2024年3月17日礼拝 説教要旨
一粒の麦(ヨハネ12:20~36)
松田聖一牧師
人にものを頼む時、「忙しい人にものを頼め」ということが良く言われます。不思議ですね。忙しい人に何かを頼めば、頼まれた人は、もうすでに忙しいわけですから、もっと忙しくなるのではないかと思います。しかし忙しい人に頼めという意味と目的は、忙しいその人は、他からも何かをいろいろ頼まれていても、その人は、頼まれたことを、早くしっかりとやれているから、いろんな人が、その人に頼みに来られるということでもあるからです。反対に、頼んで、分かりましたと言って引き受けてくださっても、結果として、引き受けてもできなかった、できなかったということになると、その方には、なかなか頼めなくなりますし、この人には、この内容のことは、頼まない方がいいということが、暗黙の了解のような感じになっていくと思います。そしてもう1つのことは、何かを頼むという時には、頼んだ相手の、その人が、どういう人脈を持っているか?どういう能力を持っているか?何が得意であるか?何ができるか?ということを、頼む方もちゃんと見ていないといけないと思います。そういう見分ける能力というものも、頼む側にも必要ではないでしょうか?
先日、出身の神学校で60年に亘って教鞭を取られた旧約専門の先生が、天に召されました。新共同訳聖書の翻訳の委員などもされたり、イスラエルで考古学研究をされている学者の方とも、交流をお持ちの先生でした。鋭い感覚をお持ちでいらっしゃって、ヘブル語もすらすらと読まれ、講義の始まりは、前回の続きからすぐに入られるのです。だから前の授業の内容を、受ける前に頭に入れておかないと、先生はすぐに入られるので、最初は何をおっしゃっているか分からないということも時にはありました。そんな先生の得意とされたことの1つに、人にものを頼む時に、本当に適材適所です。この内容であれば、この人に頼んだらいいということが、ズバリその通りでした。すごい能力だといつも思っておりました。
その能力と言いますか、頼む人をちゃんと見極めるということが、何人かのギリシャ人にもあるのです。というのは、彼らが「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼む相手は、12人いる弟子たちの誰でもいいということではなくて、フィリポであるということと、なぜフィリポなのか?ということについて、「ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポ」ということと、頼む人々がギリシャ人であることが関係しているからです。そこで、まずはベトサイダと言う町がどんな町であったかを確認しましょう。ベトサイダは、漁師の家とも呼ばれます。そしてギリシャの人々が、ベトサイダに出入りし、ギリシャ文化の影響が大いにあったところでした。ギリシャ語も、そこでは話されていたでしょうから、ギリシャ語とヘブライ語が飛び交っていたことでしょう。そういう町ですから、ヘロデ王の息子の1人、この人もフィリポと言う名前ですが、このベトサイダを、ギリシャ風の町に建て直して、ユリアスという名前に変えるほどでした。フィリポは、そういう町の出身です。だから、ギリシャのことも知っていたでしょうし、ギリシャ文化にも触れていたことでしょうから、ギリシャ人の方々としては、頼みやすかったのかもしれません。そこで、フィリポにまずは頼んでみようということになったのでしょう。その一方で、同じベトサイダ出身の弟子には、ペテロ、アンデレもいるのですが、その2人では頼んではいなくて、まずはフィリポを選んで頼むのです。
そういう人を選ぶということが、まだ続きます。すなわち、ギリシャの人々の、イエスさまにお目にかかりたいと願う、その願いを、フィリポは受けて、「フィリポは行って、アンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した」とありますが、フィリポ1人だけで、誰にも言わずに、イエスさまのところに行って、話したのではなくて、同じベトサイダ出身のアンデレを選んで、アンデレにも、話すのです。そしてアンデレは、フィリポと一緒に、イエスさまのところに行って話すのですが、同じベトサイダ出身のペテロには声を掛けていないんです。それはペテロの性格を、知っていたからでしょうか?だからこの時、フィリポは、ギリシャ人たちの頼まれごとを話す相手は、ペテロではなくて、アンデレがいいと判断したのでしょうか?そしてアンデレも、イエスさまのところに一緒にいくなら、ペテロも、ではなくて、フィリポを連れて行こうとしたのでしょうか?いずれにしても、フィリポも、アンデレも、それぞれに人を選びながら、選ばない時には、選ぶという思いを自分の中から、斥け、去らせているのです。
