2023年7月30日礼拝 説教要旨
真実に向かっていく時(ルカ9:51~62)
松田聖一牧師
東京女子大学などで教鞭を取られた湊晶子という先生が、90歳になられ今月、8月の信徒の友に、平和とはということについて、平和に生きる、平和を楽しむ、平和を望むという消極的なものではなく、積極的に、平和というのは「つくり出す」ものであることを、私は戦争体験から学びました・・・という下りから始まる、記事の中で、どうしてこの原稿依頼を引き受けたかと言う理由を、次のようにおっしゃっていました。
爆撃による後遺症のため、これまで何度も意識を失い倒れつつも生かされてきましたが、90歳を過ぎて再び倒れて入院中に、この原稿依頼を受けました。引き受けるかどうか悩みましたが、戦争体験を語る人が少なくなった今、人生最後の一日まで、平和憲法をまもり、核を保有しない国としいての責任を若い方々と共に果たしたいとの強い願いから受けました。
人生最後の一日まで・・・共に果たしたい、この言葉には、自身のこれからの人生の最後の一日まで、果たしたいという思いと同時に、自分の人生の最後の一日を非常に強く意識しておられる言葉でもあります。そしてその日が来るのは、そんなに遠い先のことではないからこそ、心を決めて、どうしても書かなくてはという思いに駆られた熱い思いと、並々ならぬ覚悟が伝わってきます。
何かを残し、伝えたい!というのは、いつの時にもあります。その中で、これからの時間が、これまで過ごしてきた時間ほどには、もうないという状況になった時には、ひときわ高まっていくものではないでしょうか?
それは「イエスさまが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」にあるイエスさまの並々ならぬ思いと、その時の姿もそうです。というのは、「天に上げられる時期が近づく」と言う言葉には、その時が満ち満ちる、満杯になる、満期を迎えるという意味を含んでいます。つまり、単にイエスさまが天に上げられる時期、すなわち十字架にかけられ、死んで、そして甦られ、神さまの許に帰るという、その時が時間的に近づくことだけではなくて、十字架の死と復活、そして昇天という出来事に向かって、イエスさまは極めて積極的なのです。でもそれは、イエスさまにとって、心地良いことだからでは決してありません。イエスさまにとって、これから、侮辱され、鞭打たれ、傷つけられ、何もかも奪われ、公開処刑として十字架にはりつけにされていく、その時が近づいているのですから、喜びではなく、苦しみであり、悲しみです。それでもなお、天に上げられる時期が近づくということを、満杯になる、満期を迎えるという、積極的な言葉を用いているのは、イエスさまの十字架の死と復活、主は生きておられるということが、すべての人の救いとなるために、必要なことだからなのです。
なぜなら聖書にはこう約束されているからです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを、望んでおられます。」神さまは、神さまが命を与えたすべての人が、命を与えてくださった神さまを知ること、そして、神さまに赦され、救われるという、真理、私はここにいていいんだ!わたしを赦して下さった神さまがいつもついていてくださるんだ!を知るようになることを、心から願っておられるのです。それを私たちが、受け取ることができるように、十字架の死と復活があるのです。
ではなぜイエスさまの十字架の死と復活が、すべての人が赦され、救われるということを受け取ることに繋がるのか?というと、イエスさまが、十字架につけられるに至った理由、十字架につけることを決めたこと、そしてそれを実際に行ったこと、十字架につけられたイエスさまを助けられなかったこと、イエスさまを裏切ったこと、関係ないと離れたこと、といったもろもろのことが全部、イエスさまの十字架に向かっているからです。そして、そこであらわになった人間の姿とは、愛のなさ、冷酷さ、悪意、恨み、自己保身、責任を他になすりつけること、自分が責任を取らないこと、といったありとあらゆることを、全部イエスさまは十字架の上で、受け取って、受け入れておられるのです。そして受け入れておられる十字架の上で、イエスさまは、自分に対してした数々のことについて、その人に仕返しをするとか、その人を恨みに思うのではなくて、それをそのまま受け取りながら、父なる神さまに、「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは自分が何をしているのか分からずにいるのです」と、自分を十字架につけた人々を、どうぞ赦して下さいと祈っておられるのです。
