2024年12月1日礼拝 説教要旨
その日、その時を(マタイ24:36~44)
松田聖一牧師
ヘンデルの作品の1つに、オラトリオ「メサイア」があります。このメサイアは、その字のごとく、メシア、救い主という意味ですが、この大作は、ジェネンズの選んだ、聖書の言葉に、ヘンデルが作曲したものです。そのメサイアは、クリスマスに良く演奏されますが、初めての演奏会、初演は、イースターでした。そんなメサイアを最初から見ていきますと、歌詞の多くに旧約聖書の言葉が使われ、しかも、救い主、メシア、メサイアがこの世に来てくださり、十字架にかかり、救いを完成してくださる、という神さまの約束の言葉が散りばめられています。その中に、こんな言葉があります。
主は、万軍の主は、こう言われる。「すこしすると、わたしは再び天と地を、海と陸地を震わせよう。また、あらゆる国を震わせよう。すると、あらゆる国の望みが来る」主は、あなたがたが求めている方は、ご自分の神殿に突然来られる。あの契約の使者、あなたがたが喜びとする者も。「見よ、その者がやって来る」と万軍の主は言われる。
この言葉は、旧約聖書のハガイ書と、マラキ書からの聖書の言葉ですが、そもそも、ここにはイエスさまと言う名前はありません。その者がやって来る、とか、ご自分の神殿に突然来られるという言葉はありますが、具体的に、いつ、何時に、やって来るのかについては、何も語られていません。また救い主メシアを、神さまは必ず送って下さること、また、その救いが確かにその通りになったという救いの完成、成就ということがいつなのか、その日、その時は、具体的ではありません。そういう意味では、誰にも分かりません。それでも、神さまから預かった言葉を、ハガイ、マラキという方々は、人々に語っていくのです。
イエスさまが「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」とおっしゃられたこともそうです。イエスさまは、神さまが送って下さる救い主、そして救い主によって、救いが完成し、成就するという、その時が、いつそうなるのか、その日、その時は、誰も知らないということをおっしゃいます。でも不思議です。というのは、「だれも知らない」という中に、ご自分も知らないということを、イエスさまは「子も知らない」と語っておられるからです。
ということは、イエスさまは、ご自分が救い主であるということを知らなかったのか?というと、そういう意味ではありません。イエスさまは、救い主メシアとして、クリスマスに神さまによって、マリアとヨセフのところに生まれるということを受け入れ、生まれるということも、最初から委ねておられるんです。そしてそのイエスさまを、羊飼いたちや、東方からの博士たちも、生まれたイエスさまが救い主であるということを認めて、受け入れて、礼拝をささげるためにやって来るんです。
ではどういう意味で、「子も知らない」とおっしゃっているのかというと、「その日、その時は」と訳されるこの言葉から見えてきます。というのは、その日、その時は、には、その日、その時に関して、と言う意味と、罪を取り除くためにと言う意味が、背後にあります。つまり、神さまのことを知らない、神さまがおられるのに、その神さまの方を向こうとしない、神さまがおっしゃっていることから外れた生き方をしている、知らないと外れている、その罪を、取り除くために、イエスさまが来られたという、罪の除去の時を誰も知らない、イエスさまも知らないということなんです。ただ父なる神さまだけが知っておられるということなんです。
そのことをイエスさまの口から、言葉として語られるのは、救い主として、神さまから遣わされ、来てくださったイエスさまも、父なる神さまに、救い主として、罪を取り除く、その救いを完成する、その日、その時を、自ら選んで、この日、この時にしようと決めようとするのではなくて、神さまであり、神さまの救い主であっても、その日、その時を、神さまに、委ねておられるということではないでしょうか?だからこそ、イエスさまは十字架の上で、すべての人の罪を身代わりに負われ、いよいよ死なれる時にも、「父よ、我が霊を御手に委ねます」と、ご自分を神さまに委ねていかれました。
このように、その日、その時を、委ねること、それは私たちの歩みとも繋がります。その日、その時を、神さまに委ね、任せていくこと、それは、その日、その時を、何もしないということではなくて、その日、その時を、精一杯生きようとして、いろいろしながら過ごす中で、そのことも含めて、結果を神さまに任せていくことです。ただ任せると言っても、任せようとする、その過程では、喜べる日、喜べる時もあったでしょうし、反対に、悲しみに暮れる時もあったと思います。不安の中で、これからどう生きていけばいいのか?私はどうすればいいのか?どっちに行けばいいのか、分からなくなってしまうこともあったのではないでしょうか?