それはまた、イエスさまのところに行くという時にも、フィリポとアンデレではなくて、アンデレとフィリポは、となっているところにも現れているのではないでしょうか?フィリポは、アンデレにギリシャ人たちの願いを話した時、イエスさまのところに行こうという働きかけは、フィリポからアンデレではなくて、アンデレからフィリポになっていくのです。つまり、フィリポが、ギリシャ人から頼まれたことを話す時には、アンデレを選び、イエスさまのところに行く時には、アンデレがフィリポと一緒に行くことを選んでいるのです。しかし2人が選んだことが、それぞれであっても、2人はイエスさまのところに行って、2人でイエスさまに、イエスさまにお目にかかりたいという願いを伝える2人となっているのです。
そう言う意味で、人を選ぶというのは、いいとか悪いということではなくて、選ぶ時にも、選ぶということを去らせる時にも、それぞれの賜物が生かされるようにということではないでしょうか?誰でもいいということではないのです。適材適所で、それぞれの良さがより生かされるように、選んだり、選ぶのをやめたりすることが、ギリシャ人、フィリポ、アンデレだけではなくて、私たちもしていることです。それは人だけではありません。内容も、行動も、それぞれを選んだり、斥けています。
2月3月の季節は、受験シーズンです。高校入試や大学入試があります。受験するというとき、いろいろある学校の中で、最終的には1つを選びます。その1つを選ぶまでには、それまでここにしようか、あそこにしようかと迷ったり、悩んだりすることもあります。でも1つを選ぶ時には、それ以外は斥けていきます。それは受験だけではありませんね。いろいろな時、選んだり、しりぞけたりします。そんな中で時には、自分が選びたいものが選べないということもあるでしょう。
大阪フィルハーモニー交響楽団が、創立50年を迎えた時、当時の音楽監督でいらっしゃった朝比奈隆さんの挨拶の中に、こんな一文があります。「今、晴れの日を迎える楽員諸君の陰には、オーケストラの基盤も脆弱で労苦のみ多かった多数の先輩がいたことを忘れてはなりません。その中には、自ら行く道を選び、去っていった人達もおられますが、意に反して退団しなければならなかった人もあります。今、50年の歴史の長さと重みの中で改めて、この人々に感謝の意を表したいと存じます。」自ら行く道を選んだ人と、意に反して退団しなければならなかった人、それぞれに選んで行かれました。自分の行く道を選べたこと、選びたかったのに、選べなかったこと、選ばずにはおれなかったことがありました。その時々に、喜びも、悔しさもあったことでしょう。そういうことを私たちも繰り返してきていると思います。
しかし、そうであったとしても、また選ぶ人、選ぶ内容、選ぶ目的がそれぞれにあっても、イエスさまに向かっていく時、それらの違いを超えて、1つになれるのです。そして「お目にかかりたいのです」と託された、その願いを、イエスさまに伝えた時、私たちは、イエスさまに出会っていくのです。
その上で、イエスさまのはっきり言っておくとおっしゃられる、「1粒の麦が地に落ちて死ななければ、1粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
