「若枝」 加藤 智恵牧師
ヨハネによる福音書 18章33節~40節 エレミヤ書 23章1~6節
旧約のエレミヤ書の見出しには「ユダの回復」と書いてあります。23章1節は「災いだ、わたしの牧場の羊の群を滅ぼし散らす牧者たちは」から始まります。滅ぼし散らす牧者とは王、祭司、偽預言者たちのことです。彼らは神の民を堕落させ、惑わせ、ついには祖国を滅亡にと追いやりました。主は「あなたたちはわたしの羊の群を散らし、追い払うばかりで、顧みる事をしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と言われました。そして神の裁きの後に、神は民の回復を約束されます。「わたしは群の残った羊を全ての地から集める。民は決して再び恐れも罰をもしることがなくなる。群は子を産み、数を増やす。そのような彼らを牧する牧者を立てる」と主は言われました。神は全く新しいしみも傷も無い、牧者を立てる決意をされます。決意の表明として「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行なう」と言われます。若枝である、救い主の来臨を告げます。
主イエスはユダヤ人としてベツレヘムでお生れになりました。家畜小屋の飼い葉桶がイエス様のベッドでした。低い姿で神の子はお生れになったのです。正しい若枝が何故、このような姿でお生れにならなければならなかったのか。これが神様の御心だったのです。エレミヤが預言したとおりに、エレミヤの時代の600年後に、救い主がこの世に誕生したのです。
次に新約のヨハネによる福音書 18章33節~40節に移ります。正しい若枝として生れたイエス様が、最も大切な神様から与えられた使命を果たすために、ローマの裁判にかけられて、イエスは死刑の宣告を受けなければならない立場にありました。
ユダヤ人たちは、イエス様を殺そうと考えて、総督ピラトの許へ主イエスを連れて行きます。ピラトは「お前の同胞や祭司長たちがお前をわたしに引き渡したのだ。一体何をしたのか」と尋ねます。「わたしの国はこの世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように部下が戦ったことだろう。しかし、わたしの国はこの世には属していない」と言います。イエス様の国はこの世には属していないこと、イエス様は真理について証しするために来られたことを、はっきりとピラトのもとで明言されました。ピラトは真理とは何か、と尋ねましたが、イエス様は何もこたえられませんでした。例え答えても無駄だと知っておられたからだと思います。ピラトは何とかして主イエスを釈放したいと思っていました。しかし当時の指導者たちは、主イエスを殺そうと狙っていたのです。「その男ではない。バラバを釈放せよ」と大声で言い返します。この様な恐ろしい裁判に主イエスはかけられました。それが神の御心であることを主イエスは知っておられました。この様な苦しみを通して、主イエスは人々の罪を担い、救いの道を開こうとされたのです。
主イエスはエッサイの切り株から生れた若枝であり、まことの救い主です。