2025年1月5日礼拝 説教要旨
逃げることによって(マタイ2:13~23)
松田聖一牧師
中国の故事「三十六計逃げるに如かず」について、こう解説がなされています。
三十六の戦略のなかで逃げるということが最上であると述べているのです。私どもの日常生活のなかでも「負けるが勝ち」とか「逃げるが勝ち」などという格言をなにげなく使っています。つまり、敵と正面から戦ってこれを排除するためには、相当なエネルギーを使いますし、自分も傷つくことが多いのですが、逃げの一手で攻撃をかわし、力を温存し、最後に勝利をおさめるのがよいという生き方の知恵を言い表したものです。
それはその通りです。立ち向かうのではなく、そこから逃げること、が、時と場合によっては、必要です。なぜなら、どうにも叶わない相手なのに、立ち向かってしまうと、自分が攻撃され、傷ついてしまい、疲れ切ってしまい、そこで終わってしまう可能性があるからです。そうなると、自分のこれからがなくなってしまいます。そんなことになったら、もったいないです。これからも用いられ、必要とされるのですから、これからが守られるためにも、逃げるということを、選択肢として、大切にしていっていいのではないでしょうか?そういう意味では、逃げなければならなくなった時には、それによって助かるならば、逃げてもいいんです。
では、その逃げる時とは、具体的にどんな時でしょうか?それは、自分に身の危険、命の危機が迫った時、あるいは、そこまでいかなくとも、相手が人であれば、その人から嫌なことをされるとか、苦しめられるとか、傷つけられるといった時かもしれません。それとも、自分にとって、何かしら嫌なことを避けたいという思いになった時でしょうか?
いずれにしても、喜んで逃げるかというと、逃げながらも、それでも立ち向かいたい、戦いたいと思いながら、逃げていくこともあるのではないでしょうか?その時、理屈では、逃げることで、最後には勝利をおさめることができる、助かるということであっても、逃げるということを、受け入れられないでいる思いと、受け入れざるを得ないという思いとが、交差するものです。そういう中で、逃げるのですから、逃げることは、決して楽なことではなく、大変なことではないでしょうか?
ヨセフや、マリア、そして生まれた赤ちゃんのイエスさまも、そうです。それは東方からの学者たちが、ヘロデのところに戻らずに、国に帰ってしまったということを聞いたヘロデ王が、「だまされたと知って、大いに怒り」イエスさまが生まれたベツレヘムと、その一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず、殺させたという出来事が、これから起ころうとしていたからです。
ただそのことがすぐに実行されたのかというと、すぐではなかったと言えるでしょう。というのは、神さまから学者たちに、「ヘロデのところへ帰るな」と、夢でお告げによって、自分たちの国に帰って行ったことを、ヘロデ王が知るよりも、先に、神さまはヨセフに「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」と、告げているからです。その時、ヨセフは起きて、「夜のうちに」朝になって明るくなってからではなくて、その夜の内に、「幼子とその母を連れてエジプトへ去」るんです。つまり、ヘロデ王による命令が実行されるまでの、わずかな時間、タッチの差と言ってもいいかもしれません。間一髪で、ヨセフ、マリア、そしてイエスさまは、逃げることができたということではないでしょうか?では逃げることができたから、ヨセフ、マリア、イエスさまも、後は良かった、良かった、万々歳と言えるのかというと、逃げることができたのは、良かったけれども、逃げることそのものには、大きなリスクを伴うのではないでしょうか?
