「救い主は近くに」  加藤 智恵 牧師
ルカによる福音書 1章57~66節  ゼカリヤ書 2章14~17節

旧約のゼカリヤ書から、御言葉を聞きたいと思います。ゼカリヤは祭司イドの孫であり、彼も祭司でした。イザヤ書が旧約における「イザヤの福音書」と呼ばれるならば、ゼカリヤ書は「ゼカリヤの預言書」と言われても良いと思います。なぜなら、主イエス・キリストが公生涯の初めに、悔い改めのメッセージを語られたように、ゼカリヤもまず、イスラエルの民を悔い改めへと招いているからです。ゼカリヤは他のどの小預言書よりも、キリストについて語っていて、旧約聖書の中で、ゼカリヤほどメシア預言に集中し、それについての豊かな啓示を含んでいる書はないと言われています。
全て肉なるものは、神の前にただ黙って静まることしかできません。そのことをわきまえなければならないのです。17節で神は聖なる天の住まいから立ち上がられ、世界の支配のために来られます。このように預言されています。その預言は主イエスのご降臨によって成就されました。主イエスはこの世にお生れになりました。私たちは真の光であり、命であり、真理である主イエスのご降誕を、心から喜びをもってお迎えしています。
新約のルカによる福音書に移ります。洗礼者ヨハネの誕生の記事が書かれています。生れて8日目には、幼子に割礼を施し、命名し、神の祝福を祈るのがイスラエルの習慣でした。どのような名前をつけるかで、ザカリヤは板に「この子の名前はヨハネ」と書き付けました。するとそれまで口が利けなくなっていた父親のザカリヤの口が開き舌がほどけ、神を讃美し始めました。このことがユダヤの話題になりました。この話を聞いた人々は「一体、この子はどんな子になるのだろうか」と期待しました。そして68~79節のザカリヤの預言と讃美に続きます。ザカリヤの預言と讃美はラテン語でベネディクトゥスと言います。「主はその民を訪れて解放し、われらの救いの角を僕ダビデから起こされた」と預言して、イエス様の誕生を預言するのです。そのイエス様は暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導いてくださるのです。神の憐れみによって、真の光であるイエス様は神の座から地上に降りて来られ、深刻な苦しみ悩みの中にいる人々の所に来られて、その人たちに光を与え、希望と喜びを与えてくださり、わたしたちの歩みを平和に導いてくださるのです。

説教要旨(12月22日)