2024年7月21日礼拝説 教要旨

何のために(ヨハネ6:22~27)

松田聖一牧師

 

私たちは、お腹がすきますね。その時は、食べてお腹いっぱいになっても、一日経てばまた、お腹がすいたとなりますね。つまり、いくらその時は、お腹いっぱいになっても、それがずっと続くのではなくて、やがてはお腹がすいて、食べたいという思いに変わっていくものです。

「湖の向こう岸に残っていた群衆」もそうです。群衆は、その前日、イエスさまからパンと魚を、豊かにいただくことができました。それこそ食べて満腹しました。それは群衆にとって、その日、満たされた素晴らしい時だったと思います。でも、その満腹は、いつまでも続くものではなくて、時間が経てば、またお腹が空くものではないでしょうか?そういう意味で、「その翌日」というその時には、いくらその前日に、お腹がいっぱいになっても、またお腹がすくんです。その結果、群衆はそのまま何も食べないわけにはいきませんから、食べ物を求めていくんです。

そのために、まず群衆は「そこには小舟が1そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたこと」に、気づいたのです。この気づいたという言葉は、別の意味では、見たとか、目に留めたとか、注意して見るという意味もありますから、群衆は、ここ向こう岸に辿り着いた舟は、1そうだけであると、まずは気づくんです。そして、ここ向こう岸に出発した時、イエスさまが、弟子たちと一緒には、舟に乗り込まれず、向こう岸の、ここカファルナウムには来ていないということにも、群衆は気づくんです。

しかし実際はどうかというと、小舟が1そうしかなかったというのは、その通りですが、それは、イエスさまが、弟子たちと一緒には舟に乗り込まれず、ということではなくて、本当は、イエスさまがまだ来ておられなかった中で、弟子たちは、神さまから離れて、向こう岸に、出発したその結果として、イエスさまは、弟子たちと一緒に舟に乗り込まれなかったということなんです。そして荒れ始めた湖にいた、その弟子たちの舟に、イエスさまが近づいてこられたのですから、群衆が気づいた内容の中には、事実と違うことが、混ざっているんです。でも群集は、弟子たちが舟に乗って出発する、その場所にはいませんから、そこまでは分からないんです。だから、「弟子たちだけが出かけたことに気づいた」という、偏った内容になっているのではないでしょうか?

それはは、全体を見ていないということですし、一部分だけを切り取ってみてしまうことです。そういうことは、実際にありますね。テレビで放映される内容も、ほぼ切り取りです。いい所だけ、都合の良い所だけ、あるいは視聴率を稼げるところだけ切り取って、放映します。同じ写真を繰り返し、繰りかえし流すというのもそうです。それは1つの効果を生み出すというのは、確かにそうなのですが、それらのことは、全体を紹介しているかというと、やはり部分的です。どこかに偏りがあります。そこに限界があるとも言えます。また身近なところで言えば、この会堂の椅子を、見る時、私たちは、どう見ているでしょうか?私が座る場所として、この椅子を見ることがあると思います。今日の礼拝もそうですが、大体自分の指定席みたいなところが、ありますね。それは、その場所が、自分にとって、落ち着く場所であるからではないかと思います。ですから、それぞれに落ち着く場所が、違いますので、いろんなところにお座りになられるのは、自然なことです。もちろん指定席はないので、どなたが、どこにお座りになられても、大丈夫です。同時に、その同じ椅子は、神さまが、私たちを、神さまに礼拝をささげるために招いてくださった場所でもあります。つまり、そこに、椅子があるということは、神さまが、誰かは分からないけれども、神さまの、招いておられる人が、やがてそこに座ることになる椅子でもあるのではないでしょうか?そして、神さまが、わたしを招いて下さっただけではなくて、これからも、神さまが招いて下さる方がおられるということも、その椅子に神さまが込めて下さっているのではないでしょうか?他にも、椅子1つを巡っても、いろいろな見方があります。そのいろいろには、また別の、いろいろが混ざっています。なぜならば、それだけ人の見方、気づく内容が違うということと、それだけ人は、個性豊かだからです。だから千差万別とか、十人十色と言われるのも、その通りです。

それは、「イエスも弟子たちもそこにいないと知る」ことも、同じです。というのは、群衆が、実際に、群衆がそこへ行って見て、確かめたわけではなくて、「ほかの小舟が数そう」ティベリアスという、ガリラヤ湖の北西岸の町から、「主に感謝の祈りを唱えられた後に、人々がパンを食べた場所へ近づいて来た」ということから、そこにいないと知るんです。しかも、人々がパンを食べた場所へ近づいて来た、ほかの小舟数そうに、人が乗っていたとは書いていません。でもその小舟を群衆は見て、イエスさまも、弟子たちもそこにはいないと知るんです。不思議ですね。人が乗っていたとは書いていないのに、数そうの小舟が、舟だけで、そういう動きができるのは、どういうことでしょうか?

