「あなたがたに平和があるように」 加藤智恵牧師
ルカによる福音書 24章36~43節  イザヤ書 51章1~6節

主イエスは婦人たちに、ペトロに、エマオ途上の2人の弟子たちに、それぞれ違った方法で生きておられる事を示されました。それぞれがそれぞれに主イエスの復活顕現の話をしている時に、主イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。これはヘブル語ではシャロームと言い、日常の会話です。心が乱れ不安に駆られている弟子たちに、主イエスは日常の会話のシャロームという言葉で、「あなたがたに平和があるように」という言葉で現れて下さったのです。私たちは日常生活の中で、主イエスが見えなくなる時に平和、平安がなくなります。そして、この世の厳しさや先が閉ざされているような気持ちになります。主イエスは世界中の人々に「あなたに平和があるように」と願っておられるのです。造られた被造物が調和し、人間の間に平和があることを願っておられます。一人でも多くの人に平和を伝え、平和が実現するのが私たちの務めでもあります。
弟子たちは、突然自分たちの真ん中に現れた人を見て恐れおののき、亡霊を見ているのだと思いました。「何故、うろたえているのか、どうして心に疑いを起こすのか」というイエスの言葉は、この私たちにも語られている言葉です。弟子たちの真ん中に現れたイエス様の復活の体には肉も骨もありました。確かに生きていることを弟子たちに知らせるために、イエス様は現れて下さったのです。そしてご自分には、手も足も有り、さらに食べ物を食べることが出来る事を実証しようとされました。「ここに何か食べ物があるか」と言われます。弟子が焼いた魚を一切れ差し出すと、主イエスはそれを取って彼らの前で食べられました。健康な体でなければ、食べることは出来ません。本当によみがえった事をお示しになったのです。主イエスは私たち信じる者を決して裏切ることはなさいません。私たちは確かな拠り所を得ています。岩の上に家を建てているのですから、本当は何も心配することは無いのです。
イザヤ書51章には、バビロン捕囚から解放されてシオンへの帰還について書いてあります。今、荒れ果てていても、この状況はやがて変えられてエデンのようになる。今、歌われなくても、やがて主の園のようなエルサレムに歌の声が響くようになる。現状を見て絶望感を持つのではなくて、主に信頼するのである。神の正義、神の救い、神の世界統治、これらは全て神によって行なわれる。やがて諸国民は神の力を知って、神に望みを置くようになる。天地は消え失せる時があっても、神の救いは必ずなり、神の恵みの業は永遠に続くのである。このように神の愛は、人間には思いもつかないような偉大なスケールを持っています。神は決して変わることのない愛の方であることを預言しています。
私たちは神に信頼すれば、決して裏切られることはないのです。神は私たちのことを全て知っておられます。主イエスをこの目で見ることは出来ませんが、生きておられ。「あなたがたに平和があるように」と願っておられます。

説教要旨(5月5日)