2022年7月24日礼拝 説教要旨

これからのこと(マルコ8:22~26)

松田聖一牧師

 

出会いには様々なきっかけがありますが、本人がそこに行きたいと思って出会う出会いもあれば、本人にはその気がなくても、誰かが連れて行くこと、連れて来てくれることで、出会う出会いもありますね。

 

デンマークから来日され70年の長きに渡って宣教師として働かれた、ウィンテルという先生がおられました。ウィンテル先生は1898年に来日され1970年に95歳で天に召されましたが、来日して最初の赴任地が九州の久留米という町でした。明治の中頃は、まだまだキリスト教に対する反感、敵対心が強く残っていました。礼拝中に石を投げられたりといった、いろいろな妨害がありました。そういう中ですから、住まいを見つけることができずにいました。それでも苦労されて、ようやく見つけた家が、周りから幽霊屋敷と言われている家でした。でもそこに住んでみると、そんなことは全くなく、その代わりに大きな青大将が家にいて、その蛇が、住んでしばらくすると出て行ったとのことでした。その久留米に来て1週間もたたない時に、一人の父親が、7歳くらいの少年を連れて先生のところにやって来て、お願いしました。「この子をどうぞ、善い人間にして頂きたいのです。」それから次の日曜日から日曜学校に通うようになりました。最初の生徒でした。その7歳の少年と20代の先生との出会いが、生涯変わらぬ友情の始まりとなりました。それは後に、その少年が、イエスさまを信じていいんだという信仰を与えられ、神学校に進み、渡米し、同じ主の働き人となっていったからでした。その先生は、稲富肇という方ですが、最初にお父さんが願われた「この子を善い人間にしていただきたいのです。」と教会に連れて来たことに始まります。この子が来たいと言ったわけではありません。お父さんが連れて来たのです。でもその出会いを通して、イエスさまを信じていいんだという思いが与えられ、このお方をお伝えしたいという思いが与えられていったのでした。

 

そのように、本人が行きたいと思い、そう言ったわけではないのに、連れて来られるということ、それはベトサイダにイエスさまとその一行が着いた時、連れて来られたこの盲人、目の見えない状態になっていた方もそうです。この人が、イエスさまのところに行きたいと言ったわけではない。連れて行こうとした人たちがいたからこそ、彼はイエスさまのところに連れて来られたのです。

 

しかも連れて来た人たちは、イエスさまがここベトサイダに来たから、是非とも目が見えるようにしてほしい、と喜んで連れて来たのではなくて、忍んで、我慢して連れて来たという意味です。ということは、連れて来た人たちと、連れて来られた、この目の見えない方との関係には、何かがあったと言えるでしょうし、ベトサイダで、何かしらあったために、ベトサイダの人々は、彼を喜んで連れて行きたい!と思えるどころか、忍んで、我慢して連れていくという関係にあったということです。何かがあって、喜べなかったのです。忍耐して、我慢しなければならなかったのです。それでも人々はこの人を連れて来て、触れていただきたいと願ったのです。

 

見方を変えれば、その人々は、この目の見えない人をイエスさまのもとに連れて行くこと、触れていただきたいと願うことは、彼らの思いに反して強いられたものだったかもしれません。本当は嫌だけど・・・それでも連れて来て、イエスさまに願うのです。

 

その一方で、この目の見えない人は、閉鎖的な環境にあったということです。というのは目が見えないということで、自分から自由にどこにでも出かけて、自分で何かをすることは難しかったと言えるでしょうし、そうすると誰かに頼らざるを得ません。でも彼は自分の目で見ることができませんから、自分が頼る人がどんな人か、見えませんし、どんな人か分かりません。でもわからなくても、誰かを頼りにしなければ、生きていくことができません。その時、自分が頼りにしていたその人から、人々からもいろいろなことを受けていきます。その受ける内容によっては、何をされているかもわからないほどに、ひどいことを受けてしまうこと、それこそ人権という言葉、考え方すらなかった中で、何をされていても、自分が何をされているのか?客観的にどういうことなのか分からないままの毎日だったとも言えます。それは閉ざされた社会、環境に置かれているとも言えるでしょうし、そうなってしまうと、何をされているのか、どういうことなのかが分からないままです。それはこの人だけのことではなくて、そうなってしまう可能性が、どこにでもあります。閉ざされているところにいると、何をされているのかすらも、分からない状態となっていくのです。

 