今から13年前に起きた東日本大震災で、津波で流された船がたくさんありました。しかし、その中で、人が乗っていないのに、日本各地の港に辿り着いた船もありました。そして、その船には、船の名前が○○丸と書いてありました。すると、この人のものだ、ということが、分かるんです。それで、その持ち主にお知らせすることができました。しかし、その船を操縦していた人は、いないんです。船は戻って来たけれども、船に乗っていた人は、どこにいるのか分からないという、現実が、船だけしかないということを通して、突き付けられていくんです。

つまり、群衆が、イエスさまも、弟子たちも、そこにいないと知るというのは、ただ、そこにいないだけではなくて、湖が荒れ始めたガリラヤ湖に出て行った、弟子たちが、湖の途中で、舟から落ちてしまったのではないか?舟から放り出されてしまったのではないか?と、受け止めたことが、そこにあるのではないでしょうか?ところが、「ほかの小舟が数そう、ティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に、人々がパンを食べた場所へ近づいて来た」時、イエスさまも、弟子たちも、そこにはいないということを知りながらも、「自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めて」いくんです。

そしてこの、ほかの小舟数そうも、そこには誰かが乗っていたとは書いていません。それなのに、どうやってパンを食べた場所へ近づいたのか?それも分かりません。誰かが操っていたのか?あるいは風だけで近づいたのか?それも分かりません。しかし、この数そうの小舟が、イエスさまによって、神さまに感謝の祈りをされた、その場所へ近づいて来た時、群衆は、この小舟に乗って、イエスさまを捜し求めて、動き出すんです。それは、その小舟を動かした見えない何かに、群衆も、引き寄せられ、動かされているのではないでしょうか?そしてそれは、目に見えないけれども、確かにおられる神さまが動かしておられるということに、繋がる出会いとなっていくのではないでしょうか?

それはまた、その小さな小舟に、神さまは、弟子たちだけではなくて、群衆をも招いて下さっているということなんです。そしてその群衆を通して、神さまは、ますます大きなお働きをされるということではないでしょうか?ただですね、それらの小舟に乗るのは、群衆です。そこに1人や2人が乗るのではなくて、大勢の人々が乗ることになります。しかも、小舟というのは、小さな舟ですから、そんな舟に大勢が乗っても、大丈夫なのか?どうやって乗ったのか?定員オーバーになって、途中で、舟は群衆の重みに耐えられなくなって、沈没してしまうのではないか?と、小舟だけを見たら、いろいろ思います。しかし、そんな小舟の大きさがどうとかに、目がいかなくなっているのは、群衆が、イエスさまを捜し求めるということに向かっているからです。そして、イエスさまを、見つけて、イエスさまのところに行って、パンが食べたい!パンを食べて満腹したい!という、願いもあるからです。それほどに、群衆自身が、生きたい、これからも生きて行きたい!そしてお互いに、支え合って、生きて行きたいと願っているからです。

阪神大震災が起きた日の朝、明るくなってからのことです。町は多くの建物が壊れ、火災があちこちで起きていました。家が目の前でどんどん燃えていきました。駆けつけてくださった方が、おっしゃいました。「もうあそこは火の海だ~」そんな今まで経験したことのない中で、近くにあったパン屋さんが、前日に売れ残ったパンを、店先に並べて、こう呼びかけがありました。「これを持って行って!お金はいらないから。どうぞ食べてください」そして、水道管があちこちで壊れて、水が噴き出していました。その水を汲むために、見ず知らずの、普段は声も掛け合ったことがない、方々と一緒になって、水を集まって来た方々に、配っていきました。その時、お互いに、その日一日を何とか過ごすことができるように、助け合って行きました。それはお互いに、生きるため、生きるという1つのことに向かっていたからだと思いますし、もうそれしか考えられないような中にあったからだと思います。そんな中で、ふと思いました。大きな災害が起きた時、とにかく必要なのは、食べ物だ!だから、食べ物をとにかく手に入れること、食べ物があれば、何とかなる!とつくづく思いました。そして、一番早くお店が再開するのは、食べ物を売っているお店でした。だから、震災から1年くらいは、お店が壊れて、商売ができなくなっても、かつてあったお店の前で、あるいは路上で商売をしておられる方がいました。またご自分の車で、ワゴンでしたが、たこ焼き屋さんをしておられる方も、ありました。その前を通りがかった時、こんな張り紙がその車に貼ってありました。「私のお店は、全壊しました。すべてを失いました。でもたこ焼きを焼いて、がんばりたいと思います~」どう受け止めていいのか、分からない光景でした。あれから30年近くになりますが、今、その方は、どこでどうしておられるかと思います。もう30年になりますから、その方は、亡くなっておられるかもしれません。30年経つと、人は変わりますし、世代が変わります。それが人間です。しかし、そうであっても、その時生きておられたその人は、その時を精一杯、お互いに助け合って、生き抜こうとしておられたことは、間違いありません。

