「まことの光」 加藤 智恵牧師
創世記 1章1~5節、24~31節   ヨハネによる福音書 1章1~14節

「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)、このみ言葉は聖書全体の土台です。人の思いも経験もはるかに及ばない事柄についての、神からのメッセージです。初めに神が天と地を造られた時、すでに神が存在していたことになります。神は存在する神であり、人格的な存在です。神が創造されたのは天と地でした。天と地こそが、人がその中に生きるようにと備えられた場所でした。そして、神の御目はこの「地」に注がれています。その地は混沌としていました。このような混沌の地、闇の地に対して、それを支え希望を与えるのが「神の霊」です。
神は言葉を発しました。その最初の言葉は「光あれ」でした。神が言われた言葉は必ず実現します。こうして光がありました。神は「光」を見て、良しとされたのです。光と闇を混合することのないように、光を昼と呼び、闇を夜としました。創造の御業において、神が一番初めに言われた言葉は「光あれ」でした。これが神の御心であり、どの様な混沌とした時であっても、どの様な闇が襲ってきても、神はいつも「光あれ」と願っておられるのです。この事は、神を信ずる私たちにとって、どれほどの励ましを与えてくれることでしょうか。「もうダメ」と思えるような時にも、私たちには「光あれ」と言って下さっている神がおられるのです。
次に新約のヨハネによる福音書に移ります。初めに「言葉」がありました。この「初め」はあらゆる時間と空間を超越した「永遠の初め」を意味しています。そして、主イエスが神であること、永遠の神の言葉であることが示されています。神の「言葉」である主イエスは、神と共にあり、すべてを創造されたわけですが、それだけではなく、ご自分の内に命を持っておられました。さらにこの命は、人間を照らす光でした。この命が罪と闇の中で輝いているのです。暗闇は光に勝つことは出来ません。
主イエスは民の所に来られましたが、多くの民は主イエスを受け入れませんでした。しかし、主イエスを受け入れた人たちがいます。主イエスを信じた人々には、神の子となる資格を与えて下さいました。この資格は、この世のように血筋や肉の欲によってではなく、真の神によって生まれたのです。また、言葉は人間となって、私たちの間に宿られました。そして、私たちはその栄光を見ます。それは、父である神の独り子である主イエスです。
主イエスは、恵みと真理に満ちていました。真理であるイエス・キリスト、恵み深い方、この方こそ教会の礎なのです。主イエスを信ずる者は「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という実を結びます。まことの光である主を見つめて歩む者の群れとなりましょう。そして、まことの光が来られるクリスマスを静かに、希望を持って待ちたいと思います。

説教要旨(10月27日)