2025年1月26日礼拝 説教要旨

暗闇に輝く光(マタイ4:12~17)

松田聖一牧師

 

就活をされている学生の方々が、必ずと言っていいほど経験することは、面接です。入学試験などにもありますが、その面接をされる面接官は、その学生の方々から、いろんなことを尋ねていかれますが、聞きたがっていることがあります。その1つは、その人の、挫折経験です。その理由について、こんな説明があります。

 

なぜ面接官は、わざわざ挫折の経験を聞いてくるのでしょうか?最初にお伝えしておきたいことは、「挫折経験」と「失敗経験」は似て非なるものであるということです。挫折とは、単なる「作業や行動のミス」という出来事=失敗ではなく、その作業やミスによって心の葛藤が生まれ、後々の自分の行動や考え方にまで影響を及ぼすような経験のことです。面接官は限られた時間の中で、目の前の学生が自社にマッチした人材かどうかを見極めなければなりません。そのために「自社で活躍してくれそうか?」を、常に確認しようと考えています。自己PRやガクチカ(学ぶ力)を聞くのは、その経験の再現性を期待するからです。再現性とは、過去に経験したことと同じような状況になった時、同じ結果(主に成功体験)が得られるだろうという考え方です。入社後、すべて順風満帆という人はほとんどいません。働く中で多かれ少なかれ壁にぶつかります。そんな時、それをどのように乗り越えていけるのか?を想像するための材料として「挫折経験」が大きく参考になるのです。この経験をしっかりと認識しておくことは、あなたにとっても、入社後の壁を乗り越えていく力になると言えるでしょう。

 

つまり面接官は、挫折したことがダメ、という評価しているのではなくて、挫折したことを通して、それをどう乗り越え、どう受け止め、どう糧としようとしたか?と言うことを、知りたいんです。そしてその挫折経験という、その人にとって、大切なかけがえのない経験が、生かされるように、面接官は、これからの仕事の中で見極めようともしているんです。

 

そんな挫折経験が、私たちにとっても大なり小なりあると思います。そして、単にうまくいかなかったということで終わりではなくて、そのうまくいかなかったことを、どう受け取り、どう向き合い、これからにどう生かそうとしてきたか?あるいは、今どう生かそうとしているか?ということを、尋ねられて答えるという面接のような機会がなくても、その時々に、自分なりに、精一杯受け止めようとし、乗り越えようとしているのではないでしょうか?

 

それが、ヨハネが捕らえられたと聞き、「ガリラヤに退かれた」イエスさまにおいての出来事にも現れているんです。と言うのは、「退かれた」には、立ち去ったとか、退いた、ということだけではなくて、逃げ去ったと言う意味もあるからです。つまり、ヨハネが捕らえられた時、イエスさまは、捕まったヨハネを解放し、釈放しようと行動したのではなくて、そこから退き、逃げ去ったんです。ということは、イエスさまは、捕らえられたヨハネのために、何もできなかったと言えるのではないでしょうか?その結果、ヨハネは、敵に引き渡され、命の危険、死の危険にさらされてしまうんです。でもなぜイエスさまは、何もできなかったのでしょうか?どうして助けようとせずに、逃げ去ったのでしょうか?

 

その答えはここには出ていません。でもいろんなことは想像できます。どうして、イエスさまは神さまなのに、どんなことでもお出来になるのに、ヨハネを助けるために、その力を使わなかったのか?具体的な理由は何なのか?と思いますが、いずれにしても、イエスさまは、どんなことでもできるお方でありながら、ヨハネに対しては、何もできなかったということ、できるのに、できることをせずに逃げたことを、神さまとして、受け入れておられるんです。でもそれは、イエスさまにとって大きな矛盾ですし、イエスさまにとって、苦しくて辛くて、悲しいできことではなかったでしょうか?

 

阪神大震災の震源地となった淡路島と言う島があります。そこで働いておられた、医療従事者の方々は、未曽有の大災害の中、災害医療に携わることとなりました。次々と担ぎ込まれてくる方々の中には、心臓が止まっている方もいました。そこで医師、看護師の方々は、一生懸命に心臓マッサージをして蘇生させようとするんです。でもその間にも、次々とけがをされたり、心臓が止まっておられる方々が、担ぎ込まれてくる、未曽有の出来事の中で、一人のチーフであった医師は、心臓マッサージをされている方々に、ある一定の時間が過ぎても、何も変化がない場合には、ストップをかけられたのでした。この時の様子が世界で初めて、映像として残されています。このことからトリアージという言葉が生まれていきますが、当時はそんな考え方そのものがありませんでしたし、ストップと決断されたその先生も、責任は自分が全部負うと、覚悟を決めてのことでした。その理由はこうでした。すべての人に全力で関わってしまうと、助けられる方も、助けられなくなってしまう・・・その結果、医師、看護師の限界を超えてしまうと、病院として機能マヒになってしまう・・・だからやめなさい!ストップ!と判断を下していかれたのでした。でもそれは、医療に携わる方々にとって、大変なことです。できることでも、やめさせられることでもありますから、その時は、なぜこんなことを言われるのか?と疑問に思われた若い医師もいました。それは当然のことだと思います。医師にとって、命を諦めるということは、むごすぎることです。しかし、災害の現場、災害医療においては、そうしなければ、助かる命も助けられなくなってしまう・・そういう苦渋の決断が、その時あったのでした。それから30年後、その時に関わられた医師の方々は、何もできなかった・・・命を諦めなければならなかった、目の前の命に何もできなかった・・・という無力さを思い起こしながら、その中のお一人の先生は、心に刻んだこととして、こうおっしゃっていました。「あの地震迄、平和な日本はずっと続いていくと思っていた。でもそうじゃないんだな。だから今をちゃんと生きようと思いました。」そして今、そのことを経験された医師の方々は、これからの若い方々に、災害が起こった時には、誰も何も教えてくれない。だからその時、その時、自分でどうしたらいいか?ということを、考えて、行動しなければならないと、ご自身の経験を語りながら、いろんな研修の場で教えておられます。