そして、十字架に向けられているすべてのことを、十字架の死と共に全て、完全に滅ぼして下さったイエスさまは、私があなたの代わりに十字架にかかり、その罪を全部身代わりに背負いました!もう滅ぼしました!ということを成し遂げ、完成されたからこそ、あなたはもう赦されました!あなたはもう神さまからゆるされています!今生きていること、今ここにあることを、神さまが赦して下さっているんだ!ということをあらわし、与えておられるのです。
それが、罪の赦しなのです。この罪というのは、何か悪いことをしたという意味での罪だけではなくて、命を与えて、命を守って下さっている神さまを知らないでいるということ、神さまがおっしゃっていることの意味と目的も、分からず知らないでいることです。その結果、神さまの思い、言葉とは違う方向、外れた方向に、自分の思いや行動が向かっていってしまうのではないでしょうか?そういう意味で罪のもともとの言葉、的外れという言葉が当てはまるのです。神さまから的が外れているのです。自分の思い、行動も神さまから的が外れているのです。外れているから、いらんことを言ったり、いらんことをやってしまうのですね。余計なことを自分がしてしまうのです。そういう罪があるよ、という1つの真実を語ると、いろんな反応があります。
あるお家で、聖書を読んで讃美歌を歌うという集まりをしていたところに、その村の区長さんが来られました。その時、牧師先生を通して、語られた御言葉に、「人間には罪がある」赦されなければならない罪があるというこの言葉に、ものすごく反応され、反抗しました。そんなわしは悪い人間じゃない!今まで一生懸命にやって来た!と、ものすごく抵抗されたのですが、その集まりからしばらくたった時、ふと自分がいい人間じゃない、外れたことをしていた、ということに、気づかされる出来事がありました。それがその方に大きく影響したようでした。それ以来、召されるまで、家庭集会に通い続けたのでした。そんなある時、詩編23篇のみことばを通して、共に守った時、こうおっしゃられたのでした。「わしに語ってくれたのか??・・・」その時の聖書の言葉が、自分に語られたと受け取られたことがありました。
神さまから離れて、神さまの思われていること、神さまの言われていることから、外れたことをしている、その罪があると言われたら、素直に、ハイその通りですと答えることもあるでしょうし、反対に、そんなことはない!と、反抗することもあるでしょう。なぜかというと、その時、自分の中に、自分なりの真実と思っていること、これが正しいと受け止めていることを、自分の中で作り出しているからです。そして、それに基づいて生きているので、神さまが言われたことが、自分の積み上げて来た生き方と違うと感じたり、自分が間違っている、自分が全部否定されたかのように受け止めてしまうので、自分を守るために、必死で抵抗するのではないでしょうか?それが、そんな悪いことはしていない!という反発になるのです。
それが、イエスさまがサマリアの村に入ろうとした時に、遣わされた弟子たちが経験した、イエスさまを歓迎しなかった、イエスさまを拒み、受け入れようとしなかった、サマリア人の姿でもあるのです。そして、その受け入れようとしなかったサマリア人に対して、弟子のヤコブとヨハネが、イエスさまはそうしようとは思っておられないのに、神さまに成り代わって、先走って、天からの火を降らせて、焼き滅ぼしましょうか、との態度にも現れているのです。
さらには、イエスさまに、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた中で、イエスさまが、人の子には枕する所もないと言われた時、それは生活する場所がないということとして受け取られたことでしょう。その背景には、イエスさまを信じることで、迫害されるという時代がありました。殉教者が出ました。そして自分の命を守るために、イエスさまを信じることを捨てる人々もありました。やはり、自分にとって、生活の場所がなくなることは、大変なことですし、これからの生活がどうなるのか?不安と恐れを感じさせたことでしょう。
そういう意味で、イエスさまから「わたしに従いなさい」と言われた別の人も、また別の人も、イエスさまに従うことを後回しにする理由を、それぞれ言っていますが、理由の内容よりも、そもそも自分の身を守る、自己保身に陥ってしまうと、その理由が、取ってつけたような内容になっていくと言いますか、言い訳みたいな感じになっているのではないでしょうか?
