「偽善者とは」

加藤 智恵 牧師   マタイによる福音書 23章25~36節

 

 本日与えられた聖書の内容は、主イエスが時の権力者であった、律法学者やファリサイ派の人々の偽善について、厳しい非難の言葉を投げかけています。偽善者とは、うわべだけ善人に見せかける人のことです。聖書個所の25節からは、イエス様が律法学者やファリサイ派の人々に語られた7つの不幸の中の、第5、第6、第7の不幸が書いてあります。

 25節からは第5の不幸です。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。彼らは盃や皿の外側は綺麗にするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」と主イエスは言われました。27節からは第6の不幸です。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。あなたたちも外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」と主イエスは言われました。29節からは第7の不幸です。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして『もし先祖の時代に自分が生きていても、自分たちは預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。神が遣わした真の預言者を彼らの先祖たちは、信じないで殺害したのである。こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明しているのである。」と主イエスは言われました。

 律法学者やファリサイ派の人々は、権威の上にあぐらをかいていたのです。神の僕として人々に仕え、貧しい人、苦しんでいる人のために力を注ぐことが、上に立つ者のあるべき姿でした。ところが、彼らは権力をかさにきて、人々を苦しめていたのです。主イエスは「だから、私は預言者、知者、学者をあなたがたに遣わすが、律法学者ヤファリサイ派の人々は、預言者や知者や学者など、自分たちより優れた人をねたみ、迫害し、殺すだろう。」と預言しています。

 最初から最後まで義人を迫害したイスラエルの歴史は、その罪の目盛りが主イエスの時代に満たされます。そして、エルサレムの滅亡という悲劇的な結果を見ることになります。それは彼ら律法学者とファリサイ派の人々の拠り所であった、エルサレムの神殿が破壊されることでした。紀元70年にローマ軍によって、エルサレムの神殿は破壊されました。そして今日も修復はされていません。祭司長、律法学者、ファリサイ派の人々は神の子であるイエスを捉え、殺そうとしました。こうして罪の目盛りを満たしたのです。しかし、主イエス・キリストは群衆から、殺せ、殺せと罵声を浴びながら、自ら十字架の道を歩まれました。罪ある人間の身代わりとなって、殺されたのです。主イエスは、神に「彼らを許して下さい。彼らは自分が何をしているのか分からないでいるのです」と執り成して死にました。律法を守ることによって義とされる旧約の時代は終わり、罪人のために命を捨てて下さった主イエスの愛と真実を信じる、信仰によって義とされる時代がやって来たのです。

説教要旨(11月1日)