「信仰の弱い人を受け入れる」 加藤智恵牧師ローマの信徒への手紙 14章1~9節 出エジプト記 23章10~13節
ローマの教会には、食べ物についての問題がありました。信仰の弱い人はクリスチャンになっても、律法の食物規定に縛られて、食べてはいけないと言われていた汚れた食物を食べることができなくて、野菜だけを食べていました。そのような人は、キリストの福音を信じきれない弱い人と見なされていました。一方では、神様が造られた物だから、何を食べても良いと考えている人もいました。何でも食べている人は、野菜だけを食べている人を軽蔑し、また、野菜だけを食べている人は、何でも食べている人を、あの人たちは間違っていると裁いていました。パウロはこのことを知って、「信仰の弱い人を受け入れなさい」と言っています。信仰の弱い人たちが食物規定に縛られていることを批判してはなりません、とローマの教会の人たちを諌めています。なぜなら、神はこのような人たちをも受け入れておられるからです。主が招かれた人は主の僕です。主の僕をみだりに裁いたり、軽蔑してはいけない事を本日のローマの信徒への手紙では、私たちに教えてくれています。「主の僕を裁くとは、一体あなた方は何者ですか」とパウロは何でも食べる人たちを厳しく戒めています。皆、神の僕なのです。
旧約の出エジプト記に入ります。ここには、安息年と安息日について書いてあります。安息年とは、6年の間、自分の土地に種を蒔き産物を取り入れること。しかし、7年目には、その土地を休ませて休閑地とすることが書いてあります。7年目の休耕は、自然に実った物を貧しい者たちに収穫させることと、同時に土地の荒廃を防ぐためでした。次に安息日とは、6日の間、自分の仕事を行い、7日目には休むことです。創世記には、神が6日の間、創造の業を行ないました。そして、神がご覧になって、創造された物は甚だしく良かったと書いてあります。そして、神は創造の業を終えられて7日目には休まれました。7日目には、休まなければならない。それは、あなたの牛やロバが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためです。
旧約・新約いずれにしても、同じ神様です。神は憐れみ深く、弱い人の味方であり、二心を持って神に仕えることを嫌われるお方です。イエス・キリストをこの世に送って下さった真の神を信じて、これからの一週間を歩んで行きましょう。