それが、父を葬りに行かせてほしいこと、家族にいとまごい、お別れですね。それを言うために家族のところに行かせてくださいと理由を言っていくのです。一見するとその理由は、もっともなことだと見えます。まず、父を葬りに行かせてほしいと願った、この方は、お父さんを亡くされたのです。その亡くなったお父さんを葬りにということは、息子としても、家族としても、当然のことです。ただ不思議なのは、葬りに至る迄、この人は、自分の父親に対して、どんなことをして来たのでしょうか?なくなる迄のその間、ご病気であったかもしれませんし、亡くなられたのが、突然だったかもしれない、しかし、そのお父さんが、生きている間に、この人は父親に何をして来たのでしょうか?お父さんの世話をしたのでしょうか?あるいはしたくてもできなかったのでしょうか?それとも、亡くなって、初めて、父親のところに行けた、行こうという思いになれた関係だったのでしょうか?つまり、父を葬りに行かせてくださいには、きちんと葬り、埋葬をしたい、そういう形でお別れがしたい、お別れをきちんとしたいということだけではなくて、この人と、父親との関係が、亡くなるまではどうだったのか?ということが、この理由に、出ているのです。
同じように、家族にいとまごいに行かせてください、お別れをしに行かせてくださいも、そうです。それまでこの人は、家族とどう関わって来たのでしょうか?別れを告げる前に、家族と何らかやり取りや、関わりは、あったのでしょうか?これまではいろいろな理由で、関わることができなかったところに、イエスさまから、私に従いなさいと言われて、それがきっかけでやっと、「まず家族にいとまごいに行かせてください」という思いになったのでしょうか?
いずれにしても、父親との関係、家族との関係についてのことが、イエスさまから、私に従いなさいと言われた時に、この人たちから、出て来るのです。その1人1人と、父親、家族との関係は、どうだったのか?いろいろあったのだろうか?といったことが、イエスさまの十字架の赦しに向かって、イエスさまがエルサレムに行くその時に、イエスさまに従うということの前で、あらわにされていくのです。
見方を変えれば、私たちの中にあるものがあらわにされる時、それは、イエスさまの十字架の死と復活に向かって、歩もうとされる、その真実に向かっていくイエスさまから、真実を突き付けられた時でもあるでしょう。そして、その真実に向かっていく時に、私たちの中から、出て来るものなのです。それを振り返る時、私はどうか?私の中にあるものは何か?と顧みることになるのではないでしょうか?そういう振り返りというのは、必要なことですね。それは丁度、車の運転のときに、時々、車の中にあるバックミラーや、ドアの外にあるバックミラーを見るのと似ていますね。車を運転する時には、前を向いて運転します。基本は前を向くことです。でも時々バックミラーを見ますね。ちらっとみます。でも後ろばかりを見すぎてしまったら、前を見なくなりますから、事故につながりますね。
つまり、振り返るという意味は、どんなことをしたのか?どんなことがあったのか?ということだけを見続けることではなくて、振り返りながらも、顧みながらもなお、前を見て、前に向かって進んでいくことではないでしょうか?そして、そのあったこと、1つ1つが、イエスさまの十字架の赦しのもとにあること、過ぎ去ったことが、もうすでにイエスさまの十字架によって、赦されていること、に気づかせていただきながら、見ることではないでしょうか?そのことをイエスさまは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」との言葉に表しておられるんです。鋤というのは、クワと反対の使い方です。畑を耕すのに、クワを使う時、クワは、自分の前にある土を耕しながら、後ろに行きますね。鋤は、それと反対です。牛などにひかせて、土を耕しますから、自分から向かって、後ろにあります。自分の後ろから、耕されていきます。それに手をかけてから、後ろを顧みるというのは、自分の後ろにあることばかりに目がいってしまい、それに縛られて、前に向かって進めなくなってしまうことではないでしょうか?そうであっても、イエスさまは、前に向かって耕しながら、進んで行こうとされるのです。それはイエスさまの赦しが、与えられ、広がっていくということでもあります。ですから、それを決して見るなとは言っていないのです。既に耕されたところは、見るものです。ただ、見すぎてしまうと、赦されたことだけではなくて、あれがあった、これがあったということまで見てしまうのではないでしょうか?もちろんそれらのことは、残っています。痕跡、傷跡かもしれません。でもそれは傷ではなくて、赦された後の傷跡です。イエスさまの十字架の死と復活によって、赦された傷跡です。それを決して見てはいけないというのではなくて、そこに留まり続けることではなくて、時々は見ながらも、そこに時にはふと立ち止まりながらも、鋤を使って耕して前に向かって進んで行かれるイエスさまに従っていくということなのです。
