伊那坂下教会 CSだより 2025年1月
新しい年になりました。新しい年のあゆみも神さまに守られ共に過せますように。
2025年1月19日子どもメッセージ 十字架の愛 (Iヨハネ4:9)
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。 その方によって、 わたしたちが生きるようになるためです。」
神さまが送って下さった、イエスさまは、十字架にかかられ、 十字架の上でなくなりました。
それは、私たちの、 神さまを知らない神さまを信じようとしない、その罪のために、 身代わりになってくださいました。このことは、何度も聴いていることだと思います。
それにしても、どうして、イエスさまは身代わりになったのでしょうか? イエスさまは、 身代わりにならなくても良かったし、その理由も根拠もイエスさまにはないのに、どうして、イエスさまは私たちの身代わりに十字架にかかり、命を懸けて、命を差し出して下さったのでしょうか?
それはただ、私たちを助けたい、救いたい、守りたいからです。
それが「生きるようになるためです」神さまと共に、 神さまに守られ、神さまに助けられて、生きるようになるためなんです。ということは、神さまが送って下さった、イエスさまがいなければ、イエスさまが守り、 助けて下さらなかったら、私たちは、生きることができないということではないでしょうか?
このことが、ピンとこない時もあるかもしれません。自分と、イエスさまとのつながりが分からない事もあるでしょう。
守って下さる、助けて下さる、という言葉としては、理解できても、それが本当にそうだ!と納得できるかと言われれば、そういう時ばかりではないかもしれませんし、それが分からないこともあると思います。
でも、イエスさまは、私たちが、 そのことを分からなくても、理解できなくても、私たちが 「生きるようになるためです」イエス様と共に、生きるようになるために、イエスさまが、助け守り、そして命を懸けて、救ってくださいました。
先日、1月17日は、阪神大震災から30年を迎えた日です。 その前後には、実際にあったことが、色々なところで紹介されています。(震災でお姉さんを亡くされた児玉さん→)
その中の1つ、 芦屋と言う町で、ご自分のお姉さんご家族が、 家の下敷きにられ、そのご家族の中でたった一人助け出された、長女の智英子さんという姪さんのことなどが、 こう紹介されていました。
あの日、まだ医学生だった児玉さんは、両親といた神戸市東灘区の実家で地に遭った。
家屋は全壊したが、ベッドが壁の倒壊を食い止めて助かり、両親も軽傷で済んだ。4時間後の午前10時ごろ、西宮の今津に住む兄が自転車でやって来た。 「夙川にいる寛子たちがあかんかった」 川の字で寝ていた夫の正昭さん、2歳だった長男の満生ちゃんと3人が家の下敷きになったのだ。駆けつけると姉家族の4人でただ一人、長女の智英子さんが生きていた。
「壁が崩れて来て、ママが防いでくれた」。壁を支える間に隙間をぬって家を出たと言う。「強く生きなさい」。そう母に告げられたのが最後の言葉になった。 その言葉通り、がれきの中で見つかった寛子さんは4つんばいの状態で亡くなっているのに、苦しげではなく、どこか成し遂げたような表情に見えた。その姿がまるで昨日のことのように目に焼き付いている。
「強く生きなさい」この時お母さんは、崩れてきた壁から、壁が倒れないように必死で支えながら、隙間を作って、壁がこの子に倒れないようにして、この子を守ってくれました。これからを、生きることができるように、お母さんは、命を懸け、身代わりとなられたのでした。その結果、この子は、守られ、生きることができたのでした。
「強く生きなさい」「その方によって、 わたしたちが生きるようになるためです」 わたしたちにとっても、自分が、生きるようになれるのは、自分1人でそうなれるものではなくて、私が生きられるように、支えて、助けて、救ってくれた方がいるからです。具体的には本当にいろいろあると思います。 誰一人として、信じてくれなくても、信じ続けてくれたことであるかもしれません。誰もかまってくれない中で、寄り添い続けた人かもしれません。
その姿は、いろいろあっても、私のために、時間を使い、手や足を使って、手や足を動かしてくれた姿です。それはまた命を使ってくれた、出会いです。 出会いを通して、「わたしたちが生きるようになるため」に、イエスさまが、命を使い、命を懸けて下さったことは、本当だと気づかせてくださるのです。
祈りましょう。