚嘆しました。しかし、ある人は主イエスを非難し、ある人は疑いました。中には主イエスを悪霊の同族のように言う者もいました。もし主イエスが悪霊の頭ベルゼブルであるなら、悪霊を追い出すという主イエスの行為は同士討ちという事になります。同士討ちをする者は自滅します。それに対して主イエスは「わたしが神の指によって悪魔どもを追い出しているなら、神の国はあなたがたの所に来ているのです。」と答えられました。神の指とは悪霊とは全く反対の聖霊を意味しています。神の支配が著しく行なわれている所に、神の国は到来しています。
神の指によるこの業は、単なる悪霊追放にとどまらず、癒されて口がきけるようになった人は、主イエスの側につく者とされます。しかし、主イエスの側についただけで、主イエスを信じない人は心が一時的に主イエスについているだけで、後になるともとの8倍の数の悪霊が住み着くようになります。そして「その人の後の状態は初めよりもさらに悪くなります。」ユダヤ教の中にも悪霊を追い出す者がいました。この話を聞いてユダヤ人はいつしか主イエスを殺す側にまわり、「十字架につけろ」と叫びだすのです。主イエスが捕らえられて最高法院で裁判を受けた時に、ピラトは祭司長たちと議員たちと民衆たちとを呼び集めて言いました。「一体、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが、人々はイエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けたのです。そしてその声はますます強くなりました。
しかし、どの様な理不尽なことが有っても、主イエスは十字架の刑を受けるために、この世にやって来られたのです。主イエスは「十字架につけよ」と言って猛り狂う民衆に対して、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と言って執り成しているのです。十字架を前にしても、イエスの愛は変わらなかったのです。
私たちは聖い神の前に、主イエスを信じているが故に、「聖なる者、傷の無い者、とがめる所の無い者」として受け入れられています。それは私たちの功績によるものではありません。一方的な神の恵みです。
受難節第2主日礼拝、主が私たちのわがままや罪を全て受け入れられて、ご自分の命を捧げて下さいました。そして、敵が猛り狂って「十字架にかけろ」と叫ぶ時にも、主イエスは「彼らを赦してください。」と神に執り成して下さっているのです。

説教要旨(3月17日)