2024年8月11日礼拝 説教要旨

何に基づいているのか(ヨハネ7:40~52)

松田聖一牧師

 

私は物を捨てるというのが、本当に苦手です。どうしてもため込んでしまうために、引っ越しを繰り返す度に、どんどん引越しのトラックが大きくなってくるんです。毎回引越しのたびに、捨てたりするのですが、その時、勇気と言いますか、思い切りがいります。その時、捨てようか、どうしようかと考えた時に、自分の中で、「これはまた何かの時に使える」とか「使うかもしれない」と思って、そのまま段ボールに入れてしまうんです。でもそういう段ボールに一旦入れたものは、また使うかもとか、何かの時に‥と言っていても、実は、使わないままになっていますね。だから増えていくのですが、反対に、捨てることが、本当に見事にできる方がいらっしゃいますね。次から次へと、どんどん捨てていかれる、どうして、そんなにぱっぱと決められるのか?すごいなと思いますが、そういう捨てられない人と、捨てることが、どんどんできる方という、正反対の2つに人は分けられます。それは、物を捨てるだけではなくて、他にもたくさんありますね。兄弟姉妹のそれぞれの性格もそうかもしれません。どうしてこんなに違うの?同じ兄弟であっても、正反対と、よく言われます。

それは、別の見方をすれば、お互いに、あっちとこっちという、対立関係でもありますね。でもそれはお互いに喧嘩しているということではなくて、対立しているからこそ、お互いに足りない所を、補い合って、逆にまとまることも、あるのではないでしょうか?それは丁度、パズルのように、全く逆のタイプ、かたちだからこそ、うまくまとまることと似ています。さらには、1つの物事、出来事に対しても、同じです。人によって、全く正反対の見方、評価があるということもそうです。

ところが、そういうものなのに、どちらか一方だけを作ろうとし、どちらか一方だけにまとめようとすると、対立はなくなったかのように見えるかもしれませんが、それは真実ではありません。また、どちらか片方というのは、結局は、バランスが悪くなります。両方の立場、見方、対立があってこそ、1つの真実になります。

そういう視点で、イエスさまのことで、生じた群衆の間に対立を見ていきましょう。この時の対立は、イエスさまが、「だれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」という言葉を聞いた群衆から、イエスさまについて、「この人は、本当にあの預言者だ」「この人はメシアだ」とか、あるいは、「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」と、いろいろ言い始めることができるようになったことに始まります。

ただですね、この時の前半2人と、「このように言う人もいた」という、この人との間には、決定的な違いがあります。それは2つのことから見えてきます。1つ目は、3人目の「このように言う人もいた」の直前は、「言う者がいたが」となっていますが、もともとの意味は、「言う者がいた。しかし、このように言う者もいた」ということですから、前半とは、しかし、で、区別されているんです。そして2つ目は、前半の2人がイエスさまについて「この人は、本当にあの預言者だ」と、『この人はメシアだ』と言っていることなのですが、その根拠を、この人たちは、具体的に言っていないんです。ということは、彼らがイエスさまを「本当にあの預言者だ」「メシアだ」と言っていることは、何かしらの根拠に基づいているのではなくて、彼ら自身の思いから出た言葉なんです。

その一方で、3人目の方が、イエスさまについて言っている「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」は、聖書に基づいたことなんです。具体的には、旧約聖書のミカ書や、詩編といった聖書の言葉、神さまがその時その時に語られた約束に基づいて、メシア、救い主は、「ベツレヘムから出る」と、言っているんです。このように、彼らの言っている内容は、確かに根拠が示されていないものもありますが、いずれにしても、全部イエスさまのこと、イエスさまの真実が語られているんです。

つまり、群衆の間に生じた対立の中心には、イエスさまがおられ、イエスさまについて神さまが語られた約束の言葉があるからなんです。そしてそのことを、対立という言葉にある、もうつの意味、衣服の破れ、服のほころびを通しても、現わしているんです。

衣服の破れ、服のほころびという時、そこには穴が開きますね。でもそもそも、服が破れるとか、ほころぶというのは、何もないのに、生じるのではなくて、どこかに引っ掛けたり、ぶつけたり、無理やり引っ張ったりといった、その服自身ではない、その服の外から、何らかの強い力が、加わった時に、破れたりするものです。それは、服だけではなく、くつ下も、そうです。歩いたり、走ったりするうちに、指先やかかとに、大きな力がかかり続けてしまうので、破れたり、ほころびてきます。

