2022年9月4日礼拝 説教要旨

信じ続けて(マルコ12:1~12)

松田聖一牧師

 

1つの土地を畑にするという作業は、大変な作業です。土地がそこにあるから、そこにポンと種を蒔き、苗を植えたらいいのかというと、そこまでするには、本当にいろいろな作業が必要ですね。畑をこしらえていただきましたが、そこに辿り着くまでには、その土地の中に埋まっている石、岩などを取り除いていかないといけません。その作業を始めていくと、掘っても、掘っても石や、時には大きな岩も出てきます。小さな石ですと、手で取り除くことができますが、岩になると、一人ではなかなか取り除けません。でもそうしないと、石がごろごろしている土地では、作物はなかなか育ちません。そして、その出て来た石をどう使うかというと、畑となる土地の周りに、並べて積んでいきます。それは、弥生時代の田畑の遺跡にも見られます。その土地から取り出した石を並べて積み上げられているところが発掘されて、私たちが、目にすることのできるようになっている場所もあります。

 

そういう意味で、イエスさまの譬えで「ぶどう園を作り」とありますが、たったこのことだけでも、どれほど大変な作業であったかということが分かります。時間もかかりますし、重労働です。そして土の中からごろごろ出て来た石や、岩を、今度は、その土地の周りに並べて行って、石や岩を積み上げて、石済みの塀や、あるいは土で固めて仕切を作ったり、丸太を摘んだりして、垣根を作っていきます。その垣根を、その土地の周りに巡らすということは、その土地の周りを囲うことができるほどの、石などがいりますから、相当な量が必要になります。そして、ぶどうを搾る、搾り場を掘ることも、地面を掘る作業がいりますし、見張りの櫓(やぐら)、作物が盗まれないようにする櫓を建てるというのも、建物を一から立てていくということになります。櫓を建てるという言葉には、教会堂を一から建てるという意味もありますから、本当に一からのことになりますので、大変な労力と、何よりもものすごいエネルギーがいります。なかったところに、作り上げていくわけですから、あるものに継ぎ足しとは全然違いますから、大変です。そうしてようやく、畑としてぶどうの収穫に向けて、スタートできます。

 

つまり、ぶどう園を作るというのは、土地がそこにあるから、そこにぶどうを植えたらいいといった、そんな簡単なものじゃないということです。そんな簡単じゃないことを、一人のある人が全部やってくれるのです。その上で農夫たちに貸して、旅に出たということは、ある人は、農夫たちのために、ぶどう園を作ったということでしょうし、用意されたぶどう園を、農夫たちも、いらないと断ったのではなくて、ある人からちゃんと、ぶどう園を預かり、ぶどうを育て、手入れするということも、受け入れているのです。だから、ある人は農夫たちに貸すことが出来ました。逆に言えば、一般的にもなりますが、貸し手が、いくら貸したいと思っても、それを預かり借りてくれる人がいないと、貸しようがありません。

 

それはそうですよね。貸したいとどんなに思っても、それを預かり、受け取ってくれる借り手がいなければ、どうにもなりません。そういう意味でも、貸して旅に出たある人にとって、預かり借りてくれる農夫たちがいて、それを受け取ってくれたからこそ、「農夫たちに」貸して旅に出るということができたんです。ですから農夫たちにの、「に」は大きなポイントです。この「に」がなかったから、この場面は成立しません。に、があるから、ぶどう園は、農夫たちに託され、農夫たちは、ぶどう園の手入れ、ぶどうの収穫に向かって、そこで働くことができたし、働くということで、自分たちが必要とされていることの実感と、毎日の生活のリズム、それは生きがいと言ってもいいかもしれません。それが与えられていくのです。

 

これを私たちに置き替えてみるとき、いかがでしょうか?自分の場所があるとか、自分が必要とされていると受け取れる仕事といったことなどがあると、それは単純にうれしいですね。それは働きとか、場所という以外にも、広く、これを貸したいから、これを託したいからと言われたら、姿勢がそこに向かいます。

 

