「雲の中からの声」 加藤智恵牧師
ルカによる福音書 9章28節~36節、出エジプト記 34章29~35節

主イエスが最初の受難予告をしてから、8日ほど経った時、ぺトロ、ヨハネ、ヤコブの3人の弟子たちを連れて、祈るために山に登られました。山は神に近い所と言われています。祈っておられるうちに、主イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きました。弟子たちは天的な主イエスの姿を見て驚いたことでしょう。そして、モーセとエリヤが現れ、3人で語っておられました。それは間近に迫った主イエスの受難と死について語っておられたのです。
モーセは奴隷の地からイスラエルの民を導き出した指導者です。彼らはエジプトを脱出し、荒野を旅してカナンの地に向かいます。彼らを導いたのは、昼は雲の柱、夜は火の柱でした。主は、昼は雲の柱、夜は火の柱の中にいて、彼らをカナンの地まで導きました。モーセはシナイ山で神の臨在に触れて、人が自分の友と語るように、神はモーセと顔と顔を会わせるように語られました。モーセの顔は光を放っていました。
エリヤは北イスラエルの預言者でしたが、アハブ王の前で飢饉が来ることを預言し、良い預言をしなかったのでアハブ王から逃れて、ヨルダン川の東のサレプタのやもめの所に暫く滞在しました。そして豊穣の神バアル信仰を持つアハブ王の妻イゼベルの敵意から逃れて、シナイ山に登り、疲れて休息しました。エリヤはかつてモーセが神と出会った同じシナイ山で、神の臨在を体験しました。そして新しい使命を与えられました。
このモーセとエリヤが現れて、主イエスと3人で話し合っていました。主イエスは人間の姿で十字架に掛けられ、人からあざけられ孤独であったと思われますが、主イエスは群衆を見ているのではなく、神を見つめ、自分の使命を全うする事に全力を注いでいました。そして群衆のことを「主よ、彼らを赦して下さい。彼らは自分が何をしているのか分からないでいるのです」と執り成しています。モーセもエリヤも天から見守っていました。主イエスは人々を救うために十字架に掛けられたのです。主イエスの死は死だけでは終りません。死んで陰府に下り、3日目に復活したのです。私たちも孤独を体験しますが、信仰の友と信仰を共有しています。互いに励まし合い、助け合いながら、教会を建て上げてゆくのです。私たちは心を一つにして、互いに励まし合い、助け合い、愛し合ってこそ、健全な教会となり、それが伝道につながるのです。
ペトロはこの3人の姿を見て、驚きのあまり、自分でも分からない言葉を語りますが、雲が現れて主イエスとモーセとエリヤを覆います。雲は神の臨在を表しています。その時「これは、わたしの子、選ばれた者、これに聞け」という厳かな声が天から聞こえました。主イエスが洗礼を受けた時と似たような言葉が天から聞こえたのです。その声が聞こえた時には、いつもの主イエスだけがそこにいました。弟子たちはいつもと変わらない主イエスを見て、ホッと一安心したことでしょう。弟子たちは沈黙を守り、見た事を誰にも話しませんでした。雲の中からの声は、「主イエスは神の子、選ばれた者、主イエスに聞け」という3つの言葉です。雲の中からの声は主の死を目前にした弟子たちに、確かな拠り所を保証するための言葉です。主イエスが時の権力者たちに捉えられる時が刻々と迫ってきています。

説教要旨(3月31日)