2025年10月19日礼拝 説教要旨

迎えに出なさい(マタイ25:1~13)

松田聖一牧師

 

聖書の中に詩編というところがあります。その詩編には、こんな御言葉があります。「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」その意味は、神さまの御言葉、御言葉を通して語られる神さまが、わたしの道の光であり、わたしの歩みを照らす灯であるということです。さて、その灯ですが、その明るさはどれくらいかというと、電気の光といった明るい光ではなくて、本当に小さな光です。だから、暗いところで、いろいろなものが良く見えるような光ではなくて、むしろ、目の前にあるものが、ほのかに、ぼんやりと映るくらいの明るさですから、ともし火をともしていても、周りに何があるか、ほとんどわからないと言ってもいいでしょう。神さまは、そういう光として、ともし火として、わたしの道の光であり、わたしの歩みを照らしておられるということですから、神さまが指し示される道、そしてわたしの歩みを照らして下さる神さまは、私たちにとって、明らかにこれだ!と分かるというよりも、分からないと言う中で、分からないままのわたしの歩みを照らして、導いて下さるということなんです。

 

その時、私たちにとっては、真っ暗に近いわけですから、周りに何があるか、目の前に何があるかは、おおよそ見えませんから分からないということだらけだと思います。

 

教会は、沢尻区の中で、7組という組の中に入れて頂いています。その7組は、年々数が増えて、今は10数軒になっています。2つに分けてはどうかという話も出ましたが、結局、そのままです。そんな中、先日、交通安全協会の協力金というものを集める当番が、今年回ってきました。それで集めに伺うお宅の場所と、名前が記されている地図を頂いたのですが、平日はお勤めされている方がほとんどなので、夕方以降にということになります。ところが、夕方以降は、太陽が沈む時間ですので、沈むと辺りは真っ暗になります。そういう中では、表札があってもなかなか見えません。そこで日曜日の礼拝後、先週エデンの会の後に、集めに伺うということで回りました。ところが最初は明るかったのですが、だんだん暗くなって来まして、どこにどなたの家があるか、分からなくなり、次の日とか、その翌日と言った具合に、今、集めている最中ですが、暗いと、見えない、どこに何があるか、どなたの家なのかも分からないというのは、

 

我が道を照らす灯が、ともす私の道も、そうです。そういう意味では、ともし火があっても、何があるのか、ほとんど分からないと言っていいと思います。ただ真っ暗な中にある灯をともしている人には、何があるかはわかりませんが、その灯を、見る側にとっては、どんなに暗くても、そこに誰かがいると言うことが分かるのではないででしょうか?そしてその灯を目指していけば、ともし火を持って、掲げている人に出会うことができます。

 

その灯が、10人のおとめが持っていた、ともし火でもあるんです。その灯を持って、おとめたちは花婿を迎えに出て行く時、おとめたちには、花婿がどこにいるのか?どんな花婿なのかは、そのともしびの光では分かりません。しかし、花婿には、分かります。あそこにおとめたちがいるということが、どんなに暗い光でも、はっきり分かります。

 

つまり、ともし火をともすというのは、おとめたちにとって大切だからというよりも、おとめたちが出迎えた花婿にとって、おとめたちを見つけて、おとめたちのところに行き、おとめたちに出迎えられ、そしておとめたちと一緒に婚宴の席に向かうために、必要であると言えるのではないでしょうか?ということは、迎えに出るおとめたちを、本当に迎えいれてくれるのは、花婿であるとも言えるのではないでしょうか?だからこそ、おとめたちは花婿を迎えに出て行くんです。

 

そのおとめたちについて、「そのうちの5人は愚かで、5人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」と、10人のおとめたちの中で、5人は愚か、別の意味では怠けていた、一方で5人は賢かった、すなわち思慮深くて、慎重であったということですが、愚かであったということと、賢かったということについて、それぞれの意味から確認したいと思います。

 

まずは、愚かであった、怠けていたということは、この後にあります、「ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった」ということを指します。つまり、愚かな5人のおとめたちは、ともし火は確かに持っていたけれども、ともし火をともすための油の用意をしていなかったわけですから、その時、ともし火は一応ついてはいても、補充する油を用意するという、大事なことが抜けていたんです。その結果、途中でともし火の油がなくなれば、ともし火が消えてしまうことになりますから、おとめたちを、花婿は見つけられなくなってしまいますから、花婿を出迎えることもできなくなります。

 

