「ゲッセマネの祈り」 加藤智恵牧師

ルカによる福音書 22章39~53節   イザヤ書 56章1~8節

最後の晩餐の時に、ユダが主イエスを時の権力者に引き渡すために自分の席から退場した時、主イエスは残された11人に最後の話をされました。神はサタンの願いにより、弟子たちが小麦のようにふるいにかけられることを聞き入れられました。しかし、主イエスはペトロのために信仰が無くならない様に祈りました。何故、主イエスはペトロのためだけに信仰が無くならない様に祈ったのでしょうか。それはペトロは自分が罪深い者であることを、他の弟子よりもよく自覚していたからでしょう。そして、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力付けてやりなさい、と言われました。
このような話をされてから、主イエスの一行はいつものようにオリーブ山に行きました。主イエスは目前に迫っている十字架の刑について、苦しみ悶えて祈る時が来たのです。闇が支配する時です。しかし弟子たちに「わたしの為に祈りなさい」とは言われませんでした。弱い弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われたのです。主イエスは弟子たちのことを思ってそう言われたのです。人間イエスは目前に迫った十字架の刑から逃れられるなら、逃れたいと思われたのでしょう。「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」と祈っています。主イエスはどの様な苦しみをも、それが神の御心ならば従います、という心を持っておられたのです。天使が天から現れてイエスを力付けます。天使は闇の時、サタンの時に主イエスを守ります。主イエスはどれ程苦しみ悶えて、神からの応答を待たれたでしょうか。そして神の御心は十字架に掛かることであると、主イエスははっきりと知らされました。
群衆が現れ、ユダが先頭に立って主イエスに接吻をして、裏切ろうとしていました。主イエスは祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われました。「わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」と。権力者たちの時、闇が力を振るう時がやって来たのです。主イエスが洗礼を受けた後、40日40夜悪魔から誘惑を受けました。しかし、主イエスはあらゆる誘惑に完全に勝利されました。そして悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れました。その時が来るまでとは、まさに主イエスが捉えられたこの時で、闇の力が勝っている時です。主イエスを裏切ったユダは、まさか主イエスが時の権力者の手によって死ぬとは考えてもいませんでした。主イエスの業と力を見てきたからです。しかし、主イエスが息をひきとられた時にユダは後悔し、イエスを売り渡したお金には手をつけず自害しました。憐れなことです。このような暗い闇の世界、厳しい戦いの中にわたしたちは生きています。しかし、どれ程傷つけられ、どれ程汚い物、醜い物を見せ付けられても、なお、神の美しさ、神の正しさ、その愛の深さを見つめることが出来るのです。主イエスの捧げられた命の故に。

説教要旨(4月14日)