「病をいやす方」 加藤智恵牧師
ルカによる福音書  5章12~26節   ヨブ記 2章1~10節

主イエスがある町にいた時に、重い皮膚病を患った人がイエスに出会い、主イエスの前にひれ伏しました。そして「主よ、御心ならば、私を清くする事がお出来になります」と願い出ました。どうしても治して下さい、と迫るのではなく、御心ならば、と謙遜した態度で主イエスに迫ったのです。するとイエスは「わたしは望む。清くなれ」と積極的に癒されました。この人が重い皮膚病を癒されるのが、主イエスの望みだったのです。そしてイエス様は「誰にも話してはいけない。モーセが定めたとおりに、清めの捧げ物をして人々に証明しなさい」と言われました。マルコによる福音書には「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めました」(1:45)。「わたしの心だ」と言って重い皮膚病を癒されたのに、彼は主イエス言われたことを守りませんでした。主イエスの言われたことは決して難しいことではありません。いいつけを守らなかった人間の身勝手さを味わわれたと思います。
次に中風の人を癒す記事が載っています。男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、イエス様に癒してもらおうと思っていました。しかし、多くの群衆に阻まれ、とても中へは入れません。男たちは屋根の瓦を剝がし、床ごと屋根の上から中風の人を吊り下ろしました。主イエスはその男たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われました。罪を赦す事が出来るのは神だけです。律法学者やファリサイ派の人々は、その言葉にあれこれと考えました。主イエスは彼らの考えを知って、「あなたの罪は赦されたと言うのと、起きて歩けというのとどちらが易しいか」と問われました。主イエスは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われました。中風の人は立ち上がり神を賛美しながら家に帰りました。この奇跡を見ていた人は、恐れと喜びに満たされ神を賛美しました。
旧約のヨブ記には、人間社会のありとあらゆる苦難をサタンから与えられても、「私たちは神から幸福を頂いたのだから、不幸も頂こうではないか」と言って、神を信じ、罪を犯さなかった神の僕ヨブの信仰心が書かれています。ヨブの話は物語である、と言われています。たしかにヨブのような人はおりません。しかし、私たちが不幸に出会った時に、あのように言えるのは素晴らしい言葉です。
イエス様は福音を伝えると共に、苦しみ、悩む人の事を尋ね求めて、その苦しみ、悩みを喜びに代えて下さるのです。しかし、神様を信じていても、苦しみを抱えている人は沢山います。苦しくとも、その苦しみは苦しみで終ることなく、私たちにいつかはその苦しみが益となるのです。神様はすべてを御存知ですから、これから始まる一週間もイエス様から力を頂いて、歩んでまいりましょう。

説教要旨(2月24日)