2025年4月6日礼拝 説教要旨
思いと実際(マタイ20:20~28)
松田聖一牧師
神さまに委ねる、任せるという言葉がありますね。神さまに委ねて、任せたらいいというのは、本当にその通りですし、そう受け止めていきたいと思います。しかしその一方で、委ねたらいい、任せたら大丈夫という思いであっても、実際には、難しいと感じることや、できないと受け止めてしまうこともあると思います。そういう現実がありますね。
ゼベダイの息子、ヤコブとヨハネのお母さんもそうです。というのは、この母親は、息子たち2人が、網を置き、父親ゼベダイを舟に残してイエスさまに従った後、息子たちに付いて来ているというところから見て取れます。でもこの2人は、もう父親からも母親からも、またその仕事からも離れていますし、母親に付いて来てほしいと願った言葉はありません。しかし、母親は息子たちに付いて来ているんです。
ここに、母親と息子との関係が見えてくるように思います。それは、息子たちは、父親からも、母親からも親離れできたのに、母親は息子たちから、子離れできていないということではないでしょうか?そして、イエスさまに従っていった2人の息子を、イエスさまに委ねることができないでいるということではないでしょうか?もちろん母親ですから、母親として、息子たちが、家業としての仕事である網大工から離れて、これからどうなっていくのか?どう生活していくのか?親心と言ってもいいと思いますが、そういう心配と不安があったと思います。そういう思いがあったので、イエスさまに従っていった、母親にとっては、行ってしまった息子たちの後に、付いて来ているということなのでしょう。
ある小学校の登下校でのことです。そこの子どもたちは、毎日4キロの通学路を歩いて、学校に通っていました。その中に、1人の男の子がいましたが、その子のお母さんが、毎日付き添っていました。ある時、その男の子が鼻血を出してしまった時、お母さんは、ハンカチでその子の鼻をずっと押さえておられました。そんな光景が、毎日続いていました。きっと何か理由、事情があったんだと思います。もう1つは、その学校とは違う別の学校でのことです。授業参観に行きました時、そのクラスに、一人の女性の方がいらして、子どもたちにあれこれ話しかけたり、手伝ったりしていました。学習を支援する方だと思っておりましたら、そのクラスにいる男の子のおばあさんでした。それでそのおばあさんは、孫であるその子に付き添いながら、机の隣にずっとおられて、お孫さんの筆箱やらいろいろなものを出してあげていました。勉強している時にも、そばで話しかけて、大丈夫~できた~とか声を掛けていました。担任の先生はそれをどう受け止めておられたのかは、分かりませんが、そこにも何か事情があったと思います。
この2つのことを通して言えることは、子どもよりもむしろ、お母さんや、おばあさんの方が、子どもから離れられなかったということではないかと思います。学校に行く途中に、あるいは学校で何かあったら・・・という心配も含めて、いろいろあったんだと思います。もちろん、子どもや孫のことを思う気持ちをもってはいけないということではありません。ただ、離れられなかった、何か事情が、子どもにではなくて、そのお母さんや、おばあさんにあったんです。
ヤコブとヨハネの母親の姿もそれと重なります。そんな中で、「その2人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした」のですが、この中にある「ひれ伏し」には、ひざまずいて礼拝すると言う意味と、ただひれ伏して、挨拶すると言う意味があります。つまり、イエスさまを神さまとして礼拝し、ひざまずくという意味だけではなくて、ただひれ伏し、挨拶すると言う意味で、ひれふし、挨拶するという意味もあるんです。ということは、イエスさまを神さまとして礼拝し、ひれ伏すということではなくて、ひれ伏す側に、ただひれ伏したら、ただ挨拶したらそれでいいという思いが、どこかにあるということなんです。
では、この時の母親は、どっちなのかというと、ただひれ伏し、挨拶と言う意味で、ひれ伏しているんです。というのは、「何かを願おうとした」という言葉を見ると、イエスさまに向かって、イエスさまに、心にある願いを、願おうとしたかというと、そうではなくて、イエスさまから離れて、イエスさまから分離して、しかも、イエスさまの外側から離れて、「何かを願おうとした」ということなんです。