ある時に、引退される牧師先生から、いろいろ必要なものがあれば見てほしいんだけど~と言われて、先生の書斎を訪ねたことがありました。丁度片付けの真っ最中で、段ボールが山と積まれ、本が本棚から取り出されている、そんな部屋になっていました。その中に通されたわけですが、いろいろこれはどう?あれはどう?に、これもいいですね、あれもいいですね~ということで申し上げる中で、スライドの映写機がありました。リモコン付きで、先生が教会学校などで使っていたものでした。もともとラジオでも語り手として活躍されていた先生でしたから、そういう視聴覚教材がいろいろありました。その映写機を手に取った時、こうおっしゃられました。「これ貸してあげる」え?と思いまして、じゃあいつか返さないといけないのかと思いまして、もう一度、貸してあげるですか?聞き返しましたら、首を横に振られて、いいえ、「貸して」そして、「あげるよ」要は下さるということでした。その時のおっしゃられた言葉、「貸して」「あげる」が心に残りました。その先生も、天に召されました。「貸して」そして「あげる」・・

何か大切なものを託されたようにも受け止めています。そういう貸して、そしていただいているんだということ、それはこの映写機だけではなくて、私たちに毎日、必要なものを神さまは、私たちに毎日、毎日、貸して、与えて下さっていますね。

 

そういう意味で、農夫たちも、いただくだけです。いただくだけで神さまは良くしてくださったのです。それはお恵みです。恵みというのは、こちらから恵みをもらうために、何かをしないといけないとか、いただく恵みに相当するものを、こちらからお返ししなければならないという、ギブアンドテイクといったものではありません。神さまから与えられるものは、すべてお恵みで、私たちに向かって、与えられています。それを受け取るのには、貸して、あげようと、託してくださる神さまに向かって、手を開くだけです。手を開いて、ありがとうと受け取ればそれでいいのです。ただより怖いものはないとか気を遣わなくてもいいし、受け取ることを渋る必要もないのです。ただ貸して、あげようとおっしゃってくださるものは、私たちに必要なものだと判断してくださったものなので、それをそのまま、神さまから受け取ればそれでいいのです。それはものだけではありません。貸してあげようとおっしゃられる時にある、信頼もそうです。私たちを信頼しているから、信じ切っているからこそ、神さまは必要なものを、ちゃんと必要な分与えてくださいます。その信頼が先に与えられているからこそ、与えて下さる神さまを信頼したらいいんだという、神さまへの信頼も、神さまから与えられます。それもお恵みとして、ただ受け取ればそれでいいのです。

 

ところが、神さまから貸して、与えられ、託されたものなのに、それらを、わたしのもの、自分のもの、私たちのものにしてしまうことはないでしょうか?農夫たちの姿がそれです。彼らは何をしていったのでしょうか?収穫の時になったので、「ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った」その僕に対して、あれこれととんでもないことをしていくのです。

 

そもそもある人が、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送ったというのは、ただ単に、農夫たちのいる場所に向かって、その農夫たちに向かって、僕を送ったという、僕を送るということだけではないです。「農夫たちのところへ」の「ところへ」には、もっと深い意味を込めているのです。というのは、「農夫たちのところへ」の「ところへ」は、単にその人のいるところという場所だけではなくて、農夫たちと向き合って、農夫たちと人格的な密な関係の中に、僕を送ったということなのです。

 

ということは、ある人は、僕を農夫たちのところへ送った意味と目的は、ある人は、単に貸したから、当然受け取る収穫を受け取ればそれでいいということではなくて、この農夫たちと、心通わせたいと思っているから、また、この農夫たちを本気で向き合おうとしているから、農夫たちのところへ送ったのです。ですから、ある人のしていること、農夫たちに向き合っていることは、おぜん立てを全てしたということとか、収穫を得るためだとか、僕を通して、収穫を得られたら、それでもう、農夫たちとの関係は終わり、ということではなくて、もっと深い、もっと人格的な関係、つながりをもとうとして、向き合おうとしているのが、ある人なのです。

 

でも農夫たちは、次々と向き合おうとして、送られる僕たちに対して、「その頭を殴り、侮辱」するのです。頭を殴ったら、その僕はどうなるんでしょうか?どうかなってしまいます。でもそれで送るのをやめるのかというと、(5)「更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。その他に多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。」こうして農夫たちは、次々と送られてくる僕たちを傷つけ、犠牲者を出していくのです。