島崎光正さんという詩人がいらっしゃいました。生まれて間もなく、父親を亡くされ、母親とも生き別れになり、信州の片丘村、今の塩尻市で祖父母に育てられました。また生まれつき二部脊椎のために、歩くことなどに、苦労された方でした。松本商業学校に学ばれ、詩を作り始めます。1948年昭和23年に洗礼をお受けになられ、以来、沢山の詩を世に出して来られました。その中の1つに、こんな詩があります。
わが上には
神様。あなたはわたしから父を奪われました。母を奪われました。姉弟もお与えになりません。
その上、足の自由を奪われました。松葉杖をお貸しになり、私はようやく路を歩きます。
電柱と電柱のあいだが遠く、なかなか早く進めません。物を落としても楽に拾えません。
乳のにおいも知りません。母の手を知りません。私は何時も雪のつもった野原の中に立っていました。
鳥の羽も赤い林檎の実も落ちていませんでした。私は北を尋ねました。
けれども、知らない人は答えました。それは南であろうと。私は南にゆきました。
また別の人が答えました。それは、北であろうと。
生まれてから30年経ちました。私は今、机の上にかさねたノートを開いてみるのです。
此処(ここ)には悲しみの詩が綴ってあります。
神様、これがあなたのたまものです・・・
これまでの辛かったことを振り返りながら、願ってもかなえられないと分かっていながらも、お母さんのことを想像しながら、お母さんにしてほしかったことが、この後にも綴られています。しかしその最後には、いつも「神様、これがあなたのたまものです」神さま、これがあなたからの賜り物、贈り物ですと詩を読んでおられるのは、神さまにしか頼るものはない、神さまに委ねるしかない、それしかないということへと、導かれる中で、これまで背負っていたものが、確かにその通りであっても、それらのことを神さまからの贈り物として、もう一度受け取りなおすことができたからではないでしょうか?
それは、37節以下に出て来るノアと言う人もそうです。旧約聖書でノアの箱舟のことが記されていますが、箱舟を作るようにと神さまから言われた時も、箱舟に入るように言われた時も、周りからはいろいろ言われました。何であんな高いところで箱舟を作るのか?川や海のそばではないのか?洪水が来るとノアが言っても、人々は相手にしませんでした。そして「ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり、嫁いだりしていた」とある通り、人々の日常生活、別の見方をすれば放縦な生き方をしている人々が周りに取り囲まれていましたから、ノアと家族は、まさに四面楚歌状態であったと思います。それはまたノアがこれまで一緒に過ごしてきた人々からの、その信頼を失うということでもあったでしょう。これはノアだけではなくて、ノアの家族にとっても、大きなことだったと思います。しかし、だからこそ、もはや神さまに任せるしか、神さまに委ねるしかなかったんです。でもそれは、ただ消極的に、耐えて待つということではありません。誰もわかってくれない、だれも受け入れてくれないような中にあったとしても、神さまだけは、私を受け入れ、私のことを分かって下さる、神さまだけは守り支えてくださるという、神さまからの呼びかけがいつも与えられていたということなんです。その呼びかけ、神さまの言葉を聞いて、神さまを信じていける道が与えられ、どんなに誹謗中傷の嵐に襲われても、神さまの言葉を聞いて、受け入れていく時、神さまの無限の可能性に目が開かれ、神さまの言葉によって示され、与えられた新しい道に向かって進んでいけるということでもあるのではないでしょうか?