 

そういう災害医療の現場に、私たちが居合わせることは、今のところありませんし、そういうことは起きてほしくありませんから、日常生活からは、かけ離れた出来事であると思います。でもそれは緊急事態だけのことではなくて、身近なことの中に、できることなのに、出来なかった・・ということがあるのではないでしょうか?

 

例えば、草取りです。草取りを、時々、皆さんとご一緒にしますが、そもそも草取りはキリがありませんね。どんなにきれいにさっぱりしたいと思っても、どこかに草は残っていますから、全部を取りきることができません。そういう作業ですので、ある一定の時間が来た時には、「そろそろ終わりましょうか~」と声を掛けさせていただくのですが、その時、「は~い」という威勢のいい返事はかえってくるのですが、手はまだ動いているんです。キリのいいところまで・・・ということでやっていらっしゃるのですが、きりのいい所というのは、具体的にここまで、と言い表すことができませんし、きりのいいところでやめられるかというと、なかなか難しいですね。その結果、もうちょっと、もうちょっと・・・となってしまいますので、だからこそ誰かに、「そろそろ終わりましょうか~」と言われて、やっとやめることができる・・そして取り切れていない草に目をやりながら、草を残して、次のことへと向かうのです。

 

イエスさまが、ヨハネを助けることができず、ヨハネを残していったというのは、そういうことなんです。もちろん、それがいいとは決して言えません。素直に受け入れられるかと言えば、そうではありません。しかし、それでもイエスさまは、ガリラヤに退かれ、「そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」のです。

 

それが預言者イザヤを通して言われていた神さまの約束が実現するためであったということは、イエスさまが何もできなかった、ヨハネを助けることが、何もできなかったという挫折経験を、イエスさまは乗り越えることができたというよりも、ヨハネのために、何もできなかった、助けることができなかった、そしてヨハネと引き裂かれてしまった、その暗闇の中を歩もうとしておられるんです。それはヨハネに対してだけではありません。後に、イエスさまを捕え、十字架につけようとした弟子の1人ユダの暗闇の中にも、入って行かれるんです。

 

この時、ユダは、イエスさまを、イエスさまの弟子でありながら、お金で当時の権力者に売り飛ばしました。いわゆる人身売買を、やってしまったんです。でもユダは、自分のしたことに気づかされた時、そのお金を、律法学者、祭司長のところに返しに行って、赦しを請うのですが、しかしユダは、「我々の知ったことではない。お前の問題だと」と突き返され、自分のしたことを、自分で責任を取れと、切り捨てられた結果、そのお金を神殿に投げ込んでから、自分に絶望し、暗闇の中で、自ら命を絶ってしまうんです。その時ユダは神殿から「立ち去り」という、ユダの行動を現わした言葉があるのですが、この立ち去りは、イエスさまが、ガリラヤへ「退かれた」と同じ言葉なんです。

 

ということは、絶望の中にあったユダが自分のしてしまったことを、自分で始末しようとし、自分で解決しようとした、その同じところにも、イエスさまは立っておられるんです。でもそれは、イエスさまのすることではありません。自分を売り飛ばし、裏切っていった、その行為の責任を取ると言うところまで、責任を取る必要は全くありません。それでも、イエスさまは、ユダと同じところに立たれ、ユダのその結末も含めた、暗闇の中を歩まれたんです。そしてその暗闇は、十字架にかかられた時のイエスさまをも、そしてすべてを覆うんです。それは、イエスさまが十字架につけられ、その上で傷つき、苦しまれたこともまた、私たちの暗闇の中を、私たちと共に歩むためであり、そして、その暗闇の中で、「大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」こと、すなわち神さまの赦し、ここにいていいんだという安心を、そこに住む人々にも、私たちにも、見せ、その光を与えるためなんです。

 