つまり、群衆の間の対立、破れとは、そこにおられるイエスさまの言葉という、外からのものが、その中心に、与えられることで、生じていくものなんです。その破れは、群衆の間のことだけではありません。私たち自身の中にも、生じます。その時、心も体も破れ、辛いことも生じます。自分の弱さを味わいます。しかし、イエスさまの言葉は、その対立、破れに向かって、神さまの言葉、イエスさまの言葉、神さまの真実が、語られ続けていくんです。それによって、その対立、破れから、神さまの真実が、泉のように生じて、その人の中に入っていくんです。

たとい、その言葉を語られるイエスさまを、どんなに「捕らえようと思う者」がいても、イエスさまが、神さまの言葉、聖書の言葉を語り続けることに、どんなに阻むものがいたとしても、神さまの言葉は、いつ、どんな時にも、いずこにあっても、誰にもとらわれずに、自由に、風が自由に吹くように、その時、その時に、時と空間を超えて、時空を超えて、その人に語られ、イエスさまが真実であること、イエスさまが神さまだということが、破れたところから、その人の中に入っていくんです。

伝道師として、長く教会で働いておられた、女性の先生が、自分がイエスさまを信じるきっかけになったことを、お話くださったことがありました。先生は、軽い小児麻痺の障害を負っておられました。そんな中で、日曜学校に通われるようになり、そこで初めて、讃美歌を歌い、聖書のお話を聞くようになりました。そしてそこで出会った、日曜学校の先生が、ある時、聖書のお話をしてくださった時、この言葉を語られました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は、暗闇の中を歩かず、いのちの光を持つ」「わたしは世の光である」この聖書の言葉が、ずっと残っていました。それは一時期教会に行かなくなった時にも、「わたしは世の光である」この言葉は、残り続けていました。やがて再び教会に導かれて、イエスさまを救い主と信じて、洗礼を受けられ、聖書学校で学び、伝道師となった時、あの日曜学校の先生にお礼が言いたいと、消息を尋ねたのですが、お会いすることはできませんでした。でも、その先生を通して語られた、聖書の言葉、神さまの言葉「わたしは世の光である」が、語られ続けたのでした。

神さまの言葉、聖書の言葉は、私たちが、どんなに、神さまから離れていたとしても、離れているその所で、どんなに人が縛ろう、捕らえようとしても、その時、その時に、自由に、その人に語られるんです。そしてその言葉は、その人の中で、まことの光となり、神さまの真実、神さまのいのちが、その人に与えられ、残り続けるんです。

それは、下役たちにもそうです。だから、どんなに祭司長たちやファリサイ派の人々が、神さまの真実を語る、イエスさまを、下役たちに捕らえさせようとしても、「今まで、あの人のように話した人はいません」と、下役たちは、祭司長たちや、ファリサイ派の人々の言う通りにはぜずに、対立していくんです。そしてファリサイ派の人々から「お前たちまでも惑わされたのか。」と、どんなに言われても、イエスさまを捕らえようとはしないんです。

それにしても、祭司長や、ファリサイ派の人々は、「議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」とまで、言うのでしょうか?また、イエスさまに対して、「あの男」と、見下げるような言い方までして、議員やファリサイ派の人々の中に、イエスさまを信じた者がいるだろうか、いやいないと、自分の仲間も含めて、イエスさまを信じる者は、誰もいないと否定しようとするのでしょうか?それは、イエスさまを信じないということで、一枚岩になろうとしているのでしょうか?

