伊那坂下教会CSだより 12月

クリスマスおめでとうございます。クリスマスの喜びがたくさんの人に与えられますように!

2024年12月14日子どもクリスマス会 ことばによって(ヨハネ1:4)「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」

いろんなことばがありますね。いろんな言葉を言ったりしていますね。その言葉の中には、気持ちのいい言葉もありますね。反対に、いや~な言葉もありますね。そのいや~な言葉を、あるところでは「ちくちくことば」って言っていましたが、そういう言葉を言われたら、どう思う?いやだよね~傷ついちゃうよね。その言葉が、自分に向けられていなくても、それを聞くだけで嫌な気持ちにもなるよね。

じゃあ言葉って、傷つけるために、嫌な思いをさせるためにあるのかというと、本当は違います。本当はその人を支えたり、慰めたり、力づけたり、励ましたり、ちょっとオーバーに言えば、その人の人生を変える言葉にもなることがあります。それが言葉の本当の目的です。では、なぜ言葉にはそういう力があるのでしょうか?

それは、言葉には命があるから。その命は、その人を生かし、その人が、もう一度やってみようと思えるようになるほどの、力があるからです。そして希望を与えるからです。

神さまのことばがそうです。神さまは、言葉を語り、言葉をくださいます。その言葉を通して、力が出てきます。励まされます。希望が与えられます。そうだったんだ~とたくさんの良かったことに、気づけます。それは、言葉の中に命があるからです。命があるから、その人を生かすんです。

ある小学校の女の子がいました。学校生活も楽しく過ごしていましたが、1つだけ、すごくいや~な言葉がありました。それは彼女のお母さんの顔に、ひどいやけどの跡があって、友達から、お前のお母さんはお化けだ!と、からかわれたりしました。それがとても嫌で、嫌で、お母さんが、授業参観に来てくれることも、本当に嫌でした。それである時、お母さんに言いました。「もうこれから学校に来ないで!友達から、お前のお母さんはお化けだと言われるから」それが嫌だから‥もう来ないで。お母さんは、その話をじっと聞いていました。

しばらくして、どうしてこんなやけどを負ったのかを、お母さんは、話し始めました。

あのね、あなたがまだ赤ちゃんだった時ね。つかまり立ちが出来た頃、台所に、やって来た時、おゆがぐらぐらと煮えている、お鍋につなぐガスホースに当たってしまったことがあったの。それで、お鍋がこぼれそうになって、あなたにお湯がかかりそうになった時、「危ない!」と、慌てて、お湯がかからないように、かばった時に、お母さんの顔に、お湯がかかってしまったの。その時の、やけどなんだよ~でもそのことで、嫌な思いをさせてごめんね~

彼女は、初めて聞きました。そんなことがあったんだ!お母さんが、わたしを守ってくれたんだ!かばってくれたんだ!その時、自分が、お母さんに言ってしまったことを、すごく恥ずかしく思いました。そしてお母さんに、ひどいことを言ってしまって、ごめんなさい~。泣きながら謝りました。お母さんは、彼女をしっかりと抱いて、いいんだよ~大丈夫だよ~と赦してくれました。

お母さんのやけどは、私の為だった・・それからは、お母さんに学校に来なくてもいいとは思わなくなりました。むしろお母さんを誇らしく思いました。友達にも「お母さんの顔のやけどは、私をまもってくれたやけどなんだよ~」と、お話するようになりました。「いいんだよ~大丈夫だよ」この言葉が、彼女の心を変えました。

そのように神さまの言葉は、私たちの心を変えます。神さまの言葉は、素晴らしい言葉です。励まし、慰め、立ち上がらせてくださる言葉です。希望を与える言葉です。そのことばを、下さった日が、クリスマスです。

クリスマスおめでとう!

 

2024年12月15日子どもメッセージ

暗闇の中に来て生まれてくださった主(ヨハネ1:5)

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9・1)

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8・12)

教会のお宝として、140年近く大切にされているものに、前島密の書いた聖書の言葉がありますね。「いと高きところでは栄光、神に在れ。地には平和。御心に適う人々にあるように」イエスさまが生まれたことを、天使たちが羊飼いに伝えた時、天使たちの歌った賛美です。

この言葉は、漢字で書かれていますが、この当時、明治20年、1887年頃は、聖書の日本語訳が完成したばかりの時でした。そして、この聖書の言葉が、教会に贈られた時、まだ教会が始まってから4年経った頃ですから、まだ始まったばかりです。だから教会の方々は、すごく喜んだと思います。神さまが始まったばかりの教会を、励まして下さったと思ったのではないでしょうか?

それは、羊飼いたちもそうです。それまで真っ暗な中にあった彼らに、世界で初めて、救い主イエスさまが生まれた知らせが届けられた時、真っ暗な中にも、光が照ったように、光が差したように思ったでしょう。自分たちは見捨てられていない、神さまが見て下さっている、神さまがついていてくださることを、知ることができたのではないかと思います。

アイヘンバーグという絵描きさんがいました。彼はナチスドイツから逃れて、アメリカに渡った方ですが、その方の書かれた絵があります。この中で並んでいる人々は、その日の食べる物がありませんでした。それで、炊き出しをして、食べ物を与えて下さるところに並ぶのです。真っ暗です。服も真っ黒です。顔を隠し、誰だか分かりません。寒さに凍えているようです。そこに、真っ黒な服を着て、真っ暗な中に、イエスさまも並んでいるんです。でも、その真っ暗な中で、イエスさまの顔の周りは輝いて、その輝き、光が、一緒に並んでいる人たちを照らしているんです。なぜならば、そこにもイエスさまが共にいてくださったからです。

神さまは私たちにも、大いなる光を見せてくださり、光を輝かせてくださいます。希望を与えて下さいます。今、暗闇の中を歩いていても、今、暗闇の中にあっても、暗闇の中で、光を見せて下さり、光を輝かせてくださいます。その時、神さまであるイエスさまは、暗闇の中にいます。

CSクリスマス会の様子から

ハンカチ落としゲーム*クリスマスバージョン

チーム対抗 パネルチェンジゲーム

朗読 クリスマスに贈る物語「パクさんのリヤカー」

幼稚園から高校生まで沢山の参加があり、楽しい時間を 過せました。

長い朗読を聴く時間も良いひとときとなりました。

皆さんも「パクさんのリヤカー」で検索して読んでみて下さい!

 

教会学校だより 12月