あるところに三十歳そこそこの青年が居ました。若いその青年は大都会東京で仕事と渋滞と人ごみの日々。ある日、日々の仕事からのストレスで 何もかもが嫌になり、この東京から逃げたくなりました。見たこともないような土地へ行って、誰も知らないどこか遠い場所へ行って、とにかく一人きりになる時間が欲しい、と青年は東京から新幹線に乗り、ある駅で在来線に乗り換え、再びある駅で一両編成のローカル線に乗り換えました。東京を出たのは午前中だったものの、ローカル線に乗り換えたころには夕暮れ近くになっていました。ごとんごとん、とバスのような速さでしかすすまない電車に乗りながらも、どこか遠くに来ている感じが自然と青年の心を静かにしていきました。数十分乗った頃、車窓を眺めると、ふと、ある看板が目に入ってきたのです。農村景観日本一と。青年の心は高ぶりました。都会で疲れた心身を芯から癒してくれるのはこういう場所に違いない、と。何も調べず、何も使わず、ただただ自分の思い向くままに電車を乗り継いで眺めていた車窓から見えた、その看板は青年に運命を感じさせるには十分でした。すぐさま青年はその駅で降りたのです。思いの向くままに。

仄か(ほのか)に沸いた、青年の胸の高鳴りは、その後すぐにかき消されてしまいます。田舎のローカル線の駅、駅前に誰かが居るようなものでもなく、庭にある小屋のような小さな箱状の物を駅と言っているようなそんな駅です。農村景観を見ようと降りたものの、日は沈みゆく一方、行ってしまった電車の気配は次発を期待させるものでなく、人も車も居ない、ただただこれから広がる夕暮れ、夜の時間に、電車はぽつんと青年を置き去りにした。一瞬にして青年は圧倒的な孤独を感じたのです。誰もいない。それでも青年は、歩いて探せば何かあるだろうと、ひたすら歩いたのでした。辺りはすべて山に囲まれ、雪が積もって融けてもいない畦道を、ただただ目的もなく歩くことしかできない青年は、必死で孤独に負けないように歩いたのです。非情なる田舎。青年の孤独を覆い尽くすかのように。都会ではまだ夜にも入っていないような時間、辺りに深々と夜がやってきました。まわりに明かりも何も見えない。青年はあの駅で降りたことを後悔しました。なぜ、何に向かって歩いているのかも分からない。泣きたくもなりました。孤独で、孤独で、不安で不安で、叫びたくもなりました。でも誰もいないのです。そんな中でも、青年は負けずに、自分にだけは負けてはいけない、と、ただひたすら、歩を進めました。

どれぐらい歩いたのだろう。かれこれ二時間ぐらい、か、遠くの方に光の存在を見つけました。真っ暗な山の夜の中、一軒だけ明かりが灯っている家を見つけたのです。青年は藁にもすがる思いで、その家を目指したのです。一瞬頭を不安が過りました。先に見えているのはただの家だ。これがもし東京ならどうだ。いきなり知らない男が夜に尋ねて来て、ここはどこですか、どうやったら帰ることができますか、などと言われたらすぐに警察を呼ばれるんじゃないかと、考えました。でも背に腹は変えられません。安心と不安が交錯(こうさく)する中で青年はその家の扉を開けました。すると中から青年の父親よりも少し上に見える、その家の主人と思しき人が出て来て、いらっしゃい、と。そこから先はどうなったのか覚えていません。気が付くと、まったく知らない赤の他人であるはずの青年は、炬燵(こたつ)に通され、やれ『温かいお茶だ』と、やれ『甘いお茶菓子だ』と、主人と温かい炬燵に入り、奥さんは青年に色々なおもてなしを準備し、『ほーう、どこから来たよー?』『東京かー、うちの息子も東京でねー、二人いたんだけど二人ともとっくにもうこっちにはおらんのよー』どれぐらいの時間その家にいたのかは分からないが、少なくとも雪で芯から冷えたはずの体は、もう温かさで満たされていた。主人は青年が温まったのを確認し、ここから一番近い人のいる駅へと車で送った。駅には田舎の奥様方がみんなでやっている喫茶店のようなものがあり、あの家の主人の連れてきた青年を温かく迎えた。『これがこの土地のお菓子やで食べりー』『まだ電車まで時間あるでいっぱい飲んでいき』誰も名前も知らない青年はここでも散々におもてなしを受けた。人と出会ったり、話をしたりすることが多すぎて、一つ一つがおろそかになってしまいがちな東京とは違い、青年はもともと何かをしてもらおうなどとは思っていなかったものの、田舎の人の見返りを求めず(せっかく来てくれたんだから何かしてやりたい)という気持ちに触れたのでした。

 

私たちにとって、暗闇を歩かなければならない時があります。それは、挫折という暗闇であるかもしれません。孤独、独りぼっちという暗闇であるかもしれません。あるいは何かのことで、心が暗くなっている時かもしれません。そしてその暗闇に住み、とどまってしまい、そこから抜け出せなくなっている時かもしれません。だからこそイエスさまは、暗闇の中を歩まれ、すべての暗闇をこの身に引き受け、その暗闇の中で、光となって輝かれるのです。そして私たちが歩まなければならない、その暗闇の中で、大きな光を見、光が射し込むと言う出会いを、必ず与えて下さいます。その時、やっと安心できるのです。

 

祈りましょう。

説教要旨(1月26日)