「愛に従って歩む」

加藤 智恵牧師    ローマの信徒への手紙 14章10~23節

 

 ローマの教会の中には、強い者と弱い者との2つのグループがあり、激しく対立していました。それは食べ物についての問題でした。強い者とは、何を食べても良い、と考えていた人達でした。しかし、弱い者は肉を食べることをためらう菜食主義者で、特定の日を重んじる人達でした。パウロはユダヤ人ですが、キリストに出会ってからは、ユダヤ教の食物規定に縛られることなく、何でも感謝して食べていました。このように代わったのは、パウロに揺るがない信仰が与えられたからです。10節でパウロは、信仰の強い人達と信仰の弱い人達に対して、「何故、あなた方は自分の兄弟を裁くのですか?また、何故兄弟を侮るのですか?」と言っています。「食べる人」と「食べない人」、つまり信仰の強い人と弱い人が、互いに相手を批判しあうのを止めないなら、ついには教会は分離してしまうことになります。

 動物の肉を汚れていると思う人は、その人だけに汚れた物であるのですが、その人は食べることが出来ないのです。何を食べてもかまわないと思う人は、その人を見て、信仰の弱い人だと裁き、心を痛めさせるのであれば、その人は愛に従って歩んでいる人とは言えません。愛とは温かい心、寛容のある人のことではないでしょうか?パウロは従ってもう裁き合わないようにしよう(13節)と言っています。私たちはそれぞれに異なった賜物を神から頂いています。それは自分に与えられた賜物を、それぞれに生かして、教会の一致と成長のために役立てる物なのです。自分の賜物を誇るのではなく、互いに協力することが大切なのです。

 主イエスは病の人たちを癒される時に、「立ち上がりなさい。自分の足で歩きなさい」と言われました。立ち上がりなさいという言葉が聖書には多く使われています。私たちの信仰が弱まってしまう時があります。この世の事柄におろおろとしてしまう姿は、疑いながら肉を食べる人と同じ状態です。しかし、そこに留まらずに神様に依り頼む事を求めるならば、神様は必ず立ち上がらせて下さいます。また、信仰共同体である私たちは、互いに執り成しの祈りをすることが大切です。主イエスはペトロがサターンのふるいにかけられて弱まっている時に、神の執り成しによって立ち直ることが出来ました。そして、主イエスはペトロに同じように、信仰の弱まっている人のために、執り成しの祈りをしなさい、と言われました。

 神様は私たちに、立ち上がりなさい。そして愛によって歩みなさい、と呼びかけてくださっているのです。本当に慰められ、励まされる言葉をかけて下さり、感謝の思いが湧いてきます。

説教要旨(8月2日)