では、それで万事すべてよしと受け止められるのかというと、イエスさまは、イエスさまが来てくださり、そこに居合わせて下さる時、「畑に2人の男がいれば、1人は連れて行かれ、もう1人は残される。2人の女が臼をひいていれば、1人は連れて行かれ、もう1人は残される」とおっしゃられる意味は、畑にいる男性も、臼をひいている女性も、2人の内、1人は連れていかれ、あるいは投獄され、もう1人は、連れて行かれずに助かるということだけではなくて、連れて行かれ、身動きが取れない状態になる1人と、後の1人も、残され、顧みられなくなってしまう出来事をおっしゃいます。これはまた畑、臼をひくという、それぞれ2人の日常が奪われることです。それまで一緒に過ごせていた2人が分かれ分かれになり、バラバラになってしまうことです。2人が1人になるということは、辛く悲しい別れです。しかし、たといそうなったとしても、神さまがそこに居合わせてくださるんです。そして、一人の私を、救い主イエスさまがゆるして下さることを、信じ、受け入れていくということへと、一人一人が導かれていくんです。
岩手県に、大船渡という町があります。その大船渡にある中学校の体育館で、東日本大震災から4年後の、2015年11月19日に、スマイルピアノコンサートという、コンサートが開かれました。そしてそのコンサート終了後、サプライズで、聞きに来てくださった方々に「感謝の合唱」として、生徒たちは、舞台から降りて、お客さんをぐるっと囲むように、体育館に広がり、そして歌い始めたのでした。その歌を聴いておられた方々も、学校の先生も、涙なしには聞くことができませんでした。そこにおられた方々も、震災から4年間のことを、いろいろ思い出されたことと思います。家族を津波で亡くされたり、今だに行方不明になっている方もいるご家族を抱えた方々もいたことでしょう。それこそ、3月11日を境に、あっという間に、日常が奪われ、別れ別れになってしまった、悲しみを抱えながらも、涙が止まらない日も、寂しい夜があったことでしょう。眠れない夜もあったことでしょう。そんな生徒たちが歌った歌が、「ほらね」という合唱曲でした。そしてこの歌は、いただいたピアノと彼らとで「最初に紡いだ音楽」でもありました。
川は風と語り合っているよ 鳥は花と触れ合っているよ
日差しは木の葉とじゃれあっているよ 雨は蛙と頷(うなず)き合っているよ
ほらね 僕らは一人じゃない きっとね 誰も一人じゃない
それでも悲しい日があったら 涙が止まらない日があったら ゆっくりそっと歌を歌おう
思い出詰まったあの歌を うたはあなたの大切なともだち
いつもそばいる大切なともだちだから
魚は波と競い合っているよ 山は雲と呼び合っているよ
窓はピアノと微笑み合っているよ雪は灯りと見つめ合っているよ
ほらね 僕らは一人じゃない きっとね 誰も一人じゃない それでも寂しい夜があったら
どうしても眠れない夜があったら ゆっくりそっと歌を歌おう
微笑み詰まったあの歌を うたはあなたの大切なともだち
いつもそばいる大切なともだちだから
「ほらね 僕らは一人じゃない。誰も一人じゃない。」
私たちにも、2人いたのが、別れ別れになり、1人取り残されてしまうこと、があります。日常が奪われ、日常を失ってしまった悲しみに暮れることもあるでしょう。しかし、どんなに一人になっても、そこでまた辛いことがあっても、1人の私を受け入れ、赦して下さるお方がおられます。どんなことがあっても、1人の私を、一人には、孤独には決してなさいません。なぜなら「わたしはあなたがたを捨てて、独りにはしておかない」神さまは約束しておられるからです。そして、その約束通りに、神さまが本当に、一人の私のところに、居合わせてくださるからです。イエスさまが共にいてくださるから、2人が、1人になっても、別れ別れになっても、1人じゃないんです。1人の私と共に、イエスさまがいてくださいます。そして1人の私を信じて、受け入れておられます。その日、その時を、神さまであるイエスさまは、私たちに寄り添いながら、その日、その時を、与えてくださいます。私たちは、このお方と共に、これからもずっと歩み続けるのです。祈りましょう。