「十字架を背負う」  加藤智恵牧師
ガラテヤの信徒への手紙  6章14~18節
サムエル記  下 18章24~19章1節

主イエスの十字架は、肉の思いによれば愚かです。しかし、救われる者には神の力なのです。ユダヤ主義者のように割礼を受けなければ救われないと考える人は、キリストの十字架がどれ程尊いものであるかを知らない人たちです。パウロは、この私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに誇る物があってはなりません、と言っています。大切なことは、神によって新しく創造されて、日々生きて行くことです。それはキリストに倣う者として生きていくことです。
パウロはイエスの焼印を身に受けているのです。焼印を受けるということは、奴隷が所有者の焼印を押されるように、パウロはキリストの奴隷と成ったということです。キリストの奴隷となった者は、キリストの言葉、キリストの命令に従う事だけが与えられた任務なのです。キリストの為ならば、死になさいと言われたら死ぬ覚悟があることを意味しています。
パウロは数え尽くすことの出来ないほど多くの困難に遭いました。パウロはキリストの十字架を背負って苦闘したのです。それはガラテヤの教会の人々のため、そして私たちの為でした。
旧約のサムエル記に移ります。ダビデ王は神に愛された優れた王でした。しかし、ダビデ王も人間でした。罪を犯さない人間はいません。預言者ナタンからその罪を指摘されます。「何故、主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」。主を侮ったダビデの罪のために、ダビデの家に剣の争いが起こってきます。
ダビデの子アムノンに美しい異母妹タマルがいました。タマルを恋したアムノンは口実を設けてタマルを招き、彼女をはずかしめました。タマルの異様な様を見た兄アブサロムはアムノンを憎悪し、2年後に復讐します。アブサロムは自分の従者たちに、アムノンを殺すことを命じます。そして、アブサロムは逃亡しました。ついにはダビデ王の家臣とアブサロムが率いるイスラエル軍の戦いがエフライムの森で起こります。ダビデ王は城門に座って、戦いの知らせを待っていました。最初の伝令は「王に平和」と叫び、勝利を知らせます。次の伝令は勝利を知らせるとともに、アブサロムが死んだことを伝えます。ダビデ王はアブサロムが死んだことを聞くと、身を震わせて泣き、嘆き悲しみます。ダビデ王の犯した罪が、このように王子たちの悲劇を招いたのです。ダビデ王は自分の十字架を背負うことになります。しかし、神はついに人間の罪を赦すために、一人子のイエス・キリストを十字架に付けて下さいました。主イエスは私たちのために十字架を背負って下さったのです。このイエス・キリストを信じて受け入れる者は、罪に定められることはありません。
私たちの罪のために主イエス・キリストは、神に執り成して下さっています。神の深い愛に感謝し、悔い改めてまた新しい歩みへと、この世に私たちは遣わされてゆくのです。

説教要旨(9月22日)