嵐の中の牧師たちという本があります。ホーリネス弾圧によりお父様が獄中死されたことを振り返って書かれた辻宣道という先生の本です。辻宣道先生と初めてお会いしたのは、1987年のこと高校3年生の時でした。信徒修養会で一緒にお風呂に入ったことなど思い起こしますが、講師の先生でしたから、何をしゃべっていいのか分からないくらいに、緊張したことを覚えています。その本の冒頭に、当時あった治安維持法違反ということで捕らえられ、青森県弘前刑務所に亡くなられたお父さんを引き取りに行かれた下りがあります。
母と二人で刑務所に死体を引き取りに行った日のことを私は忘れない。前夜の吹雪がやんで、良く晴れ上がった日であった。それまでは、何と言っても父との間につながりがあった。離れて住んではいたが、お互いに生きていることにより、安心していられた。そこには、また会えるという希望があった。しかしそれが一夜にして消えたのだ。しかもいまわしい獄死というレッテルが貼られ、父は私の前から消えてしまったのだ。私は膝まで没する雪をかき分けながら、断ち切られた非情さをかみしめて歩いた。悲しかった。雪晴れの空は、スコンとぬけるように青く澄んで頭の上にあった。
刑務所というところは、意外に静かなところである。いくつかの鍵の音を聞いて辿り着いたところに父は寝かされていた。独房の窓は凍り付き、むき出しのコンクリートが寒々と迫って来た。父の死骸を見た時、私の足は立ちすくんだ。そのやせ方の異様さが、私を慄然とさせたのだ。父は大きく目を見開いて死んでいた。これがあの講壇の父のなれの果てか。しかしその顔は穏やかだった。母も涙をこぼさずにそのまぶたを閉じてやった。刈りたての坊主頭が青々と冷たかった。父の死骸を火葬場に運ぶ馬車 の中で私は思ったのだ。もし神さまが本当に生きているなら、こんなにひどい、むごたらしい目にあわせはすまい。20年間ただ、神さまのために働いてきた人じゃないか。その日以来、私と言う少年は、キリスト教と絶縁した。
後に、教会に戻られ、神学校を出て牧師として働かれることになりますが、再び信仰に導かれるきっかけとなったのが、讃美歌でした。その時のことを、こう触れています。
・・・・そのような私に1つの変化が訪れた。夕べの礼拝に出た時である。父が検挙されて以来、ふっつり耳にしなかった聖歌を聞いた。そのオルガンの音がひどく胸を騒がせた。これはわたしが生まれた時から聞いて来た音だ。このリズムの中で、私は成長してきたのだ。それは身体にしみつき、血の中に流れていたものであった。その波長は、私の奥深くにある発信機に作用し、微妙な共鳴を起こし始めた。野生に還るという言葉がある。それならば、私は何に還ったのだろう。外に出て思い切り泣いた。。。
すべての人の罪を身代わりに背負い、すべてを十字架において受け取り、十字架の死と共に滅ぼし、神さまの赦しを与えて下さるために、エルサレムに向かう決意を固められたイエスさまは、わたしに従いなさいとおっしゃいます。それは、イエスさまに従うということで与えられる真実、真理に出会えることと、同時に、イエスさまに従うという決意が、従いますと言いながら、揺れ動いてしまう私たちがいます。それでもなお、そんな私たちを、イエスさまは、いつも赦して、祈り続けてくださっています。その祈りは、「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」祈りであり、同時に「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と励ましてくださるイエスさまの私たちへの信頼と期待です。そこにある赦しに向かって、生きること、赦された出会いを与えるために、イエスさまは、エルサレムに向かって、神さまの真実に向かって歩まれるのです。