だから愚かなおとめたちとなっているのですが、それを誰が、愚かだと判断しているのか?どういう意味でおろかなのか?というと、愚かなと言うこの言葉は、Ⅰコリント1章18節にも、「宣教の愚かさ」という言葉の中でも使われています。この宣教の愚かさとは、イエスさまを伝えるという宣教と言う手段の愚かさではなくて、世の中が、愚かだと断じる、断定する、その宣教内容によって」ということなんです。つまり、愚かなと言う意味は、愚かなものが、そこにあるから愚かと言うことではなくて、本当は愚かではないのに、周りが愚かだと判断し、断定しているからこそ、愚かであるということなんです。

 

ということは、「愚かなおとめたち」も、このおとめたちが愚かであるというわけではなくて、誰かが、油を用意していなかったことに対して、愚かだと判断し、評価し、断定しているからこそ、「愚かなおとめたち」となっているんです。そのことを5人のおとめたちも、そのまま受けて、自分たちは愚かだ、怠けていると受け取っていたのではないでしょうか?

 

そういう意味では、周りの評価は、周りがいろいろ言っていることであって、自分には直接関係ないことであっても、それに影響され、振り回されて、いつしか、自分は愚かだと思い込んでしまうこともあるのではないでしょうか?

 

一方で、賢かったおとめたちは、「ともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」ので、油が切れても、補充できますから、ともし火が消えることはありません。だから賢かったということになるのですが、思慮深くて、慎重であったということで、油をちゃんと用意していたということと同時に、思慮深さ、慎重であることによって、前に進めなくなることもあるのではないでしょうか?

 

石橋をたたいて渡るという言葉がありますね。それは石の橋も、本当に渡れるかどうかを、叩きながら、慎重に渡ろうとすることの現われですし、それほどに思慮深いということですが、時々、余りにも慎重になりすぎて、石橋を叩きすぎて、石橋を割って、壊してしまうこともあるのではないでしょうか?そういう意味で、思慮深いということは、確かに良いことではあっても、それが過度に行き過ぎてしまうと、考えすぎてしまって、思慮深さがかえって、足枷となり、前に進めなくなってしまうこともあるんです。

 

そういう10人のおとめたちが、油の用意をしていたか、していなかったかという違いで、愚かなおとめたちとなり、賢いおとめたちとなってはいても、結局は、花婿が来る前に、「皆眠気がさして眠り込んでしまった」と言う点では、おとめたち全員が、花婿を出迎える用意が誰もできていなかったということ、なんです。それはおとめたちにとって、花婿を出迎えるという、一番大切なことができていなかったということではないでしょうか?そして花婿も、おとめたち10人全員を、見つけられなくなってしまうんです。

 

それでも、「迎えに出なさい」という叫び声が与えられ、「迎えに出なさい」と、叫ぶ声で皆が起きることができるんです。その時、ともし火に油を用意しなさいという声も、ともし火を整えなさいとも、油がないおとめたちが油を持っているおとめたちに、「油を分けて下さい。わたしたちのともし火は消えそうです」と油を分けてもらいなさいとか、「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買ってきなさい」と言いなさいといった、声は全くありません。ただ「花婿だ。迎えに出なさい」だけです。

 

ということは、花婿を迎えに出るという、その1つのことだけが、求められているのではないでしょうか?他の、油をどうとか、ともしびをどうとか、ということは、もちろん当時の結婚式では求められたことですが、しかし、今、ここで求められているのは、ただ「迎えに出る」という、そのことだけに集中していくことではないでしょうか?

 

そういうことを私たち自身にも置き換えた時、最も必要なただ1つのことではなくて、それ以外のことで、あれこれ動いたり、言ったり、言われたりすることに向かってしまうことがあるのではないでしょうか?もちろん、それらのことが、必要ないとか、意味がないということではありません。しかし、今、一番必要なこと以外のことに向かい、それに時間を費やしてしまったら、一番必要なことができなくなってしまったり、間に合わなくなってしまうこともあるのではないでしょうか?

 

例えば、飯田線の電車に乗ろうとした時、伊那市駅から辰野までの最終電車は、23時7分発です。それに乗り遅れると、もうそれで終わりですから、電車で行こうとしても、行くことはできません。最終電車というのはそういうものです。その時、最も大切で必要なことは、23時7分に乗るということではないでしょうか?それなのに、まだ他のことをする必要があるからとか、切符を買っていないから、と言ってあれこれしていたら、乗り遅れてしまうんです。一旦電車が発車したら、止まってくれといくら叫んでも、扉を開けてくれと言われても、できません。一旦前に向かって出発したら、バックはできません。とにかく23時7分発の電車に乗り込むことです。

 

花婿だ。迎えに出なさいと言われた時もそうです。油がどうとか、店に行って、自分の分を買ってきなさいということに、思いや、時間を使うのではないんです。迎えに出なさいと言われたら、迎えに出ることです。迎えに出たら、花婿がそこにいるんです。そしておとめたちを迎え入れて、一緒に婚宴の席に入ってくれるんです。