阿智村にある満蒙開拓平和記念館パンフレットの中に、「証言、それぞれの記憶」というタイトルで、紹介されています。その中のお一人の方が、逃避行と題して、御自身の経験をこう語っています。
「逃避行」湿地ばっかりで、膝までつかるような所で、足はもう履物もないの。それでも必死で1週間くらい歩いて行ったら牡丹江があって、大きな川でね。幅が200メートルもあるの。それを渡った向う側はすごい原生林なの。人も住めないような獣がいるような山だって兵隊が言うんだよ。この山を越えなければ向こうに出られないって。一難去ってまた一難だ。そうしとるうちに、もう行けないって川に子どもを捨てちゃう人が出てきた。もうどうしようもないもんで、子どもを流したんです。私も7人くらいまで流れていくのを見たんだけど、止めてやることもできん。助けてやることもできない。
川を子どもが流れていくこと、そしてその子がその後どうなったのか?誰にも分かりません。逃避行というのには、そういう大変な現実があったんです。つまり、逃げ始めることができても、逃げるその途中で、それ以上逃げられなくなることが、起こりうることです。ですから、逃げ始めることができたとしても、最後まで逃げ切ることができるか、それは誰にも分からないんです。ヨセフたちにとってもそうです。エジプトに逃げなさいと言うことであっても、エジプトのどこに逃げなさいとも、具体的な、エジプトの町の名前も何もありません。しかも、エジプトに逃げなさいと言われた時、エジプトとの間にある紅海を、船に乗って渡るのか?陸続きのところ、すなわち海沿いの道を通って逃げることになるのか?それでも、ナイル川という世界一長い川がありますから、どうやってその川を渡るのか?あるいは、渡れるのか?渡れる具体的方法については、何もおっしゃっていません。つまり、エジプトに逃げなさいであっても、どこに、どのようにして逃げるのか、どうしたら逃げられるのかということは、ヨセフには全く分かりません。しかも、母親と子供のイエスさまとを連れて、エジプトに逃げなさい、ですから、1人で逃げるのとは、全く違います。そして、逃げる、その逃避行の中でも、食べる物が毎日必要です。夜寝泊りするところも、赤ちゃんを連れてですから、夜露をしのげる場所でなければなりません。獣や、追いはぎ、強盗から襲われないようにしないといけません。さらには、そもそもですが、逃げるということ、逃げているところが見つかってはならないんです。そのためには、見つからないように、秘密裡に、逃げなければならないんです。そのことを、その夜の内に、ヨセフは行動に移していくんです。
このことを、別の見方で捉える時、ヘロデが出した命令の内容は、ヨセフや、マリアの命を狙ってはいません。イエスさまの命を狙ったものです。しかも、そのイエスさまは、ヨセフ、マリアにとって、血のつながりのない幼子です。それでも、ヨセフ、マリアは、イエスさまを、神さまから与えられた救い主として、またわが子として受け入れ、救い主イエスさまの父親、母親として、どこまでも守ろうとしていくんです。だから、エジプトに逃げる時も、またエジプトから、ヘロデが死んだことで、また戻ることができた時も、そしてナザレにようやく落ち着くまで、守ることができたんです。
しかし、イエスさまが、救い主として、神さまのお働きを具体的に始められた後も、同じように、どこまでもイエスさまを、親として、守ることができたのか?というと、ヨセフは先になくなり、マリアが母親として守ることができたのかというと、イエスさまが十字架につけられ、その上で、すべての人の神さまを知らないでいた罪、神さまの方を向こうとしなかった、その罪のために、その罪を全部身代わりに受けて死なれた時、守ることはできませんでした。それは神さまの約束が実現したとは言え、神さまのご計画であっても、母親として、十字架の上でむごたらしい死を遂げた、その死を受けいれるということは、到底できなかったことでしょう。
それは、2歳以下の男の子を、ヘロデの命令によって、殺されてしまった、その男の子の父親、母親、家族にとっても、その死を受け入れることは、いくら神さまの約束が、実現したということであっても、親として、それをそのまま、ハイ分かりましたとは、到底受け入れられないことです。それこそ「激しく嘆き悲しむ声」があり、「子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない」のも、当然です。どんな慰めの言葉も、子供がもういない、という親にとっては、慰めにはならないんです。