だから、何とかして、食べる物を手に入れようとし、食べようとするんです。それは自分のためだけではないと思います。その人にとって、食べさせたい人があれば、その人にも、食べさせるものを、何とか手に入れようとするのではないでしょうか?それは、何とかして生きよう、何とかして、生きることができるようにしたい、という思いからです。たとい今、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに苦しくとも、どんな中にあっても、精一杯、食べ物を得ようとして、生きようとしているんです。

だからこそ、群衆は、イエスさまを捜し求めたんです。どこかにおられるはずだ、どこかに生きているはずだと、自身の命も危うくなるかもしれないのに、数そうの舟に乗って、イエスさまを捜し求めて、イエスさまを得ようと努めていくんです。そして、その群衆の乗った舟は、カファルナウムに、無事に来ることができたのは、舟に乗った群衆が、食べ物を得たい、もう一度お腹いっぱいになりたい!という動機があったにしても、群衆が、イエスさまを捜し求めたからこそ、カファルナウムに来る、道が開かれていったと言えるのではないでしょうか?

そういう意味で、イエスさまが「わたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」とおっしゃられる通りの姿が、そこにあります。そういう群衆であっても、それでもイエスさまは、イエスさまに出会えるようにしてくださっているんです。

そしてイエスさまは、群衆も含めて、私たちのイエスさまに向かう、その方向を、本当にイエスさまに向かって、造り変えてくださるために、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」食べたらなくなるもののためにではなくて、いつまでもなくならない、いつまでもあり続ける永遠の命に至る食べ物のために、働きなさいとおっしゃられるんです。

それは、食べる物がなくても、いいということではありませんし、また食べてしまえば、目の前からなくなってしまう食べ物のために働くなと、おっしゃっているのでもありません。そういうことではなくて、イエスさまは、それらの食べ物も含めて、必要なものを、毎日必ず与えてくださる神さまのために、働きなさいなんです。神さまから与えられた、そのもののために働くのではなくて、与えて下さる神さまのために、働くことです。そしてそのために働く働きを通して、神さまは、あなたを愛し、あなたをどこまでも赦し、あなたをどこまでも支え、守り、そして、いつまでも神さまと共にある命、神さまがいつも一緒にいて下さる命を、与えて下さる、イエスさまを、与え続けて下さいます。そしてイエスさまは、一人の人に与えたら、それで終わりではなくて、その一人から、広がっていくのです。

ある教会が、創立40年を迎えた記念誌の中に、一人の方のお証しがありました。

教会の前に掲げられた聖書のことば「悩みの日に我を呼べ、我汝を助けん」にひかれて、教会に足を踏み入れた母でした。それからは次第に信仰は深まり、あの悩みに沈んでいた時とは、打って変わって、生き生きを輝いて来ました。やがて他の4人の方々と共に洗礼を受けたのが、昭和29年12月26日で、それは最初の洗礼式で教会の誕生でした。それ以後、母の忠実な信仰と教会への献身が続き、それは、父に及び、同じ道を歩む2人は、神さまの恵みを語り合う時が、この上もなく幸せと感謝していました。

両親は祈りの中で、納骨堂建立に尽力しました。父は常に先頭に立ち、そして、礎石に刻まれた「復活」の筆跡は母のもので、今も、2人の主への献身の証しをしています。かねてより「納骨第一号は私」と言っていた父の言葉通り、その完成直後、父は召されました。

さて、そのころの私は、教会への関心はありませんでしたが、母が、煩わしいことに出会う時「神さまはご存じ・・・」と言って、すべてを委ねている静かな態度に大きく心を打たれるようになり、母の最後を看取り、その確信と信仰のもたらす安らぎに、深く感銘を受けました。その後、わたしは見えない偉大な力に引き寄せられ、何のためらいもなく、神さまを信じ、洗礼を受けました。その後も神さまの恵みは働き続け、主人が病に倒れるという青天の霹靂の中で、再起不能と言われた彼が、医師も驚く奇跡的な回復を遂げました。彼もまた、同じ大きな御手の力に導かれて、なんのためらいもなく信仰を言い表し、昭和63年1月1日洗礼を受けました。

このように、わたしの家族を見ましても、どなたの歩みを見ましても、40年の教会の歴史を貫くものは、主のお働きに他なりません。これは今後も続くでしょう。「会員が増し加わり、会堂一杯になるように」との20年誌にある母の祈りは実現しています。

神さまのために働けること、それは本当に素晴らしいお恵みです。そのお恵みは、小さくなりません。人から人へと受け継がれ、伝えられて、大きく広がっていきます。

説教要旨(7月21日)