「互いに愛し合いなさい」 加藤智恵牧師
ヨハネによる福音書 15章12~17節 申命記 7章6~11節
主イエスが弟子たちを愛したのは命がけの愛です。弟子たちは主イエスの命がけの愛を受けて、家族や財産よりも大きな愛に包まれていたのです。愛のある所に平和と喜びがあります。自分が憎しみを受けていると、とても暗い気持ちになるものです。主イエスは命がけの愛をもって弟子たちを愛された。その愛をもって、弟子たちは互いに愛し合いなさいと、主イエスは言われました。そしてこれが私の掟である、と言われています。「互いに愛し合いなさい」という掟は、弟子たちや私たちに向けられている重要な約束なのです。主イエスが求めておられる愛とは、自分の命を捧げる程の深い愛なのです。私たちはこの言葉をどれだけ真実に受け止めているかが問われています。
「わたしの命じることを行なうならば、あなた方はわたしの友である。もはやわたしはあなたがたを僕とは呼ばない」(14~15節)と主イエスは言っておられます。友とは、相手と互いに心を通わせることが出来る人です。相手の心が理解でき、相手の願う事を行なう人です。主イエスの説く愛は神に根ざしており、主イエスに父である神の愛が与えられたことから来ています。主イエスは「わたしは弟子たちを友と呼ぶ」と言っておられます。なぜなら父から主イエスが聞いた事を全て弟子たちに知らせたから。弟子たちは父の御心が分かった筈だから、友と呼ぶと言っておられるのです。この神の愛が主イエスによって弟子たちに与えられました。
弟子たちが主イエスを選んだのではなく、主イエスが弟子たちを選んだのです。彼らは主イエスの教えを受け、イエスの為された業を行なう力を与えられ、その業を行なって実を結ぶようにと、また主イエスの名によって願う事は何でも与えられるようにと主イエスによって任命されたのです。そして任命された小さな群れに、再度「互いに愛し合いなさい」という言葉を残されました。小さな群れが互いに神からの愛をもって愛し合う事が、信仰共同体が勝利を得るための重要な条件なのです。
旧約の申命記7章には神の宝の民イスラエルの選びについて書かれています。神の選びはこの世の選びとは違っています。彼らは他の民よりも見劣りがして、みすぼらしかったのです。見劣りがしてみすぼらしかった民に、主は固着して、彼らの先祖に誓われた誓いを守り、エジプトの奴隷の家から救い出されたのです。ここでは、イスラエルの選びが、彼らの何等かの価値によるものではなく、神の愛の故であったことが明らかにされています。そして神が真実の神であるが故に、神が契約を守り、恵みを施すが、神を憎む者には猶予なく報復をされます。
旧約の神の選びは厳しく感じられますが、新約では神と選ばれた弟子たちの間に主イエスが執り成す者として登場します。主イエスが神に執り成して下さっていますから、弱い私たちは主イエスの歩まれた道に従ってゆくことが出来るのです。