しかし、こんな悲惨な、悲劇が実際にあったということが、聖書にはっきりと記されているのは、どんなに理不尽な、受け入れられないような、亡くなり方であったとしても、神さまは、その亡くなった、男の子も含めて、決して忘れるお方ではないということなんです。なぜなら、その子どもは、そのご両親に与えて下さる前に、神さまが命を与えて下さった、神さまの子どもであるからです。だからこそ、その男の子が生きた、たった2年、いやそれよりも短かった、その人生を、神さまは、心に留めないはずがありません。支えないということはあり得ません。その子も神さまの子どもだから、心に留め、支えていて下さいます。そしてその命が、ただ亡くなったままで終わらせるのではなくて、イエスさまの十字架の死によって、人の死をも十字架と共に滅ぼされ、よみがえりの命、神さまと共にずっと生き続ける命へと、新しく造りかえてくださいます。その命に、その子どもたちも、今あるんです。そして、その命があるということを、神さまは、残された私たちにも、気づかせ、与えて下さっているのではないでしょうか?そして、その子どもを失った、両親はじめ、ご家族のことをも、神さまは、神さまの子どもとして、その命を守り、心に留め、逃げる時も、どこに行くにも、ちゃんと心に留めていてくださり、お守りくださっているんです。
ある教会の50周年記念誌に、お一人の方が次のように書いておられました。
イエス・キリストと共に歩む時にも、信じがたい出来事に出会って、一瞬にして不信仰に突き落とされることもあります。14年前、最愛の息子が突如天に召された時、その死を受け入れるのに、とても時間がかかりました。26歳という若さで夢と希望に燃え、これから実社会に船出しようとしていた息子の無念を思い、加えて親としてどれだけの面倒を見てきたかと、責めと後悔で心の中は、悲しみの涙で一杯でした。人々からの慰め励ましの言葉も空々しく、時には憎らしく思う自分が哀れで、悲しく、今まで信じてきたことは何だったのか?神さまは、なぜこのようなことをされるのか?このことが時にかなって、なぜ美しいのか?何度も何度も神さまに不平不満を言い続けながら、重い足を運びながら、礼拝に行きました。この心の重荷を軽くしていただきたい、この苦しみから救い出してほしい、あの十字架の御業の愛をなして下さった神さまから、この試練より救い出して頂こうと祈りました。「わたしの祈りを聞いてください。主よ、私の叫びを耳に入れて下さい。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたと共にいる旅人で、わたしの全ての先祖たちのように、寄留の者なのです。私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように」この御言葉によって、少しずつ平安を与えられていきました。息子は私たちの子どもである前に、神さまが形つくってくださったのだ。26年間、持病による毎日の不安、将来の社会生活に関わる苦しみも、取り除いて下さって、愛し続けてくださる息子を、悪くされることはないと。「主にあって死ぬ者は幸いである。御霊も言われる。しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。」「神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。又、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前の者が、もはや過ぎ去ったからである。」
心の中には未だ息子を思うことはありますが、今、天国にあることを喜びとし、会える時を楽しみに信仰のはせばを歩み続けます。あのゴルゴタの丘にたてられた十字架も麗しく輝けると讃美するように、主の成して下さる素晴らしい御業は、すべて時にかなって美しいと、心からほめたたえます。
私たちに与えられた命は、私たちの命である前に、神さまが形づくってくださった命です。そしてその命を与えて下さった神さまは、エジプトへ逃げた、ヨセフ、マリアも、またエジプトから、ナザレに住んだ時にも、またベツレヘムとその一帯にいた男の子も、その両親、ご家族も、そこに永遠に留まる人生ではなくて、やがて時が来た時、逃げるための命、そこに住み、家族と共に暮らす命である前に、神さまが与え、形づくってくださった命です。だからこそ、そこに神さまは、神さまのもとへ帰らせ、神さまのいのちへと引き寄せ、包んで下さるんです。確かに、それまでの時は、逃げることも含めて、寄留の者です。しかし、その中心に、救い主イエスさまがおられるからこそ、十字架の上で、神さまの救いを完成してくださったからこそ、住む所も、その生きた時間も、どこで、どのように、逃げたかが分からなくても、そこに救い主イエスさまが、共に歩んで下さり、イエスさまと共に、神さまのところへと、ちゃんと導いてくださいます。もうそこでは、逃げる必要はありません。あちこち移動することもありません。神さまといつまでも、共にあります。
祈りましょう。