 

さて、この花婿とは、誰のことか?それは、イエスさまのことです。イエスさまは、迎えに出たおとめたち、そしてわたしたちを、たとい、ともしびをともす油がなくなったとしても、迎えに出るという、その用意だけでいいんです。それだけで、たとい真っ暗な中で、誰が、どこにいるか分からないような中にあっても、イエスさまは、必ず見つけ出し、一緒に連れ出し、共に歩む歩みへと、私たちを導いて下さいます。その時、ともしびも、油も求めていません。たといともし火がなくても、光であるイエスさまが、ともし火以上に、はるかに大きな光となって、共にいて下さり、ともしびや油のことであくせくしなくてもいいように、して下さっているんです。

 

四竈揚先生がまとめられた「平和を実現する力」という本の中に、原爆に一家が巻き込まれ、最後まで見つからなかった揚先生のお姉さんを、家族が捜して捜して、救護所で発見できた場面が綴られています。

 

さて、尾長の盲学校での3人の関心は姉の生死でした。私たちはそれから数日手分けして姉の安否を尋ね回りました。しかし広島女学院が爆心地にも近く壊滅状態ですから何の連絡も取れず、誰かかれかのちょっとした情報を頼りに捜しまわるほかありません。大抵小学校の校舎が仮の診療所でしたが、薬もろくになく、あるだけの油薬をやけどの患者に塗るというのが精いっぱいでした。収容されている罹災者は、ござやむしろの上に寝かされているだけでした。ですから中には、一緒に横になっている人がいつの間にか知らないうちに死んでしまっていたり、傷口にうじがわいているような人もいました。私たちは毎日毎日自分の捜しまわったところの報告をし合って「今日も分からなかった」「今日も手掛かりがつかめなかった」と空しい日々を言い合っていたことを思い出します。そのうちに私も母も少し疲れて動けないようになってきました。放射能の影響だったと思います。私たちは「もう1日捜して分からなかったら、心配している弟たちのいる和田村に引き揚げるしかない」と話し合っていました。

いよいよ3人が捜し始めて5日目に、もう一度広島女学院の焼け跡に行ったところ、そこに女学院の生徒の何人かが矢賀の小学校に収容されているという張り紙がありました。私と母はすぐに矢賀の診療所となっている小学校に行きました。ところがはやる気持ちとは裏腹に、2つの小学校のどちらにも姉はいませんでした。かえって次々に息を引き取っていくおびただしい負傷者を見ると、目の前が真っ暗になる思いでした。落胆して帰る途中、母が突然「そう言えば、矢賀には広田さんという友達がいたはずだ。矢賀の診療所からそこに行った可能性がある」と言い出しました。まさに天啓(てんけい)のようなひらめきです。広田さんの家はまもなく分かりました。「せめて挨拶だけでもしよう。何か分かるかも知れない」と、広田さんの家に参りました。私はこの数日期待しては裏切られてばかりいましたし、とても疲れて歩けないような気持ちで広田さんの家の近くに、腰を下ろして待っていました。

母が「ごめんください」と声をかけてもシーンとしています。二度目の呼び声の時、「アッ、お母ちゃん!」と泣いて起き上がって来たのが頭に包帯をした姉でした。後で聞くと、自分の家は全滅だろうから、今の呼び声は夢みたいなものだ、と思って最初の時には返事をしなかったが、二度目の声で目を開けたら、玄関に母の姿を見出したのだと言って、泣きじゃくるのでした。姉は校舎の下敷きになり、カードボックスのようなものが倒れてきて頭部に15センチくらいの大きな裂傷を受けて、腕にも怪我をしていました。その前の日は、高熱で危なかったそうです。しかし何と言っても、生きていたのです。私たち家族4人は、大勢の死者や行方不明の人がいる中で、ともかくみんな廃墟の中で、再会できたのです。涙を流して共に感謝の祈りをするほかありませんでした。

 

この1カ月後に、このお姉さんはなくなる前に、洗礼を受けていかれ、「佑子、佑子、って呼ぶ声が聞こえるのよ」と言いながら、召されていかれたのでした。

 

ご家族との再会は、どうして叶えられたのか?それはごめんくださいの声が、母親の声であることに気付けたこと、そして「アッ、お母ちゃん!」と呼んで、玄関に出て来れたからです。

 

イエスさまが、今私のところに来てくださった時、出迎えるということは、そういうことではないでしょうか?その時に、何かをしないといけないとか、あれこれする必要はありません。ただ迎えに出たらそれでいいんです。

 

祈りましょう。

説教要旨(10月19日)迎えに出なさい(マタイ25:1~13)