というのは、イエスさまに出会ってからもなお、選べたこと、選べなかったこと、選ばずにはおれなかったことが、起きているからです。なぜならば、1粒の麦が地に落ちるということは、この麦が、地に落ちることを、選ぶか、選ばなかったということではないからです。というのは、当時の種まきの仕方は、種入れの袋を持った人が、その袋を担ぎながら、その袋から自然に出て行く、あるいは、零れ落ちるという蒔き方が、当時の種の蒔き方でした。だからこそ、この麦が地に落ちるかどうかは、麦自身の問題ではなくて、人が、麦の入った袋をもって、畑に出かけて、その畑を歩き回って、そのまま畑にまくことを、選ぶか、選ばないかによって、地に蒔かれるか、蒔かれないかが、決まってくるということなのです。それゆえに、その1粒の麦を、人が蒔かないということを捨てて、去らせて、除外すれば、まくことになるのです。ところが、まかないということを、人が選択してしまうと、それは麦のまま、まさに「1粒のままである」ということになるのです。でもそれは麦の責任ではなくて、蒔く側のその人の責任、人間の責任です。
つまり、地に落ちて死ななければ、1粒のままであるかどうかということは、麦にかかっているのではなくて、人がその1粒の麦を、自分の手元に握りしめ続けるか、否か、その麦を手離せるかどうか、にかかっているのです。
今年も春が巡ってきます。今年もじゃがいもを植えようか?と思ったりします。そのじゃがいもを、収穫しようとすれば、ジャガイモの種芋を、春になって暖かくなったら、畑に植えていきますね。そうするとそのジャガイモから芽が出て、花が咲いてやがて1つのジャガイモから、沢山のジャガイモができます。でもその1つのジャガイモが大切だから、そのジャガイモが好きだから・・・と言って、手元にずっと置いてしまうと、それは1つのままですし、そのじゃがいもは古くなって、使えなくなってしまいます。しかしそのジャガイモを植えるかどうか?は、ジャガイモが決めることではなくて、人が決めることです。人が植えようと決めて、植えることを選んだら、植えられますし、逆に植えることを選ばなかったら、植えられません。
それが「自分の命を愛する者」「自分の命を憎む人」の姿でもあるのです。というのは、この自分とは、1粒の麦のことだからです。そして、その1粒の麦の命を愛するということは、もちろん大切にしたいという思いがあるでしょうが、しかし、大切にしたいという思いから離れられずにいると、その麦を手離すことができなくなるのではないでしょうか?その結果、その麦は、麦のままになり、芽を出すことも、多くの実を結ぶということも、失ってしまうのです。言い換え
れば、1粒の麦を通して、与えられるはずの豊かな収穫、その麦にとっては、家族であり、子孫と言ってもいいかもしれません。そういう恵みが得られなくなってしまうのです。だからこそ、1粒の麦の命を憎む、すなわち1粒の麦を選ばず、斥ける人、つまり、1粒の麦を、自分が握りしめることではなくて、それを手離して、委ねていくことによって、多くの実を結び、豊かな収穫が与えられ、そしてそれがまた次の年、次の年にも手離し続けることによって、その1粒の麦は、地に落ちて、ますます豊かな収穫が与えられていくのです。
では、その1粒の麦を手離せず、握りしめ続けてしまうのは、どうしてでしょうか?この1粒の麦は、わたしのもの、わたしの所有だ!他には委ねられないという思いと、多くの実を結ぶとは信じられないでいるからではないでしょうか?もちろん愛すること、大切にすることがいけないのではないのです。しかし、手離さなければならない時、委ねなければならない時には、それは自分の手から離れるということを、受け入れなければならないのではないでしょうか?しかし、現実にはどうかというと、手離し、委ねられる時と、これはわたしのもの、私の手の中に、私が握り続けないといけないということを、斥けることができない時とが、繰り返されるのではないでしょうか?
それは、イエスさまが、「わたしは地上から上げられる」すなわちそれまで一緒にいたイエスさまが、人々から離れ、十字架につけられ、死なれること、神さまのもとに行かれることを人々は、受け入れられないでいることと同じです。だからイエスさまが、どのような死を遂げるのかを示そうとして言われたことに対して、「雷が落ちた」とか、「天使がこの人に話しかけたのだ」とか、言いますし、「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」と言葉を返していくのです。それはイエスさまを、ここに、いつもい続けてくれる形で、自分たちの手元に置いておきたい、握っておきたいからではないでしょうか?