それは、母親がイエスさまに向かっていないということですし、イエスさまから離れ、イエスさまから分離しているんです。ところが、息子たちからは、離れられないでいるんです。それが、イエスさまに願う言葉「王座にお着きになるとき、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」という言葉にも現れているのではないでしょうか?それは、イエスさまの右と、左、イエスさまのそば近く、側近中の側近に息子たちを置いてほしいと言う願いです。そして母親も、イエスさまの近くに息子2人を置いていただくことで、ヤコブとヨハネが、名声を得て、幸運、栄誉を受けることができたら、母親として、自分も同じ栄誉を受けると思われたかもしれませんが、そのことを願う、母親の本音は、イエスさまに願いながら、自分の息子たちを、右や左に、側に置いておきたい、息子たちの側に、私もずっといたい、という思いでも、あるのではないでしょうか?そういう意味で、この母親が、イエスさまから離れて、委ねられないということと、息子たちからは離れられないという矛盾が、同じ母親にあるんです。
そして、その矛盾は、息子2人のことだけではありません。自分の中に、自分の側に、そばに置いておきたいものがあって、そこから離れられないと言う矛盾です。その結果として、あるいはプロセスとして、委ねようとしているんだけれども、なかなか委ねられないという思いが、ついてくるんです。しかしそれは、同じ一人の人の中にある矛盾からのことですから、同じ一人の中に、正反対があるということではないでしょうか?それによって、自分が何をしているか、何を考えているかも、正反対ですから、分かっているようで、実は、分かっていないんです。そういう意味で、分かっていないというのは、何か1つのことに向かっている中で、分かっていないということがあるのではなくて、自分自身があちこちに、あるいは正反対の方に向かっているから、矛盾を抱えているからこそ、分かっていないんです。
だからこそ、イエスさまは、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。」とおっしゃられるんです。それは、母親に対してだけではありません。母親に連れられてイエスさまのところにやってきた、2人の息子もそうです。母親も、息子たちも、自分たちのしていることが、分かっていないんです。だから、イエスさまが続けて「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」にも、分かっていないのに、「できます」と答えていくんです。しかし、この飲もうとしている杯とは、イエスさまが、十字架につけられることです。でも彼らには、そういうことが分かっていないんです。だから「できるか」と言われた時、「できます」と答えていくんです。しかし実際にはどうであったかというと、イエスさまが、十字架に付けられた時、2人の息子は、イエスさまの右や左から逃げたんです。あれほど母親が願った右や左にはいませんでした。じゃあ彼らが出来ますと言った、右や左には誰がいたのか?それは2人の強盗です。彼らは、それぞれに過ちを犯し、十字架刑の判決を受けて、十字架に付けられたんです。そしてその2人の真ん中の十字架に、イエスさまが付けられた時、出来ますと言った、彼らは、できた彼らではなくて、何もできなかった彼らの真ん中に、イエスさまの十字架が立てられているということではないでしょうか?そしてその十字架の上で、イエスさまは、右や左から逃げた、何もできなかったヤコブ、ヨハネ、そしてその母親を責めているのかというと、いいえそうではありません。「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と、分からずに、できますと答えてしまった、彼らであっても、その彼らのために、イエスさまは、神さまに赦して下さいと、赦しを願い祈っているんです。
そして、その赦しはまた、十字架に付けられたイエスさまのそばにいた母マリアにとっての赦しとなっているんです。それは、母親として、イエスさまを助けるとか、イエスさまのために何かできたか、ではなくて、イエスさまが十字架の上で、苦しみ、もだえ、そして最後は絶叫し、息絶えるという姿を、母親として、何もできずに、どうすることもできずに、見守るしかなかった、ただそこにいるだけだった、そのことをも、イエスさまは、神さまに赦して下さいと祈っておられるんです。さらに言えば、その祈りは、何もできなかった、どうすることもできなかったことによって、マリアは、イエスさまが、すべてを委ねた神さまに、母親として、イエスさまを委ねているのではないでしょうか?いや委ねるしかなかったのではないでしょうか?