 

この僕に対して農夫たちのした行為は、とんでもないです。貸していただいたある人に対する、農夫たちのすることじゃないです。それなのに、やっている内容は、どんどんエスカレートしていくのです。どうしてこうなっていくのでしょうか?それは、貸し与えられているものを、自分たちのもの、わたしたちのもの、わたしのものだと、というところに立っているからです。だからわたしのものだから、取られたくないとか、もっとわたしのものがほしいとか、という欲がどんどん大きくなってしまうのです。

その欲をお互いに持ってしまい、持っている者同士の関係だけになってしまう。それが(6、7)「まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。その時、「農夫たちは話し合った」」すなわち、お互いに、この息子をどうしようかと意見を出し合うという意味で話し合ったということだけではなくて、農夫たちがお互いに向き合っていくのです。ということは、農夫たち以外の人とは向き合ってはいないということです。農夫たちという彼らだけで、その他の方々を入れていません。自分たち以外を排除し、自分たちだけで固まってしまっています。

 

その結果、内輪ばかりになり、それ以外の方々、世界と関係がなくなってしまいますから、自分たち以外の情報が伝わってこなくなり、シャットダウンされてしまって、結果としては井の中の蛙になってしまうのです。それが「これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる」これが、貸し与えられたものは、わたしたちのものだという思いを持つ者同士だけの世界、内輪ばかりの世界になってしまった結果の言葉なのです。

 

そこに、ある人の愛する息子が送られ、その息子は殺され、ぶどう園の外に放り出されたのです。

 

とんでもないことになりました。でもこんな結末になることを、ある人は気づいていないのでしょうか?ますますエスカレートしていっているのですから、流れとして、殺されてしまうのではないかということが、予想されたのに、どうして愛する息子を送るのか?それは「相続財産」を与えるためです。この相続財産とは、ある人の遺産と言う意味ではありません。相続財産とは、神さまから賜る、与えられる救いです。神さまから与えられ、受け取ることのできる神さまの救いです。けれども彼らにとっては、相続財産です。でも神さまにとっては、彼らがどんなに欲望をもって、相続財産としていたとしても、それを神さまの救いとして、与えようとされるのです。そのために愛するひとりの息子を、ここに送るのです。そしてその息子は、殺され、ぶどう園の外に放り出されていくのです。

 

この息子とは誰でしょうか?それはイエスさまです。イエスさまは神さまの救いとして、これはわたしのもの、これはわたしたちのものという欲望、そしてその欲望を持ちながら、神さまを向こうとはしないで、お互いに向き合っていたことを受け取ってくださったから、イエスさまは、十字架の上で殺されてしまいました。それは殺されたということだけではなくて、神さまの救いという相続財産であるイエスさまの命を与えてくださるためです。神さまの命、イエスさまの命が、この農夫に、また農夫と同じことを繰り返してしまう、私たちにも与えられたのです。そして、それが救いとなったのです。

 

広島に原爆が落とされた時、沢山の方々傷つき、亡くなられました。その中で、ある女性の方が、ビルの地下室に避難しました。彼女のお腹の中には、あかちゃんがいて、間もなく生まれるという時でした。やがて産気づきました。でも病院は壊れてありません。医師もいません。そんな中で産もうとした時、真っ暗な中で、一人の方が声をかけました。「わたしは産婆です。お手伝いします」そう言って、真っ暗な中で、その方は、自らの重傷を負い、40度近い高熱の中で、一晩中、お産に付き合い、お産する彼女を助けてくれました。何もない中で、真っ暗な中で、その方は一生懸命にされました。やがて、無事に赤ちゃんが生まれました。その時、助けてくださっていたそのお産婆さんは、亡くなっておられました。

 

その時の光景が詩になりました。「うましめんかな」

 

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク1本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ。

 

マッチ1本ないくらがりで

どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのは

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で

新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

 

神さまが与えてくださる救いとは、イエスさまの命をもって与えて下さった救いです。欲望のど真ん中に、必ず受け取ってくれると信じ続けて、与えてくださった救いです。私たちは、それをただいただくだけのものです。

説教要旨(9月4日)