「御子のうちに留まりなさい」
加藤 智恵牧師 ヨハネの手紙 一 2章22~29節
ヨハネは12弟子の中では若い青年で、自分のことを、イエスの愛していた弟子と書いています。ヨハネによる福音書13章23節には、「すぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が席に着いていた。」と書いてあります。このようにヨハネは生前の主イエスをよく見て、触った人であり、復活されたイエス様にも出会いました。ヨハネは実際の主に出会って、主がどれ程深い愛の持ち主であるかを体験し、主にある交わりがどれ程、麗しいものであるかを知っていた人でもありました。
ヨハネの手紙一の冒頭で、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、手で触れたものを伝えます。すなわち命の事葉について。この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」と書いてあります。宛先を書いていないこの手紙は、2000年の時間を越えて、私たちに宛てられた手紙でもあるという感動を覚えます。
さてこの時には、偽預言者が教会の中に入り込んでいました。「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、誰でありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」(22節)とヨハネは激しい語調で書いています。ヨハネにとって、初めに聞いた福音を覆す、偽使徒の多くは熱狂主義者であり、日常生活を省みない人たちであったり、御子が肉体をとってこの世に生れたことを否定するグノーシス主義者でした、神の子が肉体をとって生まれるなどあり得ないというグノーシス主義の教えは、信仰を持っている者を揺さぶり、信仰から脱落させる巧妙な教えです。それに惑わされて信仰から脱落する人もいました。
私たちはいつも御子の内に留まらなければならないのです。キリストの幹に繋がって豊かな実を結ばなければ枯れてしまいます。信仰の実とは、「その人の内に神の愛が実現している状況です。また、祈る事は大切な事です。神との会話です。朝、誘惑に会わない様に祈り、夜は悔い改めの祈りをすることは大切なことです。そうすれば間違った教えに惑わされることなく、初めから聞いていた教えをいつも信じていることができます。本当の教えであるはじめから聞いていた教えが、いつも私たちの心にあるならば、私たちはいつもキリストと御父である神の内にいることになります。それは、聖霊の内住であり、私たちは生ける神の神殿となり、豊かな実を結ぶことになります。
再臨のキリストが審判者として来られることを知れば、神を畏れ敬い、そのことのために良い備えをする筈です。これは神によって新しく生れた神の子の生活です。そのような生活をしている人は、この世に属している者の生活とは違って、皆神から生れたことが分かります。日々様々なことがあっても、御子の内に留まり、神からの力を頂いて生きて行くことが最上の生活です。御子のうちに留まるなら、私たちは御子のような愛の深い者へと創造されて行くのです。