つまり委ねるということは、何かできたことを、神さまに委ねますということではなくて、自分が何もできないということによって、はじめて、委ねるということになっていくということを、神さまは、イエスさまを通して、また母マリアを通して、指し示しておられるのではないでしょうか?しかし、その時、母マリアは、神さまに委ねることができたとか、委ねられたことへの、思いを現すような言葉は、何一つありません。それはそうです。
一般的にも、親よりも先に子供が逝ってしまうと言うことは、これほどの親不孝はないと言われますが、それは親にとっては、順番が違うからです。だから子どもさんを先に送られたご両親にとっては、辛くて、悲しくて、涙が涸れない毎日があるんです。そんな両親に、神さまに委ねたから、良かったなんて、言えるのかとか、どうとかという次元ではありません。委ねるとはこういうことか・・・なんてそんな簡単にまとめ切れるものでもありません。
それは、皆に仕える者になることも、皆の僕になることもそうです。思いとしては、それは大切なことだ、それができるようになろうと思っても、実際にはそうはなれない、なれなかった、できなかったという現実があります。そして現実の、実際は、簡単に受け入れられることばかりではありません。しかしそうであっても、だからこそ、出来なかったことを、十字架の上で全部受け取ってくださり、神さまに委ねることができる、という道を与えてくださったイエスさまが、できなかった、私たちの真ん中に立っていて下さり、私たちの側から決して離れることなく、共に歩み続けてくださるんです。
でもそれを分かっていなかった時があるんです。分かろうとしていないことがあるんです。だからこそイエスさまは、分からないでいる事、分からずにしていることを、十字架の上で、神さまに赦して下さいと祈られたのではないでしょうか?いや、祈らずにはおれなかったのではないでしょうか?
昨年から、フェイスブックなるものを始めることになりました。それは伊那フィルの方から、フェイスブックじゃないと連絡が取れないからやって!と言われまして、最初は、あまり乗り気ではありませんでしたが、メサイアのレクチャーの内容など、教会のことやら、日々のことを写真と一緒に載せていくと、いろいろな方からの反応が返ってくるようになりました。
その反応には、面白い絵文字で、にこっとしているものやら、悲しい顔をしているものや、真っ赤なハートで返ってくるものなど、いろいろあります。それぞれに名前が、ちゃんとついていまして、ハートは超いいね。とか、大切だね、悲しいね、うけるね、とか、いろいろありますが、そのフェイスブックに、この3月、卒業の季節にちなんで、かつて勤めていた学校での、最後の学級通信を載せようと思いまして、それをアップしました。そこには「夢と希望と持ち続けましょう」と、いうタイトルで、子どもたちへの感謝と、保護者の方への感謝の言葉が添えられた手書きのものを載せました。すると、いろいろな方が見て下さって、返事が返ってきました。中には、30年ぶりに、新任の時担任した子どもと言っても、今は40過ぎて立派になっていますが、その最後の学級通信を見て、こんな言葉を寄せてくれました。
松田先生が2年目の時ですね、僕は松田先生のクラスではなかったですが、3年生の時担任してくださった1年間はとても楽しくて思い出もいっぱいでした卒業して来年で30年経ちますが、まだまだ精神年齢はガキんちょのままですね
それを見た時に、そんなに楽しい思い出が、この子には一杯あったんだと思いました。でも実は、新任の時、初めての仕事だったことと、その時のクラスは40人を超えていましたから、私の中では、最初の1年間は、うまくいかなかったという思いばかりが残った1年目でした。その子どもたちが6年生を終えて、卒業する卒業式にも、神学校でしたので、出ることができず、一緒に勤めた先生から、電報を打っていただいたことでした。だから何かできたかというと、何もできなかったというのが、正直な気持ちで、ずっといたのですが、子どもたちにとっては、そうではなかったということ、「1年間はとても楽しくて思い出もいっぱいでした」と、笑いのスタンプ迄押してあったのを見た時、何もできなかったけれども、だからこそ神さまがして下さったんだと、思いました。30年前には全く分かりませんでした。でもこちらでは分からなくても、分からない中で、それでも後は神さまがして下さっていました。委ねるというのは、こういうことなんだと思いました。
息子2人を、右や左に座らせてほしいと願った母親は、その後、どうなったか?母親として願ったことが、実現できなかった、母親として何もできなかった、その思いと実際を感じながら、送る日々であったのかもしれません。それはイエスさまの母マリアもそうです。しかし、何もできなかったということであっても、それでいてかえって、神さまに委ねることになったということが、与えられていくんです。だからこそ、自分では何もできなかったということが、委ねることの始まりです。神さまは、そう受け取れるように、思いを変え、その思いからの実際を変えて下さるお方です。
祈りましょう。