そうなってしまうと、光として来られたイエスさまを失ってしまうのではないでしょうか?そもそも光というのは、握ることができないものです。例えば、この手に太陽の光が当たっている時、その光を、握ろうとしたら、どうなるでしょうか?握ったら、握ったことによって、光が入って来なくなります。その握った手は、握っていますから、握られたところには光が届かなくなり、真っ暗になります。イエスさまが十字架につけられたのは、まさにそういうことです。捕らえられて、縛られ、十字架にも縛りつけられ、手と足に釘で打ち付けられて、身
動きが取れないようにさせられました。イエスさまが逃げないように、現住に握り続けた結果、十字架の上で亡くなられたのでした。その時昼間であったのが、真っ暗になったと聖書は語っています。しかしそれで終わったのではありません。どんなに人が握りしめ、どんなに縛りつけたとしても、罪人として扱い、その罪を十字架の上でどんなに負わせたとしても、イエスさまは、十字架の死と共にそれらの罪を全て滅ぼしてくださり、そこから解放してくださり、神さまと共にある命に生きる道を、与えてくださるのです。それはまた、私たちが握り続けるところから、私たちの今握りしめているその手を離して、解放してくださるのです。とらわれないで生きられるように導いて下さるのです。
ある男性の方がいました。奥さんを先に亡くされ、お一人になっていました。そんな折、カトリックの友人から、インドのカルカッタにボランティアに行かないか?と誘われるのです。迷いました。その理由は、この時彼の頭の中には、カルカッタは世界最悪の町だ!ということで、いっぱいでした。しかしそんな迷いの中で、大げさですが、暗闇の世界を知る必要も感じました。そこで迷いながらも、10日間、カルカッタでボランティアをすることになりました。死を待つ人の家には、世界各地からボランティアの方々が来られていました。皆さん生き生きと明るくふるまっておられましたが、彼は、そこで疲れ切ってしまいました。というのは、そこには男女合わせて200名以上の、身寄りのない、医者にかかれない病人、障害のために家族に捨てられた人々がいて、毎日毎日、排便、排尿が所かまわずという状況がありました。朝行くと、ベットの周りだけではなくて、トイレも吐き気がするような状況でした。しかしその掃除を、シスターやボランティアの方々が黙々とされている様子に、自分にはそれができないということを感じました。そういう自分にショックを受け、挫折の毎日でした。でもその中で毎朝行われる礼拝に参加され、その時だけは、光の中にいるようでした。毎日心動かされる礼拝でした。そしてその礼拝の中で、イエスさまの周りにいる人々の願いや賞賛、また怒号の中で、静かに歩み続けられるイエスさまを思いました。ひたすら病める者を癒し、枕する所もなく、貧しい人の友となられたイエスさまを思いました。そんな日々を過ごす中で、世界最悪の町と思っていたところにも、光と感動があることに気づかされていきました。それは自分自身が握っていたものから、解放される出来事でした。そして、マザーテレサの「あなたの近くにあるカルカッタに行きなさい」という言葉は、大きな示唆となりました。確かに、ボランティアでは挫折しました。しかし、その挫折を通して、帰国後、カルカッタは私の近くに、また見えない所にあると気づかされていくのです。そこは待っていてはダメ。探すことだ。出かけることだ。そして教会に行かれたことのない方とも協力し合うことだ、つまりキリスト教圏から外に出ることだ、しかもそこ
にも神さまの業は現れると信じて、行動することだ、他宗教の方々も尊重することだということを、礼拝を大切にすることを通して、学ばされたことでした。
私たちは、いろいろな時に、選んだり、離れたり、しりぞけたりします。その時、何を選び、何を退け、何を握り、何を手離していくのでしょうか?いろいろある中から、何を選んでいるのでしょうか?ひょっとしたら握りしめることで、光ではなく、暗闇にしてしまい、その暗闇となっているものを、握りしめているのかもしれません。そんなことを繰り返しながらも、イエスさまは、自分が握っている、1粒の麦を、握ることから、委ねることへと導いてくださいます。神さまは、委ねたその時、神さまの恵みをそこで顕してくださいます。