と同時に、下役たちに向かって「お前たちまでも惑わされたのか」すなわち、お前たちまでも、さ迷い歩いたのか、正しい道から迷い出たのかと、言うのは、それは、下役たちに対して言っているだけではなくて、この言葉を言っている、ファリサイ派の人々自身にも向かっていくんです。ということは、彼ら自身もまた、正しい道から迷い出て、惑っているんです。さらには、群衆たちに向かって、語る、呪われているという、新約聖書の中で、たった一度、ここでしか使われていない言葉も、ファリサイ派の人々自身にもまた帰って来る言葉なんです。

つまり、ファリサイ派の人々は、イエスさまを信じないという、一枚岩になろうとしながらも、同時に、彼ら自身が、恐れ、惑い、自分自身に、呪われている言うほどに、追い込まれているんです。よっぽどのことがあったと思いますし、それは彼らにとって、自分でもどうしていいか分からなくなってしまうほどの、大きな破れです。そして希望が見えない不安の中で、自分が呪われているのではないか?どうしてこんなに苦しまなくてはならないのか?どうしてこんなに、辛いことを、自分が受けなければならないのか?という、自問自答の苦しみではないでしょうか?

そんな中で、彼らの中から、以前イエスさまを訪ねたことのある、議員のニコデモから、「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」きわめて冷静に、律法に則った形で、「本人から」イエスさまから「事情を聞」くことで、判断するようにと助言しているのは、ニコデモ自身が、イエスさまに直接聞いたことと同じように、迷いや、呪いといった、いろんなものを抱えて、破れて、苦しんでいる、議員やファリサイ派の人々も、直接イエスさまから聞けばいいじゃないか?と、イエスさまに出会える、その道を開こうとしているのではないでしょうか?それでもなお、彼らは、ニコデモと対立するんです。ニコデモとの間でも、また破れるんです。しかしその破れは、破れで終わりません。対立のままではありません。その破れの中心には、いつも、イエスさまが、共にいて下さるんです。

ある牧師先生が、ご自分の娘さんのご病気を通して、必死で祈ったことを振り返りながら、こうおっしゃっていました。

わたしは不思議な経験をしました。娘の発病以来、わたしはどんなに度々激しく祈ったことでしょうか。時々ふと、自分はこれまでこんなに激しく祈っただろうかと反省しました。牧師として、多くの教会の方、そうでない方の病床を訪れ、葬儀を司式して、病人のため、なくなった人の家族のために祈ってきました。わたしとしては、その1つ1つ、心を打ち込んでやったつもりですが、わが子のために心を痛め、必死で祈るこの時に比べると、比較にならないと思いました。それはそれとして、わたしは祈りの中で、神さまを捜しに行き、神さまにしがみついて、恵里を助けてください、恵里を返して下さいと祈りました。しかし、ちっともよくならないのです。本当に自分の命を取って下さってもよいから、恵里の命を助けてくださいと祈りました。しかし、聞かれないのです。神さまの無慈悲さに、怒りがこみあげて来ることもありました。しかし、そんな荒れた気持ちになったからとて、事態は変わりません。居ても立ってもおれない気持ちをもって、どこへ行ったらよいでしょうか。結局は、神さまにすがるほかないのです。体内から血が流れだすように力が抜けていき、死のつめたさに体温がいつも奪われているような思いで、ただただ神さまにしがみついている8カ月でした。

ところが、恵里が召されて、わたしの祈りが聞かれないままに終わった時、私はふと、朝に優に祈り続けて、神さまと固く結び合わせて頂いている自分に気づきました。「キリストがわたしのうちに生きておられる」という事実の発見でした。

祈りは、子どもの為よりも、自分の為でした。恵里は牧師である父を、神さまと更に深くかかわらせるために、最後の役目をはたして召されたのです。私は厳粛な主の御業に、居住まいを正す思いでした。私はこの子に励まされつつ、天を仰いで心を高く上げ、地上における信仰の馳場を走りぬきたいと思います。

私たちには、いろいろな関係の中で、対立があります。破れがあります。破れたままになっていると受け止めてしまうこともあります。そして、自分ではどうすることもできないほどの破れになってしまうこともあります。それは恐ろしいと感じることですし、道に迷いますし、自分ではでどうしていいか分からなくなってしまうのではないでしょうか?しかし、そんな破れが、どんなに大きくても、その破れ口に、イエスさまが立っておられます。その破れの中心に、イエスさまがいてくださいます。そのイエスさまに繋がる道を、与えるために、イエスさまは、一人の人を用いられるんです。

そのイエスさまに、私たちが今抱えている思いの丈を何もかも、祈り続けることができるんです。なぜならイエスさまは、私たちを救ってくださる、救い主メシアだからです。イエスさまは、私たちの対立、破れの中心に共にいて下さいます。

説教要旨(8月11日)