「岸に立つイエス」
加藤 智恵牧師    ヨハネによる福音書 21章1~14節

全国で緊急事態宣言が出されて、部屋の中で自粛する毎日が続きますが、皆さんはどのようにお過ごしですか。先週は、牧師は礼拝堂で10時15分から、ヒムプレーヤーで讃美歌を流し、教会の皆さんを覚えて静かに祈り、短いメッセージを語りました。私たち教会員は、共に祈りを合わせながら、礼拝を守っています。
本日は復活節第3主日礼拝です。イエス様の3回目の復活顕現です。3度目にイエス様はガリラヤ湖畔で再び7人の弟子に現れて下さいました。
弟子たちはエルサレムから故郷のガリラヤに帰りました、そして、ペトロは「わたしは海に行く」と言うと、他の弟子たちも従いました。ガリラヤ湖には沢山の魚がいて、空腹を満たすためには漁をするのが一番でした。しかし、彼らは一晩中漁をしたにもかかわらず、何も取れませんでした。イエス様不在の漁、イエス様不在の宣教は何も実りがありません。
夜が明けた頃、イエス様が岸に立っておられました。岸に立つイエス様の姿は実に牧歌的です。イエス様が弟子たちに「子たちよ、何か食べる物があるか?」と言われると、弟子たちは「ありません」と答えました。弟子たちは主イエスだと知りませんでした。目が遮られていたからです。そこでイエス様は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」と言われました。そこで網を打ってみると、魚が余りにも多くて、網を引き上げることが出来ませんでした。気がついたヨハネはペトロに「主だ!」と言いました。100メートルたらずの所に主イエスは立っておられたのです。弟子たちは、主イエスのもとに急いで向かいました。岸に上がると炭火が起こしてあり、パンと魚が用意されていました。イエス様が弟子たちのために、朝食の支度をされていたのです。そのようなイエス様の姿を描いている記事はここだけです。牧歌的な安らぎを感じる姿です。わたしたちが生きてゆくためには、何もかも必要であることをイエス様はご存知なのです。
イエス様は「今取れた魚を何匹か持って来なさい」と言われました。取れた大きな魚は153匹ありました。153匹とは、当時知られていた魚の全種類を表していました。その数字は、弟子たちが全世界に遣わされ、福音が全世界に宣べ伝えられることを意味していました。使徒としての権能を与えられた弟子たちでした。これからは人間をとる漁師にならなければなりません。
主イエスが私たちと共にいて下さるならば、私たちは何も思い煩うことは無いのです。主イエスはいつも全世界が平和である事を願っておられるのです。
祈り
全知全能なる父なる神さま、あなたの御名に感謝いたします。イエス様は飢えた弟子たちに、朝食の準備までして下さっているお方であることを知りました。あなたにとって、かけがいのない者として、私たちが覚えられていることを感謝いたします。コロナウィルスの感染者が世界中に広まり、死者も出て大変な状況の中にあります。経営者の方々や仕事を失って大変な状況な中にある方々、愛するご家族を亡くされた方々を慰め励まして下さい。早い終息が来ますように。
イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン

説教要旨(4月26日)