そういう背景がある一人の目の見えない方を、イエスさまは「村の外に連れだ」されるのです。連れ出すという言葉は、持ち運び、運び出すという意味です。そのために手を取っていかれるのは、優しく持つといったことではなくて、捕まえて握るということですから、相当、この目の見えない人は、村の外に出ることに抵抗しているということになります。村の外に出たがらない、とにかく外に出たくないのです。それはそれまでの村での生活が、村から出ないでい続けていたこと、人から何をされても、それが彼の世界であったから、そこから出るということは、並大抵のことではなかったのではないでしょうか?でもそのままにしておいたら・・・・どうなってしまうかということも、ご存じでいらしたからこそ、そこから連れ出さなければならない、と判断されたので、イエスさまは、彼の手をつかんで、捕まえて、握って、その村から、外に持ち運びだすのです。

 

そして連れ出すことで初めて、見えなかった目が見えるようになるための、イエスさまの癒しが始まっていくのです。見方を変えれば、この目の見えない人の環境を変えることで始まる癒しでもあります。

 

例えば、散歩というものがありますね。散歩というと、外を歩きます。家から一歩出て、外の空気に当たり乍ら、歩くわけですが、歩きながら景色も変わり、歩くたびごとに環境が変わっていきます。それまでいたところから、一歩外に出たからこそ、環境が変わったのです。この散歩について、江戸時代に活躍された学者でもあり、医師でもあった貝原益軒(えきけん)の「養生訓」と言う本の中に、散歩について、ひと言、こうありました。散歩は毒を散らすことであると。体にたまった毒を、散歩によって、外に出し、そして散らすということです。その結果、毒を散らす散歩をしながら、その人を取り巻く環境が変わっていくのです。

 

そういう意味でイエスさまは、その人を村の外に捕まえて、握って、持ち運ばれたところで「その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何が見えるか』とお尋ねになった。すると盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』と彼の目が見え始めていくのです。そして人が見えて、歩いているのが分かると答えた、その彼に、(25)そこで、イエスがもう一度、両手をその目に当てられると、よく見えてきて何でもはっきり見えるようになった。とある通り、イエスさまはこの人の目をはっきりと見えるようにしてくださるのです。

 

そのためにもう一度両手をその目に当てられるのですが、「当てられる」と言う言葉には、載せるという意味と、負担、苦難を加えるという意味もあります。

 

不思議です。目が見えるようになり、そしてもう一度両手をその目に当てられて、何でもはっきりと見えるようになったのであれば、この人にとっては、良いことではないでしょうか?目がはっきりと何もかも見えるようになって良かったね!と言えるのに、負担、苦難を加えるというのは、どういうことでしょうか?

 

それは、何でもはっきりと見えてくること、見えるようになったことで、彼に、苦しみが加わってくることになるからです。良く見えたら、よく見えるので、何でも見えます。その結果、それまで見えなかったものが、よく見えるようになりますから、内容にとっては、見えない方がいいこと、見なくていいものが、出てきてしまうのではないでしょうか?何でも見えたら、何でも見えていいのか?というと、それはまた別の問題です。見なくてもいいもの、何でも見えたとしても、見ない方がいいものもあります。

 

そういう意味で、そのままベトサイダという所に、とどまり続けたら、それまでいた村の人とのこと、村の人から受けたこと、されたこと、そしてその村の様子も、何から何まで見えてしまい、今まで見えなくて良かったこと、見えないことで、分からなくて良かったことまでが見えてしまうのではないでしょうか?そのことで、この人に、苦しみが加わっていく、負担が増えていくのではないでしょうか?具体的には、この人だったのか!自分にいろいろとしていたのは~といったことが、見えるようになることで、見なくてもいい関係まで見えてきてしまうのです。

 

そういうことを見なくても済むように、イエスさまは「その村に入ってはいけない」とおっしゃられ、その村に二度と足を踏み入れることがないように、その村との関係を切ってくださり、その人を家に帰されたのです。それはただ単に家に帰されたというだけではなくて、その家に、イエスさまは遣わされたのです。遣わされるということは、その家に帰る目的があるということです。どんな目的なのか?第一に、その家に帰ることで、目が見えなくなっていた時期、自分の家には帰ることができなかったその家、あるいは家族との関係をもう一度取り戻すためです。自分を待ってくれていたか、もう帰って来ないとあきらめていた家族がいたからでしょうか?いずれにしても、その家に帰されたのは、この人の帰るところは、家だ、この村じゃない!からです。そして村との関係から、家との関係、家族、一族との関係へともう一度、帰すために、そしてこの人に、これからを与えるために、これからは家で、家族と過ごすようにと、家に遣わされるのです。

 

それがイエスさまの、この人に与えた使命です。使命とは命を使うと書きます。つまりイエスさは、彼の命を、目が見えるようになった、何でもよく見えるようになったことで、同じこの人が、これまでの生き方から、これから自分の命をどう使っていくのか?ということを、村に入ることではなくて、家に帰ること、家族のもとに帰ること、家族のもとに遣わされることによって、与えようとしておられるのです。そして、自分が見えるようになったことを、遣わされた家族のところで見せていくことになるのです。その時、彼は家族の顔を見ることができるようになったことでしょう。両親が健在であれば、自分を生み、育ててくれた両親の顔を初めて見ることになったでしょう。兄弟姉妹がいたら、自分の兄弟、姉妹、兄、弟、姉、妹を見ることができたし、この目で見て、会うことができたのではないでしょうか?あるいは親戚の方がいらっしゃったら、その親戚の方々をこの目で見ることになったことでしょう。そういう意味で、家に帰らされることは、その家、家族に出会い、家族を知るということでもあります。どんな家族であったのか、家族は、目の見えない私とどう向き合い、その家から離れ、家族と別れていたこと、家に帰って来なかったことを、どう受け止めていたのか?どれほど辛く、悲しい思いをしたか?どんなに大変だったか?そういうことも含めて、その時の家族の状況、置かれたいろいろなことも知るようになるのではないでしょうか?

 

そういうことにも出会うのです。この人は。ということは、家に帰らされ、家に遣わされた、目が見えるようになったこの人が、帰れたことで喜びだけがあるかというと、必ずしもそればかりではないと言えます。家族に再会すること、家族をこの目で見る事によって、苦しみも負うことになるのではないでしょうか?しかしそうであっても、イエスさまが、家に帰されたという、これからを与えてくださる意味と、目的は、そういういろいろを負わされることがあっても、そこに一人で帰され、遣わされるのではありません。イエスさまが、癒して下さったその一人の人と共に、その家、家族のもとに帰され、遣わされるのです。イエスさまは、その人と共に、その家に赴いてくださるのです。

 

島崎光正さんという詩人がいらっしゃいました。1948年に木曽に伝道に来られた植村環先生から洗礼を受けられ、81歳で召されるまで詩をかかれた方です。二部脊椎を背負われていました。そのことを背負って生まれて来た時、お母さんは体調を崩し、入院されました。島崎さんは祖父母に引き取られ、自分を産んでくれた母親が赤ちゃんの時に、会いに来てくれたその時以来、会う機会はありませんでした。母親は体調を崩したまま、入院先で若くして召されていかれたのでした。そのことを振り返りながら、こんなことをおっしゃっていました。

 

私は子どもの頃全くお祖母さん子でありまして、お祖母様お祖母様で事足りていたわけであります。段々物心がついて、お祖母様だけでは飽き足らない年齢になったのです。それで、田舎のお祖母様は本当のことを打ち明けて、冷静に受け止めてくれるだろうという判断だったと思いますが、小学校五年生の時、事実を打ち明けてくれました。お前のお母さんは、これこれしかじかで、今も福岡の病院にいるんだと。その話を知らされた時に私は小学校5年生の幼い胸ながら、母は痛ましい境涯を福岡の九大病院の精神科で送っている。そのことが第一に胸に応えました。それからもう一つは母がそうなったのも、考えてみれば自分に対する愛のゆえにこうなったということに気がつきました時に、私はこの母に対して限りない感謝、感恩の念を抱きました。感恩の影響はそれからずっと私の胸の中にとどまり、私を支配してくれています。母はあくまで私を愛してくれたのだ。 ちょっと余談になりますが、私ども障害者の仲間には、特に生まれながらに障害を持って生まれてきた友達には、ある時期になると両親に対して反発をいたします。なぜこんな体に産んだのですか。これは自然な気持で、そういう気持を抱くことに対して、決して半端な気持ちだと言ってはいけないと思います。そういうところを皆乗り越えてくるのです。親にとりましても、そういう悲しみは皆乗り越えて来ている筈です。ところが、私は幸いというべきでしょう、そのように事実を知らされましたときに、母の愛の前に沈黙せざるを得ない。自分に先んじて母が痛みを負っていてくれる。その事実の前に私は沈黙せざるを得なかった。よしや、そのような障害をもっていようとも、生きて行かなくてはならない責任を私は感じました。

 

そのような思いの中で、沢山の詩を詠まれますが、その詩をまとめた本として出された1つに、こんなタイトルが付けられていました。「悲しみ多き日にこそ」そのように、家族に出会い、家族を知ることは、喜びばかりではなくて、沢山の悲しみがあったことを味わい、知るのです。辛かったこと、苦しかったこともたくさん味わうのです。しかしそれがどれだけ多くても、そこにイエスさまは、共に帰ってくださいます。一人で遣わされるのではありません。イエスさまが、一緒です。

 

(担当者所用で更新が遅れたこと、お詫び申し上げます。A.O)

説教要旨(7月24日)